学園内が浮足立っている。色に例えるなら、ピンク色だろうか?
 それもそのはず、今は二月だ。もうすぐ年頃の男女ならばドキドキしたり不安になったり、と忙しい行事が
 控えている。
 タクトたちのクラスもなんだか妙な緊張感が漂っていた。





「タクト君、あなたは誰に愛を告白するの?」
「…はい?」

 唐突な問いかけに、タクトは思わず振り返った。
 これまでに何度か席替えはあった。けれど何の因果か、二月現在、タクトの席は入学当初と同じく窓際
 の後ろから二番目だ。そして後ろはカナコ、前はルリ、教室のちょうど真ん中あたりの席にワコがいる。
 スガタはといえば、廊下側の前から三番目という、離れた席に座っていた。
 今は授業中ではなく、昼休みも終わりにさしかかった時間帯。午後の授業が始まるのも近いこの時間、
 クラスの中は昼食を終えて戻ってきた生徒たちが一気にタクトへと視線を向けた。
 たじろぐタクトを尻目に、カナコの問いに興味を示したらしいルリやワコもタクトの席の周りに集まる。

「もうすぐバレンタインデーでしょう?だからタクト君も、誰かにあげるのかしらと思って」

 組んだ手に顎を乗せて話す仕草は、どこか妖艶だ。そんな彼女が流し目をクラスについ、と向けると近く
 の席の男子生徒が頬を染めた。
 そうしてクラスを見渡した後、カナコが再びタクトを見てにこりと微笑む。

「バレンタインデーって、青春には恰好の一大イベントよね」
「んー、そうなの…かな?」
「そうよ!タクト君!」

 口の端を引きつらせて答えたタクトとは対照的に、話に割り込んできたルリの眸は爛々としていた。
 拳を握りしめて仁王立ちした姿にはものすごい迫力がある。

「ル、ルリちゃん…?」
「バレンタインって言ったら、女の子にとっては決戦の日よ!恋人がいる、いないに関係なく盛り上がる日
 なのよ!」
「そ、そうなんだ…?」

 思わず身を引くタクトに、ルリが眉を寄せた。

「タクト君てば反応薄いよ!?今まで誰かにあげたこと、ないの?」
「え?…………そういえば…?」
「えぇ!?タクト君、あげたことないの?」

 ワコもきょとんとした様子のタクトに驚いた様子で問いかける。
 タクトは顎に指をかけて考える仕草をして―――今気付いた、とでも言うように真紅の眸を瞬かせた。

「僕、誰かにあげたことないかも…」
「「えぇぇえ!?」」

 クラスの誰もがひっそりと注目する中、零したの言葉はワコとルリの絶叫を間近で受ける羽目になった。









「いやぁ、大漁だぁ♪」
「……すごいな」
「美味しそうだよね。うわ、これなんかすごい豪華そう!」

 二月十四日、バレンタインデー当日。
 三人がいつものように登校すると、すぐさまタクトは女子生徒に囲まれてしまった。
 みんなそれぞれ、手には色とりどりのプレゼント。軽い調子で渡されていくそれらすべてはチョコレートだ
 ろう、甘い香りが立ち込めている。あっという間にタクトの手元には紙袋におよそ二つ分のチョコレートが
 置かれていた。
 その後もチョコレートの山は増え続け、周囲の男子生徒が可哀想なほどタクトの前には様々なプレゼント
 が積まれることとなった。もはや羨ましいを通り越したらしく、ヒロシなどはどこからか紙袋を調達してきて
 くれたほどだ。
 苦笑しながらも喜ぶタクトに、その細腕に抱えられた山を見て金色の目を瞠るスガタ、そしてチョコレート
 を品定めするワコが放課後の教室で見られた。

「しばらくは食糧…ってかおやつには困らないかも。うーんでもさすがの僕もこれは太っちゃうかなぁ…」
「一応タクト君も気にするんだね…」
「む。ちょっとワコ?僕だって一応女の子だよ?て言うか、僕よりワコの方が食べるじゃない…」

 チョコレートを前に、タクトとワコが女の子らしい会話を交わす。
 スガタは二人の様子を苦笑しながら見ていた。



「あ、そうだった」

 そろそろ帰ろうか、といいだしたのは誰だったか。
 チョコレートを紙袋や鞄につめて三人で分けて持つ。
 間もなくスガタの家に着く、という頃。ワコがたった今思い出した、とでも言うように声をあげた。
 スガタとタクトが首を傾げると、ワコは自分のカバンをごそごそと漁る。

「はい、これ!」

 満面の笑みで差し出されたのは、赤と青の袋。赤い方をタクトに、青い方をスガタに持たせる。

「私から二人にプレゼントだよ」
「え、僕にも?」
「うん。タクト君、いつももらう方だったって言ってたから」
「ありがと、ワコ」
「いえいえー。スガタ君も、ちゃんと食べてね!あんまり甘くないのにしといたから」
「ああ。ありがとう、ワコ」

 スガタがお礼を言うと、ワコはじゃぁ帰るね、と駆けだした。
 タクトが貰ったチョコレートが入った紙袋はいつの間にか玄関に置かれている。
 手を大きく振って行ってしまったワコを見送って、タクトはそっとスガタの方を見やった。
 視線に気づいたスガタが首を傾げると、タクトは首を傾げながらスガタの手元に視線を落とした。

「あのさ、スガタはどうして…」
「ああ、なんで僕がチョコレートをもらってないか、か?」
「うん。正確には…ワコ以外の?」

 スガタはモテる。それは共に過ごすようになってそろそろ一年のタクトにもよくわかっていた。
 時折昼休みや放課後に呼び出されているのを知っている。その度にスガタが困ったように笑うのも。
 スガタには一応ワコという婚約者がいる。二人はお互いに恋愛感情はないと言うけれど、タクトからして
 みれば二人には深い絆が見える。だからたまに寂しくなるのに―――。
 そんなスガタが今日は呼び出されることもなく、またチョコレートをもらっているところも見かけなかった。
 タクトにはそれが不思議だったのだ。

「渡されなかったわけじゃないよね?…どうして受け取らないの?」

 数日前、ルリに力説されたのだ。チョコレートは女の子の気持ちを形にしたものだと。だからタクトは受け
 取ることを拒否しなかった。
 スガタは考えるように首を傾げ、苦笑する。

「よく知らない人間からはもらえないよ」
「え…」
「以前、受け取らされたプレゼントに嫌がらせされたことがあるんだ。だから僕は受け取らないって中学あ
 たりから公言してる」
「そう、なんだ…」
「それに僕には一応婚約者がいるってことになってるからね。そう言えば断れる」

 ほら、中に入るぞと促すスガタに頷いて歩き出した。けれどなんだか気が重い。
 それって結局は、ワコから以外のは受け取らないと言うことで。
 ―――じゃぁもし、タクトが渡したら。それも「婚約者がいるから」という一言で断られてしまうんだろうか。
 部屋に向かう足取りはひどく重くて、手にしたチョコレートも鉛のように感じてしまった。








 パタン、と軽い音を立てて閉ざされた部屋で、タクトは深いため息をついた。
 貰った贈り物はテーブルに置く。きれいにラッピングされたそれら一つ一つが女の子の気持ちなら、受け
 取ってもらえないプレゼントはどんなに哀しいだろう。
 誕生日の一件を思い出す。スガタの誕生日、プレゼントを渡せないでいるワコの哀しげな顔をタクトははっ
 きりと覚えていた。
 そっとテーブルの引き出しを開ける。

「……どうしよう、これ…」

 スガタの髪の色とよく似たラッピングの、青い小さな箱。
 特別な意味を持たせる気はなかった。ただ、ほんのお礼と称して渡そうと思っていた。
 そのためにタクトが初めて用意した、チョコレート。
 けれど先程彼は受け取らない、とはっきり告げた。その前によく知らない人間から、とついていたのは都
 合よくタクトの脳内から抜けている。
 ―――渡せないプレゼントほど、意味のないものはない。
 自分で食べる気にもなれなくて、タクトは箱を手にしたまま途方に暮れた。

「なんか…ショックだ…」

 箱をテーブルに置いて、ベッドへダイブする。制服がしわになるなぁと思いつつも、思った以上に渡せない
 ことが残念で。
 けれどこのまま何もしないのも、しこりが残りそうで嫌だった。

「あーもう、僕らしくないなぁ…」

 ウジウジ悩むのはもう嫌だ。この島に来てからは常に前向きでいるように心がけているのだから。
 けれどどうしたものかと思い悩んでいると、ノックの音が聞こえた。

『タクト君、そろそろ夕食の時間ですよ』
「あ、はーい!…あ!」

 ドア越しにジャガーの声がして、タクトは跳ね起きた。
 名案を思いついた。タクトはドアの前から気配が消える前に急いでドアに駆け寄る。
 勢いよく開けると、ジャガーが驚いたように目を瞠った。

「ジャガーさん、ちょっとお願いがあるんだけど…」










 夕食を終え、時刻はそろそろ夜の九時を指そうとしていた。
 軽いノックの音に、スガタは顔をあげる。

「はい?」
『スガター、開けてー!』
「…タクト?」

 てっきりメイドのどちらかと思っていたが、聞こえてきた声はタクトのもので。
 読んでいた本を椅子に伏せると、スガタはドアを開けた。

「ねぇ、ちょっとお茶しない?」
「お茶?」

 木製のドアを開けてすぐ、タクトがいた。二コリ、と笑った彼女の手元には銀のトレーと。

「…ショコラ?」

 ココアとは少し違った甘い香り。今日、学園中で香っていたそれ。
 白いマグカップに注がれているこげ茶色の液体に、スガタが目を瞬かせる。タクトは目を細めると首を傾
 げた。

「そう、一緒に飲もう?」

 お邪魔しまーす、と軽い口調でスガタの部屋に入ったタクトはどこか硬い。
 手にしたトレーをテーブルに置くと、勝手知ったる部屋の中、とでも言うように近くにあったソファーに座
 った。

「はい、スガタの分」
「ありがとう」

 マグカップを両手で囲うようにして飲む仕草は可愛らしい。柔らかいと知っている紅い髪が、嚥下するごと
 に小さく揺れた。
 スガタも受け取ったマグカップを傾ける。甘すぎないため、くどくないそれは身体を温めるにはちょうど良
 い飲み物だった。思わずホッと息を吐くと、こちらを窺っていたらしい真紅とかちあう。

「…タクト?どうした」
「…美味しい?」
「え?ああ、美味しいよ」
「そっか、良かった!」

 ふわりと、花が咲いたように笑う顔にスガタは思わず目を瞠る。
 既に飲み終えていたらしいタクトはマグカップを持って立ち上がった。
 足取りも軽くドアの方へ向かうと、肩越しに振り返る。

「…良かった。じゃぁ僕はお風呂、借りるね」
「あ、ああ…」

 振り返った真紅の眸があまりにも嬉しそうで。スガタは脳内にはてなマークを浮かべながらも、細い後ろ
 姿を見送った。
 静寂と共にスガタに残ったのは、半分ほどに減ったホットショコラと、甘いチョコレートの香り。
 ―――それから、タクトの笑顔。
 タクトを喜ばせたものが何だったのかわからずに頭を捻る。お茶をしようと誘われて、一緒にこんな時間を
 過ごすのは珍しいことではない。特に変わったこともなかったはずだ。
 先程まで読んでいた本の続きより、タクトのことが気になって考えこんでいると、小さなノックと共にジャ
 ガーが入室してきた。

「ぼっちゃま、どうなさいました?タクト君がマグカップを下げてくれと…」
「まだいい。飲み終わってないんだ」
「あら?甘すぎましたか?砂糖を足してる様子はなかったんですけど…」

 考えこむような仕草を見せたジャガーに、スガタは視線で問う。
 てっきり作ったのはジャガーだと思っていたが、この言い方では―――。

「君が作ったんじゃないのか?」
「あ、このショコラ、タクト君が作ったんですよ」

 あっさりと告げられた事実に、スガタは金の眸を瞠る。それに気付かず、ジャガーは苦笑すると、夕食前
 のやり取りを語りだした。

「夕食のあと、キッチンを貸してくれって頼まれて―――」



 ドアから飛び出てきたタクトは、何度か言いにくそうに逡巡したが、意を決したように顔をあげた。

『あのさ、ちょっとキッチンと…それから牛乳ありますか?』
『あるけど…どうしたの?』
『ちょっと、作りたいものがあって』

 真紅の眸が自身の手元に落とされる。
 タクトの手には青い箱が握られていた。



「美味しそうなチョコレートだったのに、渡せなかったのかもしれませんね」
「…チョコレート?」
「はい。青いラッピングの…多分ビターのものでしたよ」

 タクトが誰かのために用意していたのだろうか。結局渡せなくて、それをショコラに変えたのだろうか?
 けれどそれでは先程見せた笑顔の意味がわからない。
 黙り込んだスガタに、ジャガーは苦笑した。

「そのショコラ、全部飲んであげてくださいね。…タクト君からのバレンタインプレゼントですよ」

 スガタが返事をする前に、ジャガーは一礼をして去っていった。

「…僕に?」

 手にはまだ温かさを残しているショコラがある。タクトが作ったのだと言うそれは甘いもの好きな彼女のは
 きっと物足りない味だったはずだ。けれどスガタのために作ってくれたのなら、それはとても―――。
 マグカップの中で柔らかく揺れたショコラを見つめて、スガタはそっと笑った。









 タクトはテーブルに置いていた包みをそっと手にする。
 なんとなくキッチンで捨てるのは躊躇われて、部屋まで持ってきてしまったそれは渡すことの出来なかっ
 たあの青い箱だった。
 こんなもの、取っておいてもどうなるわけではない。それなのに捨てるのを躊躇わせるのは、何かしら未
 練を感じるからか。
 小さなため息と共に眺めていたそれを引き出しにしまおうとした時だった。軽いノックの音とスガタの声が
 して、ロクな返事もしないままにドアが開けられる。

「こんな時間に食べると身体によくないぞ」

 開口一番がそれなのか、と。肩を落としながらもタクトはしまえなかったそれを背に隠す。が、近づいてき
 たスガタにその動きを止められた。

「う、これは僕が食べたわけじゃ…」

 悪いことをしたわけではないけれど、なんとなく後ろめたい気分になって目を泳がせる。
 タクトが背に隠そうとしている青い箱をちらりと目で追って、スガタは微笑んだ。

「タクト」
「うん?」
「―――ショコラ、美味しかったよ」

 告げられた言葉に、真紅の眸がきょとん、として。すぐさま頬が赤く染まる。

「え、あの、スガタ?なんで…急に…」
「作ったの、タクトだろ?…美味しかった。ありがとう」

 笑いながら頭を撫でてやると、タクトの頬はますます赤くなった。
 もごもごと「言わないっていったのに」やら、「なんで知ってるの」やら漏れ聞こえる。
 だんだん照れのためか俯いていく様が可愛らしくて、スガタは思わず噴き出した。

「ちょ、スガタ!」

 赤いまま睨みつけてくるタクトの肩を、なだめるように叩く。

「はは、ごめんタクトがあんまりにも可愛い反応するから」
「可愛くなんかないよ…。だって、僕…」
「僕が夕方、受け取らないって言ったからだろう?」

 スガタの手を払おうとしていた動きが止まる。
 わかりやすい反応に金色の眸が細められた。

「…でもタクト。僕は知らない人間からは、って言ったよ。…君のことは知らない人間にカウントしない」
「え…」
「こうして同じ時間を過ごしているのに、知らない人間なわけないだろう?」

 スガタはタクトの手を取り、柔らかく指を絡める。
 ゆっくりとあげられた真紅の眸に笑いかけると、タクトがやっとスガタを映した。
 未だほんのりと赤い頬と、風呂上がりのためかあたたかい身体。同じものを使っているはずなのに甘い匂
 いのする髪。出逢ってまだ一年にも満たないのに、タクトをこんなに受け入れている自分自身が、スガタに
 とっては不思議なくらいだ。

「…調子に乗ってもいいかな」
「へ?」
「その箱のこと。…僕にくれるはずだった?」

 スガタの髪によく似た青。中身はビターチョコレート。甘いものがそう得意ではないスガタでも食べられる
 甘さ。
 そこまでそろえば、スガタ以外の男に渡される方が正直苛つく。
 期待を込めた問いかけにタクトは目を泳がせた後、こくん、と頷いた。

「調子に乗らなくても、僕があげたいなって思ったのはスガタだよ」

 恥ずかしいのか、タクトはスガタの肩に頭をぐりぐりと押し付ける。
 ぎゅ、っと握られたシャツにしわが寄るけれど、そんなことはどうでもよかった。上目遣いに見上げてくる
 真紅の眸が細まる。

「スガタが初めてなんだよ…?僕、いっつももらう方だったし」
「それは光栄だな。…来年はタクトから、欲しいな」
「…うん。誕生日もクリスマスもバレンタインも、僕の気持ち、スガタにあげる」

 そう言って笑ったタクトが愛しくて、スガタは細い身体をそっと抱きしめた。
 今までは鬱陶しく思うこともあった行事も、タクトさえいれば笑っていられる。
 まずは三月に来るホワイトデーに、何をしようか―――?
 久しぶりに楽しみだと思うそれに、スガタは想いを馳せた。










          Emotion of chocolate
     「どうか僕の心を受け取ってください」 差し出したチョコレートにのせる想い。                                     











        今更ですが、バレンタインの頃考えていたスタドラバージョン。
        タクトって女の子だろうともらう側!って感じがしませんか(笑)
        加えてあげたことない、とかだと面白いなぁと思ってこんなお話に。
        ホワイトデーは書く予定ありません…。スガタって何返すんだろう??
        背景はミントBlue様からお借りしました。

            2011.02.20 来年はもっと素直になれるといいな。