promise rose

           幸せだと思った。―――心から。










 空気が熱を帯びている。周囲の店はどこも赤やピンクで彩られていた。
 久しぶりに地上に降りたせいか、今日が何の日かなど綺麗に頭から抜け落ちている。

「…何だ?」

 宇宙での生活は、こういう時によくない。世界に喧嘩を売っておいて、こんな風に
 考える自分に苦笑した。
 そんなことよりこの時期に、こんなに騒ぐイベントがあっただろうか―――。
 ロックオンはざわめく辺りを見渡しながら首を傾げる。そしてふと目に入った文字
 に納得した。

「あぁ、バレンタインデーか」

 経済特区日本では女性が男性にチョコレートを贈るのが一般的だ。
 道理で先程から頬を紅潮させた女の子とすれ違うのか。
 平和な街中の様子に苦笑しながら、ロックオンは足早に進む。呼び出されたため、
 これから宇宙へ上がらなければならないのだ。
 一生懸命にプレゼントを選ぶ少女達の姿は皆可愛らしい。
 つい今しがたブル−の小さな紙袋を抱きしめるようにして、横を通り過ぎた女の子
 がいた。
 ―――その姿に、同じ年頃なのにあまりにも違う少女を思い出す。
 バレンタインなんてきっと彼女にとっては何の意味も持たないのだろう。一応恋人
 としては残念なのだけど、仕方ない。

「チョコレートなんか用意してる訳ないよなぁ」

 彼女の仏頂面を思い浮かべ、苦笑する。
 それ以前に、バレンタインデーを知っているのだろうかという不安がよぎった。

「あいつなら洒落にならねぇなー。……ん?」

 赤やピンクに紛れて鮮やかな緑が目についた。
 周囲とは違ったその店はこじんまりした花屋で。咲き誇る花は柔らかな芳香をたて
 ていた。
 思わず足を止めると、店員らしき女性が笑顔で声をかけてくる。

「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」
「え、あ…」

 ふと、花の匂いに昔の記憶が甦った。
 まだ家族と幸せに暮らしていた頃、この日は毎年兄妹でお小遣いを出しあって、小
 さなブーケを母親に贈っていた。
 薔薇の花とカードが愛情と感謝の証。嬉しそうに受け取る母の顔にこちらも幸せに
 なれた。
 店先に並んだ色とりどりの薔薇を前にロックオンは微笑んだ。

「あの、すみません」

 トレミーの女性陣に贈るのも一興。
 花は時間が経てば枯れ、形には残らないけれど、きっと喜んでくれるはずだ。
 店員に細かく注文を告げると、女性は苦笑して、心得たように手際よく作り上げて
 くれた。
 大輪の薔薇を3つ。女性陣の姿、性格に合わせて選んでもらった。
 それから――もうひとつ。







 革手袋に包まれた長い指が白いそれをはじく。
 金の細かい装飾の枠が綺麗な、今時珍しい紙でできたもの。

「なんて書くかな」

 悪戯っぽく目配せをしながら、店員が一枚だけカードをくれた。
 ひとつだけ、別に注文したそれは他の3つとは明らかに違う意図を持つだろう花。
 それを見つめながら、ターコイズグリーンの眸を細めた。
 ―――赤い薔薇の小さなブーケ。ピンクのリボンが柔らかく揺れる。
 もう少しでトレミーに着いてしまうから、早く渡すためにも何かメッセージを書か
 なければ。

「刹那…」

 単純に無難に愛の言葉を記すのではつまらない。
 それにまだ、言えないことがある―――。
 ロックオンは思い切ったかのようにペンをカードへ走らせた。
 書き終わった直後、丁度デュナメスがトレミーに到着する。

「…これでよし」

 悩んだ末に書けたのは想いのわりに少しだけ。
 けれど、心からの想いだった。
 薔薇の深い紅は刹那の眸とどこか似ている。
 今はまだ言えない想いを込めて、ロックオンは薔薇に口づけを落とした。








 食堂に入った途端、酷く甘い匂いがした。
 中ではエプロンを着けたクリスティナとフェルトが料理器具を手に、本を見ながら
 何か作っている。

「…刹那」
「フェルト」

 こちらに気づいたらしい少女に刹那は首を傾げつつ近づく。フェルトの持つボール
 の中は焦げ茶色のものだった。
 ボールの中へ向けた視線に気づいたのか、フェルトが口を開く。

「お菓子作ってるの」
「…お菓子?」
「うん。バレンタインだから」
「…バレンタイン」

 そういえばこの間地上に降りた時、やたらとチョコレートが並んでいたのを思い出
 した。
 あの国ではチョコレートを渡す日らしい。隣に住む少年が簡単に説明してくれた。
 恋人や、お世話になっている人にチョコレートを渡して祝う日だと。
 大切な人に、想いを伝える日だと―――。

「刹那も作る?」
「…え」

 ボールの中身を凝視しながら考え込んでいた刹那は目を瞠った。
 フェルトは珍しくふわりと微笑み、小さく囁く。

「ロックオン、きっと喜ぶ」

 彼が満面の笑みを浮かべる様が安易に脳裏に映し出され、刹那は赤銅色の眸をテー
 ブルに広げられた本に向けた。
 お菓子など作ったことはない。けれど、フェルトの言う通り、彼は喜ぶだろう。
 紙面には「初心者でも作れる」と書かれていた。ラッピングの仕方まで載っている
 らしい。
 ―――たまには、こんな日くらいは。
 そっと顔を上げた刹那に、フェルトはエプロンを差し出した。








 デュナメスが帰艦したと聞き、刹那は無重力の中、格納庫を目指す。
 手には自分なりに頑張って作ったチョコレート菓子を持って。
 お菓子なんか作ったのは本当に初めてで、味見をしてくれたフェルトやクリスティ
 ナは「美味しい」と言ってくれたものの、自信はない。
 ―――ちゃんと受け取ってくれるだろうか。
 彼は優しいから、きっとちゃんと食べてくれるだろうし、喜んでくれるとも思う。
 けれど、少し―――。

「刹那?」

 ボスっと頭に軽い衝撃が走った。
 直前に聞こえた声は、よく知るもの。
 パッと顔をあげると、深い湖のような、刹那を惹きつけてやまない翠が見下ろして
 きた。

「ロックオン」

 どうやら考え事をしていたせいか、近づいてくる人影に気づかなかったらしい。
 普段ならあるまじきことに、一瞬呆けた。
 顔を上げたまま固まった刹那に、ロックオンはにやりと笑う。
 長い指で小麦色の頤を救うと、額に軽く唇を寄せた。

「…なんだ?迎えに来てくれた…とか?」
「っ!」

 ボン!と音がしそうな勢いで赤くなった顔に苦笑する。
 この可愛い反応が愛しくてたまらない。細い身体を抱きしめると、はっとしたよう
 にもがきだした。

「…放せ、馬鹿」
「せっちゃんひどーい」
「誰がせっちゃんだ…」

 赤い顔のまま憎まれ口をたたく刹那を見つめ、ロックオンは緩む頬を押さえきれな
 い。
 ふと、カサリと音がして、互いの間に深い緑の袋がみえた。
 首を傾げると、密着していた身体を離す。
 訝しげな視線に気づいたのか、刹那がその視線を追って――目を瞠った。

「刹那、それ―――」
「!!」

 慌てて袋を背に隠すが、彼にはばっちり見えてしまったようだ。
 何か言いたげなロックオンを睨みあげ、刹那は革手袋に包まれた手をがしりと握っ
 た。

「……行くぞ」
「へ?」

 ずんずんと進みだした刹那に引かれるままに歩きだす。
 無重力の通路を移動レバーなしでは上手く進めない。けれど繋いだ手を放したくな
 くて、ロックオンは苦笑しながらバランスをとった。

「俺の部屋にしようぜ」
「…了解」

 袋の正体が気になっているだろうに、あえて問わないでくれる彼に安堵する。
 早く笑った顔が見たいだなんて、自分はどこまで―――。







「…やる」

 部屋についてすぐ、作ったお菓子をずいっと差し出す。
 彼は驚いたように刹那を見てすぐ、翠の眸を和らげた。

「俺にくれるのか?」
「ああ。…味の保証はしないが、フェルトたちと作ったから大丈夫だと思う」

 少しだけ窺うように見上げてくる赤銅色が可愛くて、セピア色の髪をくしゃりと撫
 でる。
 先を越されてしまったな、と思わなくもないが、それ以上に嬉しい。

「すっげぇ幸せ。でも―――ちょっと悔しい」
「…なぜだ?」
「ん?先越されちまったなーって。これ…俺から刹那に」
「…花?」

 差し出されたのは深紅の薔薇を中心に、可愛らしくまとめられたブーケ。
 刹那にとって生花は珍しい。ましてや人に貰ったのは初めてで。

「…俺に?」
「ああ。地上じゃバレンタインデーだから用意してたんだ。俺の故郷じゃ大切な人
 に花とカードを渡す日なんだよ」
「そう、なのか…」

 大切な人―――。
 その言葉に頬が熱くなるのを感じた。
 素直に嬉しいと口に出せなくて、花に目をやるふりをして俯く。

「刹那」

 そろりと視線だけ寄越すと、ロックオンの白い頬が少しだけ赤く染まっていた。
 彼ははにかむように笑いながら刹那の髪を優しくすく。そして身をかがめてきた。

「これ、他の奴に見つからないようにな」

 意味がわからず首を傾げると、ロックオンはさらに身をかがめ、耳元にそっと顔を
 近づける。

「これは刹那だけ。特別仕様だからな」

 そのまま頬に落とされたキスと共に囁かれた言葉は擽ったい。
 身をよじり、広い肩に頭を預ける。

「綺麗だ…」

 まだ開ききっていない紅は緑と白、そして薄いピンクの中でひときわ目を引いた。
 彼のことだ。きっとちゃんと他の女性陣にだって用意しているはず。それでも刹那
 に渡すものだけはちゃんと特別だと、公言してくれる。
 肉体的にも、精神的にも「そういった感情」に疎い刹那を女の子扱いして、好きだ
 と全身で告げてくれる人。彼といると冷たく凍りついていたはずの心が、あたたか
 いもので満たされるのを感じた。

「なぁ、これ今食べてもいいか?」
「ああ」

 大切そうに小さなブーケを抱える刹那を、ロックオンが嬉しそうに見つめる。
 深緑の袋の中からは数種類のチョコレート菓子が入っていた。
 程よい甘さで、くどくはない。そう甘いものが好きなわけではないロックオンには
 ちょうど良い加減の味。
 じっと見つめてくる赤銅に美味いよ、と笑うと照れたように俯かれた。
 ふと、ブーケの中に人工の白が見え、刹那は首を傾げる。
 そっとかき分けると、花の合間に小さなカードが埋もれていた。それを見ようとす
 ると、遮るように抱き寄せられる。

「カードは後で見てくれ。…来年は地上で一緒に過ごそうぜ」

 どこか照れたように早口で囁かれ、刹那は腕の中で目を瞬かせた。
 何も答えられずにいると、翠の眸がふわりと細められる。

「毎年この日には薔薇を贈るよ。刹那が抱えきれないくらいに、幸せが降るように」

 幸せを贈るよ、と。とろけるような笑みを浮かべたロックオンは刹那の唇に柔らか
 く口づけた。

「そのころにはきっと世界も変わっていて、俺たちも普通に過ごしてるかもしれない
 だろ?」

 いつかの約束なんて、この先どうなるかなんてわからないのに。あまりにも当たり
 前のように告げてくる彼に呆れながらも――叶えばいいと思ってしまう。
 それにこの先をそうやって何度も何度も約束していくということは。
 ―――それはずっと傍に居てくれると言うことだろうか。

「…なら俺も、あんたのために…何かする」
「…来年も再来年も、ずっとこの日にはこうしてような」

 祈るような言葉と共に柔らかな熱が降りてくる。
 世界がどうなるのかなんて、まだわからない。
 この先に何が待つかも。
 でも、それでも。
 この先の未来に彼がいてくれるのなら、それでいいかもしれない。
 それだけで十分だと、チョコレート味の甘いキスに刹那は小さく微笑んだ。






















       2009年バレンタインフリーでした。加筆修正を加え、再UPです。
       刹那はこのあと6年、一人を想いつづけることになるのですが…。
       未来を先に書いてしまったので、色々と大変だったことを覚えています(笑)
       未来編とあわせてお読みいただければ、と思います。
          09/05/05 あなたと過ごした優しい日のこと。