注意:幸村の名前が変わっています。このお話の設定では“真田幸姫(さなだゆき)”です。
     元就も女体化しています。苦手な方はお戻りください。


















この気持ちを、この記憶を。持って生まれたことの意味を知っていた。
ずっと探していた。澄んだ空のような、深い「蒼」を。
月を見る度に、巡る季節を過ごす度に、思い出すのはあなたとの最後。













     こいめぐり   ― 花信 ―












 真新しい制服に身を包んだ少女は、鏡の前でくるりと回ってみた。
 スカートの丈が若干短いと思うのだが、幼馴染で兄同然の青年に「その丈が一番旦那に似合ってる!」と力説さ
 れてしまった。

「…どうにも慣れぬな…」

 ため息をつきながら鏡の中の自分を見た。
 現代の服はどれも露出が激しい気がする。着物、もしくは道着でいる時が落ち着くと思うのは、やはり記憶のせい
 か―――。

 物心ついた頃からそれは顕著になった。
 戦国時代と呼ばれていた時を生きていた記憶がある。それは間違いなく“自分”だった。
 記憶があることに戸惑わなかったのは、やはり同じように記憶のある幼馴染がいたからだ。彼は前世でも常に自分
 の傍らで仕えていてくれた。名も姿も現代と変わらず、あの頃と同じく兄のように接してくれている。
 そして何より記憶の中に「彼」がいたから。
 蒼を纏う竜。歴史では自分が死した後も立派に生きて名を残していた。

「ようやく…逢える」

「彼」を見つけてくれたのは、その幼馴染だった。
 大学にまで名の届く優秀な頭脳と見目の麗しさ。―――素行が悪いということも。どうやら女遊びの激しさでも有
 名らしい。前世でも心の底では「女」を憎んでいた人だ。今でもその名残があるのだろうか。

「……政宗、殿」

 ―――今、幸せでいるだろうか。満たされて、いるのだろうか。
 今日は入学式だ。選んだ高校は、「彼」の通う学校。
 期待と不安を胸に抱えながら、部屋を後にした。










 夢を見る。
 昔から何度も何度も同じ夢を。
 桜の季節はそれを毎夜の如く見る。

 桜吹雪の中、一人の女性が立っている。
 栗色の長い髪、落ち着いた紅の着物。顔はなぜか霞がかかったかのように朧げで。
 けれどなぜか微笑んでいるのに、泣いているような気がした。そんな顔をして欲しくなくて、手を伸ばす。いつも触れ
 ることは叶わず、彼女の名を呼ぶことも出来ない。
 夢なのだから、触れることも名を呼ぶことも出来なくて当たり前なのに―――抱きしめてやりたくて、堪らない気持
 ちになる。
 夢を見た朝はいつも苦しいほどに切なくて、泣きだしたいような、そんな気分にさせられるのだ。

「Shit…」

 今日も脳裏に残る彼女に、思わず舌打ちが出る。
 いや、彼女に対してではない。―――今日も何もしてやれなかった自分自身に、だ。
 ベッドから降りて頭をかき回す。ふと時計を見ると、短針は9と10の間を指していた。

「Ah――…ヤベェな」

 春休みが終わりを告げたのは昨日。
 つまり新学期は始まっていて、今日は入学式だ。通っている学校はなぜか式典が全校生徒、全校職員の参加
 が義務付けられている。出席しなかった場合、待っているのは校則違反のペナルティだ。
 だからどんなに面倒でも、行かなくてはならない。

「めんどくせぇ…」

 己の脳裏で学園長が不敵に微笑んでいる。
 深いため息を吐き出して、準備のために部屋を出た。











 学園の周囲には桜並木がある。
 柔らかな風が花びらを散らして、足元に桜色の絨毯を織りなしてゆく様は美しくも儚い。
 蒼と薄紅の交じった空は、あの日を思い起こすよう。

「キレイ…」

 思わずじわりと目尻に浮かんでくる熱を堪えるように真っ直ぐに前を見た。

『新入生の方は受付を済ませ―――』

 校舎からアナウンスが聞こえる。
 それにはっとして慌てて走り出した。入学式から遅刻をしてしまっては、外聞が悪い。参列しはしないものの、そう
 言ったことにうるさい母親に嫌味を言われるのは遠慮したいものだ。
 臙脂色のスカートが翻るのを、桜だけが見守っていた。










 入学して一ヶ月以上もすれば、学校にも慣れてくる。慌ただしく過ごしているうちに気付けば桜はとうに花の時期
 は過ぎ、青々とした葉が茂っていた。
 未だ、彼とは会えていない。あまり学校に来ている様子はなく、来ていたとしても学年が違うとまったく接点がない
 状態だ。ただ―――噂だけはたくさん耳にしている。
 何かと話題の尽きない人だというのは、嫌でもわかった。女子の噂というのは、信憑性も高く口さがない。
 ―――学園一女遊びが激しいだとか。全国模試で一桁の成績だとか。家庭のいざこざのことだとか。
 遊びでもいいから相手になりたい、とまで言う女子生徒も多いようだ。
 どちらにせよ、逢って確かめなければ、自分は前に進めない。
 どうしたら彼と逢えるか―――三年生に知り合いはおらず、中学の同級生も皆他のクラスで。さすがに一人で三
 年生の教室まで行く勇気はない。人の目というのは、なかなか恐ろしいものだから。
 小さくため息をついていると、机にころんと飴玉が転がった。

「…何を憂いている?先程の授業はそんなに難しかったか」

 涼やかな声に顔をあげると、声と同じく目元もそうである人が少し心配そうに見下ろしてきた。
 肩のあたりでそろえた焦茶色の髪がさらりと揺れる。その様に目を細めて笑ってみせた。

「いいえ。授業は面白うございました。…英語以外は何とかついていけます」
「ふむ…英語は苦手なのか」
「はい…どうにも難しく感じてしまい…」
「なれば試験の前は…その、よかったら…我にわかるところは教える…」
「助かりまする!」

 照れたかのようにそっぽを向く仕草が可愛らしい。
 ―――出逢った時は驚いて思わず凝視してしまったが、それがきっかけで共に過ごすようになった。
 まさかこの時代に、こうして友人になろうとはあの頃、想像もつかなかった。

「あの、元就…」
「呼び捨てでいい。…我も、そうしていいか…?」
「ええ、もちろん」

 にこりと笑うと、ほっとしたように目元を緩める。今は「彼女」として生まれ変わった毛利元就は、大切な友人だ。
 入学してしばらくしたころ、まだクラスに馴染めていなかった自分はよく昼食の時間になると中庭に出ていた。春の
 陽気はどうにも眠くなる。同じように教室を出ていた元就が通りかからなかったら、あの日の自分は午後の授業に
 出られなかっただろう。
「起きぬか!」と陽射しを背に立つ彼女を見たとき、一瞬ここがどこだかわからなくなった。心はいつでもすぐにあの
 時代へ飛んでしまうから―――。
 呆けていた自分を訝しんだのか、時折昼休みが終わる頃になると声をかけてくれるようになった。そのうち昼食を共
 にするようになり、気付けば仲のいい友人となっていた。
 自分がこの時代に生まれ変わっているのなら、他に誰がいてもおかしくはない。あの人も、ここにいるのだから。

 貰った飴玉をひとつずつ食べていると、元就が手にしていた携帯電話を見て顔をしかめた。

「…元就?」

 眉間にしわを寄せた元就に声をかけると、彼女は嫌そうな顔をしたままこちらを見る。
 そうして小さく嘆息した。

「…今日の昼は共に出来ないかもしれぬ」
「え?…何か用事がはいられましたか」
「…そなたの方を優先させたいが、それではあやつがうるさくてな」
「…あやつ?」

 さっと差し出された携帯電話の画面は、一通のメールが表示されていた。
 促されるままに読む。

『そっち行くから!昼休みは教室で待ってろよ』

 差出人の名前は―――長曾我部元親。
 思わず瞠った目に何を思ったのか、元就が困ったかのように呟く。

「…三年に居る、幼馴染の腐れ縁だ」
「えっと…」
「先程の休み時間に奴の母に頼まれた弁当をわざわざ届けに行ったのだが移動だったらしくてな。今日は諦めろと
 先程メールを打っておったのだが…取りに来るから、と」

 まったく、と嫌そうにしているが言葉には棘がない。おそらく仲が悪いわけではないのだろう。
 それよりも見覚えのある名前に驚いた。
 確か元就とはあの頃も仲がいいのか悪いのか―――どっちつかずの関係だったような。今もそうなのだと思うと、微
 笑ましくも、羨ましい。

「…元就、私も一緒に待ちます」
「え?しかし…」
「一人で食べるのは寂しいし、元就と食べたいから」
「そ、そうか…なら…仕方ないな」

 奇特な奴め、と言いながらも頬を赤くする姿が可愛らしかった。






 四限目が終わる合図。昼休みは長いようで短い。
 教師が教室を出ればすぐさま、皆が動き出す。購買や学食へ走り出すもの、机をくっつけ出すものなど様々だ。
 そんな中、元就が明らかに男ものだとわかる大きな弁当を取り出す。

「…すごいね…」
「これでも足りないらしいぞ。…購買に立ち寄ってくるかもしれぬな」

 小さい頃はあんなにチビだったくせに、と呟く元就に苦笑した。
 しばらく談笑していると、何やら廊下が騒がしくなってきた。女子の黄色い声が段々と大きくなってくる。
 何かあったのだろうかと首を傾げていると、元就が自分の弁当と渡す弁当を持って立ちあがった。

「そろそろ移動するぞ」
「へ?」
「ここでは騒がれるのが目に見えておるわ。…一応奴も目立つのでな、関係があると尾ひれがつくのはごめんだ」

 颯爽と歩きだした元就に慌てて自分も弁当を持ってついて行く。
 教室のドアを開けた時、ちょうど銀色の髪が目に入った。元就は彼を一瞥すると、そのまま歩いて行く。
 ちらりと振り返った先で驚いたような空色の眸が気になった。





「マジで悪かったって!」
「…そう言いつつこれで何度目だと思っている」
「う…だってよぉ…」
「言い訳はすかぬ。帰ってから母君にも、とくと怒られよ」

 目の前で応酬される言葉は、二人の仲の良さを感じるものだ。謝り倒してようやく弁当を手にした元親に思わず
 噴き出す。その途端二人の目が自分に向いてしまい、口元を押さえた。

「すみません…笑ってしまって」
「いや、かまわぬ。盛大に笑ってやれ」
「ひでぇよ元就…。で、この子が話してた奇特な子?」
「…はい?」

 奇特、と称され首を傾げると、元就が慌てたように元親を殴っている。
 どうやら都合の悪い話らしい。しかしそれを意にも介さず、元親は話しだした。

「いやー、こいつ人見知り激しいしさ、クラスに馴染めるか心配してたんだぜ。けど最近仲いい子出来たって言うか
 らさ」
「はぁ…」
「で、どんな子か気になってたわけ。元就が仲良くなれるなんてどんな奇特な子かなって思ってな」

 じっとこちらを見る空色は何かを探っているような、そんな色をしている。居心地が悪かったが、逸らしてはいけない
 ような気がした。
 絡んでいた視線は携帯電話の着信音に断ち切られた。どうやら元親の携帯にメールが届いたらしい。ごそごそと
 ポケットから取り出したそれに簡単に返事をすると、弁当を広げ出した。

「ま、これからも元就と仲良くしてくれよな」
「…何故貴様が言う」
「幼馴染として心配してやってんだよ。あ、今からちょっとクラスの奴ここに来るけどいいよな」
「はい。特に気にはしませんが」

 昼休みはすでに半分ほど過ぎてしまったというのに、未だ弁当を開いてもいない。元親の美味しそうな弁当に触
 発されたのか、腹が小さく鳴っている。移動するのも手間で、元就と並んで弁当を広げた。
 半分ほど食べた頃だろうか。足音とともに人が近づいてくるのが見えた。おそらく先程の元親のメールの相手だろ
 う。
 三年生に知り合いはいないが、目礼ぐらいはするべきだろうと顔をあげて―――箸を取り落とした。

「Hey.元親…なんでこんなとこで弁当食ってんだよ」
「おー、悪い。今日家に忘れちまってさ。届けてもらったんだよ」
「…ああ、件の幼馴染か」
「そ、一年に入ってきたって言ったろ?」

 会話を耳が追う。
 ちらりとよこされた眸は藍色の隻眼。さらりと風に流される髪は黒檀。身に纏うのは蒼ではなく、この高校の制服を
 着崩したものだけれど―――確かに、「彼」だった。
 胸に歓喜が溢れて、目が熱くなる。間違いなく目の前に居るのはあの人だとわかるのに、声が出ない。

「そやつは誰だ?」

 口を開けずにいると元就が先に訝しげに問いかけた。彼は自分で話す気がないのか、元親に視線をやる。

「ああ、こいつは同じクラスの奴なんだけどさ。昼にCD貸す約束してたんだったけど俺が弁当忘れたからな」
「うつけめ」
「スミマセンでした。で、悪いな政宗。CDはちゃんと持ってきてっから!」
「なら早くよこしやがれ。俺はもう帰るんだよ」
「はぁ?午後またサボんのかよ…」

 呆れたように言う元親に肩をすくめて見せた彼は、視線を感じたのかこちらを向いた。
 目が合う。絡んだそれには何の感情も映らない。あの雄弁だった眸が何ひとつ。だから、わかった。
 ―――ああ、彼は。

「一年か…まだあんま知らねぇな。そっちの髪短い方が元親の幼馴染だろ?」
「ああ。毛利元就だ」
「Hmm?俺は伊達政宗だ。で、そっちは?」

 歓喜はとうに消え、心に残るは小さな痛み。
 忘れて欲しいと願ったのは自分。けれど心のどこかで、当然のように彼も覚えていてくれるのではないかと思ってい
 た。
 まったく知らない人を見る藍色が、自分の身体に突き刺さるように痛い。
 今、自分は笑えているのだろうか。

「…私は"ゆき″と申します。―――真田幸姫、と」

 こんなにも邂逅を待ち望んでいたのに、世の中というのはなぜこんなに不条理にあふれているのだろう?
 その日の午後の授業は、まったく頭に入らなかった。










 再び出逢った日から、時折彼を目にするようになった。
 すれ違うたびに違う女性といる。みな遊びのつもりなのだろうけど、中にはきっと本当に政宗を想っている人もいる
 だろう。遊びでもいいと騒いでいたあの女子生徒達の気持も、わからなくはない。彼はそのくらい魅力的だ。
 あの藍色を自分だけに向けたくて、きっとみんな頑張っている。けれどそれは至難の技だろう。
 幸姫も待ち望んだ再会が出来たものの、それ以降は接点らしいものを掴むことが出来ずにいた。

 天気の良い、五月晴れと呼ぶにふさわしい陽気の日だった。
 どうしても授業を受ける気になれず、幸姫は中庭の樹の陰に隠れるようにして寝ころんでいた。
 元就に見つかるまでは、よくここで一人昼食をとったものだ。ここは緑が多くて心地よい。高く澄んだ蒼い空が切な
 くて、目を伏せる。

 ―――普通は前世の記憶など、持ちはしない。覚えている幸姫や佐助の方が珍しく、異端なのだ。
 それに縛られている自分は、もはやどうしようもなく。胸に抱えた痛みも苦しみも、呑み込んでいくしかないのだ。
 この時代に巡り会うことが出来た。今度はあの人を自由に愛せる時代に。
 それだけで、充分だ―――。

 もうすぐ三時限目が終わる。四時限目は受けに行くべきか。
 目を伏せたまま思案していた時だった。
 草を踏む足音がする。気配は最小限にまで抑えられ、普通なら気がつかないだろう。
 さっと身体を起こし、視線を巡らせる。不意に何かが反射したような気がしてそちらを見ると、日の下できらきらと
 輝く銀色が目に入った。
 颯爽と近づいてくるその人は、幸姫と視線が絡むと小さく笑って片手をあげる。

「…長曾我部元親…先輩」

 自分が言えることではないが、授業はどうしたのだろう。歩み寄ってくるその人を見つめながら首を傾げた。
 元就に三年生に在籍する彼を紹介されて、まだ数日だ。彼女が近くに居ない今、自分に用があるとは思えにく
 い。
 訝しげになった幸姫の視線に気づいたのか、元親は肩をすくめた。大柄な彼がそう言った仕草をすると、なんだか
 道化のようだ。
 幸姫の前までやってきた彼は、木の根元を指して座っていいかと尋ねる。戸惑いながらも頷くと、軽く息を吐きなが
 ら正面に座られた。

「ちょっと話、いいか?」
「…えっと…」
「いきなり悪いな。けど元就がアンタがここ数日変だってぼやいててな。俺に会ったせいかって辛辣なんだよな」
「それは…申し訳ありません」

 どうやら元就に心配をかけてしまっているらしい。何も聞いてこないから、ばれていないのだと思っていた。

「まぁ…俺も気になることあってさ。アンタのこと、探してたんだ」
「…私を…?」
「ああ。アンタの態度…変わった理由はやっぱり俺に会ったからか?正確には俺たち、が正しいか」

 空色の隻眼が幸姫を射抜くようだった。

「何を…おっしゃって…いるのか…」
「半信半疑…だったんだけどな。でもアンタの中学の時の話とか、色々聞いたんだぜ?それに俺たちを見る目が
 “知っている人間”を見るもんだ」

 視線を逸らせず、何も言えずに固まっていると、元親がにやりと口角をつり上げて笑った。
 それは確信の笑みだった。

「なぁ、俺らのこと、覚えてんだろ?―――甲斐の虎の若子。…紅蓮の鬼」
「―――っ!」

 懐かしい呼び名に思わず目を見開いた。息を飲んだ音が、静まり返った中庭に響いたような気がする。
 あの頃、確かに自分はそう称されていた。けれどそれは歴史の渦に飲み込まれ、現代には伝わっていない筈のも
 の。知る人など、もういない筈なのに。
 驚きずぎて声も出ないとはまさに今の状態を言うのだろう。そんな幸姫に元親は困ったように目を細めた。大きな
 手が硬直を溶かすかのように頭に置かれる。

「そう固まるなよ。まぁいきなりで驚いただろうけどよ…。アンタも記憶、在るみたいだな?…真田幸村」
「…元親殿」
「今は“ゆき”だっけ?」
「はい」

 豪快に笑う様子も、横柄な態度もあの頃と変わっていない。
 佐助以外では初めて会った記憶のある者に驚き、くすぐったくなった。

「俺が覚えてんのは俺と関わりのあった奴らのことだけなんだが…」
「そうなのですか…。元就殿は?あの方には記憶があるようには見えませんでしたが…」
「ああ、アイツは何も覚えちゃいねぇよ。…けど、俺はそれでよかったと思ってる」

 元親の言葉に、戸惑う。
 前世の彼らがどのような関係だったかは、詳しくは知らない。自分があの頃知っていたのは、四国で毛利と長曾我
 部は対立関係にあったということだけ。
 首を傾げた幸姫に、元親は自嘲するかのように笑った。

「…覚えていたら、きっと俺たちは今みたいに幼馴染なんてやってねぇよ。もっとぎすぎすしてたか、一切話もしないよ
 うな関係だったか…。とにかく、共に在ることは出来なかっただろう」

 切なげに空を見つめる空色に、胸がつきりと痛む。
 ―――「彼」もそう思ったから忘れて生まれてきたのだろうか。あの夢は夢のままでいいと思ったから。今世でも何も
 変わらなくていい。好敵手のまま、生きていくだけで。
 忘れて欲しいと願った。愛し合ったことは一夜の夢だと。けれど、彼はそれを否定してくれた。

『来世では必ず、俺はお前を手に入れてやる。必ずだ。どんなに姿や形が変わっても、お前を見つけて今度こそ離
 れない』

 告げてくれた言葉を、ぬくもりを、覚えている。けれど、幸せでいてくれるのなら、叶わなくとも、それでいいと思った。
 なのにこうして傷ついてばかりの自分が滑稽で。
 知らずこもった拳の強さに、手が鈍く痛んだ。

「アンタはさ…政宗とはいいライバルだったんだろ?」

 意図せず、元親の口からこぼれ出た名前に、肩が揺れる。それをどう思ったのか、再び頭を撫でられた。
 内情を知らないものから見れば、自分たち二人の関係はライバルという点に尽きる。あの夢のことは、歴史のどこ
 にもないのだから。
 頷いた幸姫は細く息を吐き出した。

「政宗殿も…記憶はないのですね…」
「ん、ああ。何も覚えてねぇな、アイツ。…アンタみたら、思い出すかもって少し期待してたんだけどな」
「え?」

 きょとん、と茜色の眸を瞬かせると、元親が苦笑する。

「アイツとはさ、中学ん時からの付き合いなんだよな。っても気は合うけどすげぇ仲いいとかじゃないから元就にも会
 わせたことなかったんだけどよ。…夢を見るんだと」
「……夢?」
「桜かなんかの花吹雪の中に赤い着物を着た女が立ってる、ってやつ。ちっせぇ頃からずっと見続けてるらしくてな
 …。顔も見えないのに、なんでか泣いてる気がするって聞いたことあんだよ」

 思わず瞠目した幸姫は、ひゅっと息をのみ込む。
 それは、その夢は―――。

「政宗殿……」

 心の底に、まだ自分は意地汚く残っているらしい。忘れて欲しいと願ったのに、言葉通り探しだして欲しいと望ん
 だ、浅ましい自分が。
 口を両手で押さえて俯く。元親が具合が悪いのかと驚いたように聞いてきたが、何も答えられなかった。
 今言葉を発してしまえば、きっと泣いてしまう。
 そうしてしばらくの間、ただただ俯いて感情をやり過ごした。心配をかけてしまった元親に詫びようと顔をあげた時、
 目の前にあったはずの銀色が横に吹き飛ばされたところが見えた。華麗に回し蹴りを決めたらしい細い足が、幸
 姫の前に晒される。

「………もと、なり?」

 拳を握り、睥睨した元就が元親を足蹴にしたまま振り返った。

「幸姫、大事ないか?」
「…何とも、ないけど…」
「そうか。我は幸姫がこの男に何かされたのではないかと思ってな…。案の定、幸姫の肩に手を置くとは…この下
 郎が」

 美人が怒ると恐ろしい、とはこのことだろう。
 瓜実の顔が一瞬般若のように見えた。
 足蹴にされたままの元親が不憫で、慌てて弁解する。

「元就、元親殿は私を気遣ってくれただけで!何かされたわけではないから、その足どけてやってくれ!」
「…本当か?」
「本当だ!」

 伸びている元親に冷や汗が出るものの、なんとなく悦の入っている表情のような気がするのがいやだ。
 三人が落ち着きを取り戻した時には、既に四時限目も半ばを過ぎていた。


「それで…幸姫」
「はい?」
「こやつと何を話していたのだ?…我には言えぬようなことか?」

 寂しそうに幸姫を見てくる唐茶色の眸にどうしたものかと視線を泳がせてしまう。
 前世の記憶がない彼女に話しても、頭の心配をされるだけではないか―――。
 俯いてしまった幸姫に、元就は小さく嘆息した。

「…我はこやつと十数年来の付き合いぞ。そなたと初めて会った時の反応に何も感じなかったと思うのか」
「え―――」

 馬鹿にするな、と彼女は鼻を鳴らした。腕を組む仕草にはどこか策士であった面影が覗いている。

「そなた…記憶があるのだな。我を見る目が懐かしいと言っている。…時が経てば話してくれると思って黙っていた
 が…元親が先に聞いたというのが気にくわん」
「元就…」
「我の方が先に気が置けぬ仲になったというのに」

 なぜか悔しそうな顔をする元就に軽く瞠目した。
 目が合った元親は身体を揺らして笑っている。
 元親に記憶があったためか、理解と耐性があるのだと。そう言って気遣うように手を取られた。
 今は柔らかな元就の手が、今も硬い自分の手に重ねられる。

「…長い話になりまするぞ?」
「かまわん。…聞かせてくれ」

 元就の真摯な眸に、幸姫はようやく微笑んだ。
 その笑みは美しく、どこか儚げで。
 表情はそのままに、幸姫は語りだした。

「…では、夢物語をいたしましょう。一夜の夢、私にとっては前世での幸福な刻の話を―――」

 戦国の世にあった頃の、一つの恋の話。
 歴史に伝わることのなかった、赦されぬ恋の秘話。

「あれはちょうど、雪が溶け…春も間近な頃でした」

 歌うようなその声に含まれた哀しみと幸福を、元就と元親はただ黙って聞いてくれた。
 佐助以外にこんな話が出来るとは思ってもみなかった。
 言葉に詰まると、握られたままの手に力がこもる。あたたかなそれに心が落ち着くのを感じた。






 全てが息吹く新緑の頃、凍ったままの物語が動き出すような。
 そんな花信風が通り過ぎる頃のこと―――。













 
 
 
 
 
 
 
 


          花信(かしん) … 花が咲いたという知らせのこと

        お待たせいたしました。「こいめぐり」開始します。
        このお話は「こいしずく」の二人が現代に生まれ変わってまた出逢ったら…という
        想像から生まれました。
        目指せ最低な筆頭、なんですが私が書くときっとどうせヘタレになるんだろうなぁ。
        思った以上に瀬戸内の二人を書くのが楽しかったです。活躍してもらおう(笑)
        完結までお付き合い頂ければ幸いです。

          2011.01.20  その知らせがあなたの心に届くことを祈って