春に別れてからずっと、あなたを想った。
 たとえ他の誰と結ばれたとしても、心はもう捧げてしまったから、何も怖くない。
 季節がめぐる度、あなたと過ごした日々を思い出す。
 実を結ばない想いなど、馬鹿らしいと誰に笑われようとも。再びめぐり逢えるのならばそれでいい。

 たとえあなたが覚えていなくても、私が覚えている―――。










     こいめぐり   ― 徒花 ―










「好きです。…付き合ってもらえませんか」

 告白の常套句が聞こえた。
 放課後の屋上なんて、ベタな呼びだしだと思いつつ政宗はドアの影に隠れた。
 普段誰もいないからと時間をつぶしにきたが、今日は先客がいたらしい。
 告白をしたのは男の声だった。野次馬根性はないはずだが、なんとなく気になって視線をめぐらせて―――目を
 瞠った。
 想いを向けられている少女は良く見覚えがある。栗色の尻尾のような長い髪が、ほんのりと冷たくなってきた風に
 揺れた。同じく茜色の大きな眸も、困ったように揺れている。

「…誰から告白されても断ってるって聞いてる。けど…言いたくて」
「…そう、ですか…」

 青年は少女に一歩近づいた。

「その、好きな人がいるの?いないなら…」
「…ごめんなさい」

 続くはずの言葉は、少女の眸が伏せられたことで消える。
 瞼の裏に、誰を描いているのだろうか。

「ずっと…ずっとお慕いしている方が、いるんです。叶わないとわかっていても、諦められないほど」

 ぽつりと小さく呟かれたそれが答えだった。
 青年は何か返そうと口を開くが、結局何も言わずに屋上を後にした。
 その背を見送って、政宗は再び少女を見る。
 秋晴れと呼ぶにふさわしい、綺麗な空だった。その空を一心に見上げる茜色は、どこか切なさを含んでいる。握ら
 れた手がそっと胸元を押さえた。

『 まさむねどの 』

 声なき声で、一体誰の名を呼んだのだろう。
 自分に向けてくるあの寂しげな眸で空を見上げる少女を、政宗はただ黙って見つめた。
 ―――その時自分がどんな顔をしていたかなんて、知らない。








 秋も深まった十月の初め。毎年この時期になると大学部から教育実習生がやってくる。
 今年も数人の実習生が来たということで、全校朝会にて紹介があった。
 三年には授業に来ることもないため、政宗はどうでもいいとばかりに半分聞き流していたため、気がつかなかった。
 紹介されたうちの一人が、ずっと睨むように政宗を見ていたことに―――。






 昼休みは用事がなければ四人で中庭へ行くことが決まって久しい。
 いつものように幸姫は元就と三年の教室に顔を出してから、中庭の日当たりのいい席を陣取った。
 本来、一年が三年の教室へそう気軽に顔を出せるものではないが、幸姫と元就は三年の間では有名だ。三年
 の中でも色々と有名な元親や政宗が、自分から話しかける。それだけではなく、二人が幸姫たちに手を出したら
 ただじゃおかない、と宣言したのだ。
 元々人見知りをしない幸姫は早々に三年生には気に入られてしまい、何かと話しかけられたり、お菓子をもらって
 いるのだが。

「今日も元就のお弁当はおいしそうでござるな」
「ふふん、今日のは自信作よ」
「えー、その出汁巻きくわせて…」
「誰が貴様などにやるか!」

 幼馴染の掛け合いに苦笑しつつ、幸姫も食事を始める。
 学校のことや部活の事を話しながら半分ほど食べた時だった。


「あ、いたいた!ゆき!」


 背後から楽しげな声がした。
 四人が振り返ると、朝会で紹介されたばかりの教育実習生の一人がこちらに手を振っている。
 柿茶色の髪に媚茶の眸を持つ青年は、にこりと笑って見せた。

「あ…!」

 楽しそうに食べていた幸姫が弁当を置くと、駆けだす。

「佐助!!」

 後ろ姿でもわかるほど、幸姫は嬉しそうな声で青年に飛び付いた。青年は慣れたように幸姫を支える。
 明らかに知りあいの二人に、残された元就は首を傾げた。ただ、元親だけは軽く目を瞠っていたが。

「こーら、学校ではなんて呼ぶの」
「あ!そうだったな…すまない」
「ま、先に声かけたの俺様だしね。…お昼ご飯中?」
「そうだ。…元就たちも一緒だぞ」

 親しげに会話をしていた幸姫が、青年の手を引いて戻ってくる。
 青年はにこりと笑った。隙のない笑みはどことなく得体の知れなさを感じる。感情を見せないような、どこか壁のあ
 るような。

「こんにちは」
「……こんちは、えっと…」
「朝紹介されたばっかだし、三年生にはあんまり関わりないもんね。俺は猿飛、下の名前は佐助だよ」

 元親がまさに「鳩が豆鉄砲を食らった」ような顔をする。佐助も苦笑を浮かべた。その顔の方が人間味がある。
 佐助の横で二人を見ながら幸姫はこらえられない、と言ったように噴出した。

「ちょっと幸姫ー?なんで俺様見て笑うの」
「だって佐助が変な顔するから…!」
「うわ、オトコマエになんてこと言うのこの子は!」

 佐助が幸姫の栗色の髪をくしゃくしゃと乱す。嫌がるふりをしながら笑う幸姫は楽しげだ。初めて見る幸姫の満面
 の笑みに、政宗は軽く目を瞠る。
 そんな二人を見ていた元就が急に立ち上がり、足音も荒く近付いていった。

「も、元就?」

 元親の声など聞こえてはいないようだ。二人の前まで行くと、きょとんとした幸姫の腕を引っ張る。たたらを踏む幸
 姫など気にせず、彼女はじとっとした目で佐助を睨みつけた。
 首を傾げながらも、佐助は幸姫から手を放す。

「…幸姫を返せ。我らはまだ食事中だ」
「元就?」
「ああ、アンタが毛利サンね。いつも幸姫から聞いてるよ」
「…なんだと?」

 納得、とでも言うように頷いた佐助に、元就が胡乱げな眼差しを送る。そんな元就に笑いかけながら彼は幸姫を
 指した。

「俺様は幸姫と幼馴染ってやつなんだよ。幸姫ったら毎日アンタのお弁当の話するんだもん。それとか数学教えて
 もらったーとか」

 他にも色々聞いてるよ、と佐助が笑うと、元就が幸姫を見て頬を染める。幸姫はじゃれつくように佐助の背中を
 叩いて文句を言っていた。
 その気を許した姿が気に入らなくて、政宗は無言で立ち上がる。元親の何か言いたげな視線を無視して、そのま
 ま校舎の方へと歩き出した。

「あ―――政宗、先輩…」

 幸姫が声をかけるが、政宗は振り返ることなく中へ入ってしまった。
 消えた背中を肩を落として見送る幸姫を、佐助が見つめていた。










「―――真田!聞こえてるか?」
「っ、は、はい!…すみません…」

 力なく応える幸姫に、教師はため息を吐いた。定期考査も近いというのに、ノートもろくに取れていないのではない
 だろうか。真面目な生徒であるはずの幸姫の態度は、ここしばらくおかしい。教師たちの間でも心配されていた。

「ここはテストの範囲だ。しっかりしてくれよ」
「はい…。申し訳ありません…」

 肩を落として座りなおした幸姫を、元就が心配そうに見つめている。
 教室の後方に立って授業の様子を見ていた佐助も眉をひそめた。
 政宗が背を向けたあの日から、いつもは共にしていた昼休みも放課後もまったく会えていない。それどころか、政
 宗はあまり学校に来ていないらしい。困ったように頭をかきながらそう教えてくれたのは元親だ。登校しても政宗は
 最低限の授業を受けたあと、すぐに帰ってしまうのだと。
 避けられている―――。そう感じても仕方がないほどに逢うことが叶わない。
 授業中にもかかわらず大きなため息を吐いた幸姫は、やはり心ここにあらず、と言った様子だった。


「姫!」
「…佐助」

 一日の授業も終わり、鞄を持って教室を出た時だった。もう他の生徒は早々に帰宅している。今はテスト期間中
 なため、部活動も休みでほとんどの者が図書室や学習室などに行っているのだろう。
 けれど幸姫は動くことが出来ずにいた。あの日の政宗の背中が気になって、そして近くにいるのに逢えない日々が
 続いているからだ。
 携帯電話での電話もメールも出来ずにいた。もし返事が返ってこなかったらと思うと、尻込みしてしまう。
 俯き加減で、いつもの明るさが微塵も感じられなくなっている幸姫に、佐助は眉をひそめた。
 佐助には幸姫が沈んでいる理由がわかっている。だからこそ、幸姫をこんな風にしてしまった彼に憤りを感じるの
 だ。けれど政宗の態度の意味を測りかねている。

「どうしたの?最近全然集中力ないじゃない」
「すまぬ…」

 政宗のことは話題に出さず、幸姫の頭を撫でてやる。ここ数日で佐助との関係が幼馴染であることは周囲に知
 れ渡っていた。それは佐助が意図してやったもので、二人で居ても邪推されないためでもあった。

「明日は休みだし、学校から離れて…そうだなぁ、気分転換に図書館でも行ったら?あそこなら勉強しに行くって
 言えばいいでしょ」
「考査も近いというのに…某は怠惰しておるな…」
「…旦那は昔から考えすぎるとこあるもんね。でもそうやって答えを出していけばいいと思うよ。俺様は何があっても
 旦那の…幸姫の味方だから」

 前の世と何ひとつ変わらぬ優しい媚茶に、幸姫の眸にも久しぶりに色が戻った。

「まずは目先のことから片付けようね。俺様としても、テストで困った成績取られちゃ困るし!」
「わかっておる!…ありがとう、佐助」

 どういたしまして、と言うように目を細める佐助に幸姫も小さく笑った。










 静かな空間には、ページをめくる音が微かに聞こえるだけだ。
 幸姫の家からも学校からも少し離れているこの図書館は、建物自体は古いものの膨大な資料が眠る場所として
 知られている。
 幼い頃から何度も連れてこられているため、なじみ深い。読書をゆっくりとすることはあまりないが、本自体は嫌い
 ではなかった。
 不意に集中力が途切れ、幸姫は読んでいた本を閉じる。時計を見ると、既に午後四時を回っていた。
 閉館にはまだ時間があるが、そろそろ帰った方がいいだろう。これから冬に向かうこの時期は日没がだんだん早く
 なっている。今日はほぼ一日中ここにいた。場所を変えたからか、集中の度合いも変わり、ここ数日分を取り戻す
 かのように勉強にも力を入れることが出来た。
 読んでいた本を片付けて、勉強道具の入ったバッグを持つ。思いっきり伸びをして図書館を後にした。

「…だいぶ色付いたな…」

 図書館を出てすぐのあたりに、見事な楓の葉が秋風に揺れていた。
 紅く染まった葉が記憶を呼び覚ます。「彼」に貰った葉も、こんな風に鮮やかな紅だった。

『ほら、やっぱアンタには紅がよく似合う。…綺麗だ』

 そう言って笑う彼の顔こそ、ひどく綺麗だった。藍色の眸が満足そうに細められて、幸村の髪に紅葉を飾ってくれ
 た。女であることを厭うていた幸村を認めてくれた。
 そして今世でも変わらず紅が似合うと言って―――。
 そういえば今もあの夢を彼は見ているのだろうか。紅葉が頭から離れないのだと、そう言っていた。夢に見るから嫌
 いだというのならわかるのに、彼は秋を好きだと。
 嬉しかった。けれど同じくらい恐ろしかった。忘れて欲しいと願ったくせに、記憶の鱗片を見せる彼。
 万が一思い出した時に、彼は一体どんな風に幸姫を見るのだろう。
 色付いた紅葉を見つめながら、じくりと痛む胸を押さえた時だった。

「―――幸姫?」

 背後からかけられた声に肩が強張る。ゆっくりと振り向くと、藍色の隻眼を軽く瞠った彼がそこにいた。
 ざっと、ひと際強くふいた風が幸姫の栗毛を煽る。今日は結っていないそれが柔らかに舞った。
 一瞬時が止まったような、そんな気がした。





 大きな茜色の眸が脳裏に映る。
 何をしていてもその紅を思い出しては、心の奥が蠢くような、そんな感覚がした。

「Shit…なんだって言うんだよ…」

 むしゃくしゃする。彼女があんな顔をしたからだ。気を許しきった、相手を慕うような、そんな顔。
 幼馴染だということは、元親にも聞いた。あの男も元就と話している時にそう話していた。けれどその時、こちらに
 向けられた媚茶の眸は明らかに敵意を含んでいた。
 それに気付きもせず、あの男に向けて笑い、なおかつ自分から触れる幸姫に耐えきれなくなったのだ。
 いつも政宗に向けるのはあんなものではない。もっと距離を置いたような、必要以上に踏み込ませないような、そ
 んなどこか遠いものなのに。
 夏の花火を見た日に、ほんの少し近づいた気がした。けれど本当はそう思いたかっただけなのかもしれないと、あの
 顔を見て知った。政宗を見て切なそうに笑う顔は今も変わらない。
 どうして自分には笑いかけてくれないのだと、いっそ恨めしくなる。そしてどうしようもなく胸を締め付けられるのだ。
 政宗はため息を吐くと、マンションの近くにある図書館へと足を向けた。静かな空間でなら、きっと本に埋もれてい
 るうちにあの紅を思い出さずに済むだろうと。そう思って向かったのに。

「だいぶ色付いたな…」

 そんな小さな囁きとどこか哀しげな眸で紅葉を見つめる少女を見つけてしまった。
 思わず呼んだ名前に彼女が振り向いた時、ひと際強い風が栗色を躍らせる。

 ―――紅い楓を背に、耳まで赤くした少女が頬を膨らませてこちらを見上げてくる。その顔があまりにも戦場で見
 るものとは違っていて、目を奪われた―――。

「っ…!?」

 脳裏に浮かんできた情景に、政宗は目を瞬かせる。
 煽られて枝を離れた葉が幸姫の髪にふわりと降りてきた。髪を紅が飾る。奇しくも、一瞬浮かんだ夢の情景と重
 なるように。

「…政宗、先輩…?」
『政宗殿』

 二重に声が聞こえた。けれどそれは同じ者の声だ。

「―――ゆき…?」
「政宗先輩?」

 風は止み、少し乱れてしまった長い髪を押さえた幸姫が目の前に立っている。もう夢とは重ならないその姿に小さ
 く息を吐いた。
 政宗は残像を追い出すかのようにゆるく首を振ると、口角を引きあげる。

「偶然だな…。勉強しに来てたのか?」
「あ、は、はい!その…考査が近いのに…今回はあまり調子が出なくて」
「Hum?なんだよ、苦手な教科でもあるのか?」
「いえ…それもありますが、ちょっと勉強に集中できなくて…」

 困ったように笑う幸姫はそう言って目を伏せた。
 政宗を見ないその仕草に、胸の奥が焦げるような音を立てる。けれどそれも仕方がないかと思いなおした。あの男
 が現れてから、きちんと幸姫に会うのは今が初めてなのだ。勝手に苛ついて、半ば無視をしたのはこちら。だから
 きっと幸姫も戸惑っているのだと態度でわかる。
 自分のしたことに舌打ちをしたいが、どうしても彼女があの男といるところを見たくなかったのだ。

「…情けねぇ…」
「え?」

 聞き取れなかったのか、首を傾げた幸姫と目があった。大きな茜色に自分が映っている。
 いつもそうだ。この眸に見つめられると、胸の中に込み上げてくる何かが政宗を支配する。堪らなく懐かしくて、切
 なくて―――愛しい。
 くるくる、はらはら、紅葉が落ちる。紅く染まったそれが地面に降り積もって行く。木の下に立つ幸姫の髪にも。

「…ついてる」
「え?あ、紅葉…」
「―――似合うな」

 一度幸姫の髪から摘みとったそれを、簪のように耳の上へと挿しなおしてやる。栗色の髪にそれはよく映えた。
 頬を赤く染めた幸姫が何か言いたげに見上げ、そして諦めたように唇をかんだ。
 その仕草が痛そうに見えて、指でそっと頬に触れる。周りの女のようにメイクなどしていない顔なのに、危うい色香
 が垣間見えて息をのんだ。咬んだことで色味を変えた唇をなぞると、はじかれたように身を引かれる。

「っゆき…」

 今にも泣きだしそうに眸を揺らして、幸姫が踵を返した。
 政宗は先程まで触れていた柔らかな感触を記憶するかのように、手を握った。周囲には変わらず紅が静かに降り
 積もっていた。










 がやがやと騒がしい校内から、政宗は一足早く脱出する。
 今日で定期考査は終わり、ようやく解放されたのだという気分だ。
 誰かに声をかけられる前に彼女を探したかった。
 あの日、図書館の前で別れてから一度も逢えていない。それまでは自分が逃げ回っていたくせに、いざ彼女から
 無視されると我慢できなかった。
 何故あんなに泣きそうな顔をしたのか、政宗にはわからない。ただ似合うと思っただけなのだ。―――笑って欲し
 かっただけ。
 足早に一年の教室まで向かっていると、前方から一人の男が歩いてくるのが目に入った。
 サイドの柿茶色の髪を後ろで結った男は、政宗に気付くと目を細める。舌打ちをしたい気持ちを押さえて視線を
 外した。

「―――ねぇ」

 すれ違おうとした瞬間だった。足を止めた男が声をかけてきた。
 政宗は振り返ることはせず、ただ止まる。それを聞く気があるのだと悟った男が決して良いとは言えない目つきで政
 宗を見つめてきた。

「俺様の大事なお姫様に―――幸姫にちょっかい出すの止めてくれる?」
「…An?」
「あの子は幸せにならないといけないんだ。…今度こそ」

 思いつめたような媚茶の眸が政宗を射抜く。

「―――傷つけるくらいなら、もう姫にかまわないで。思い出せないなら、そっとしておいてよ…」
「何…言って…?」

 背を壁に打ち付けられる。同時に周囲の音が消えたような気がした。
 胸元を掴まれ、息が詰まる。けれど睨みつけてくる媚茶に浮かぶ焦燥は濃い。

「やっと、やっと幸せになれる時代に生まれたんだ。身分も成さねばならないこともない、あの子が望んだ世に!アン
 タにしか出来ないのに、どうしてアンタはあの子を覚えてないんだよ…!」
「猿、飛…」
「ねぇ、なんでだよ…竜の旦那…!」

 激昂した佐助の声は政宗の胸に深く落ちる。
 人の気配を感じたからか、佐助が政宗を突き放した。途端に耳に戻るざわめき。
 普段の学園となんの変りもないはずなのに、心が―――記憶がどこか遠くに行ってしまったかのような感触を覚え
 た。
 睨みつけてくる、苦い媚茶の眸を知っている。射すくめるようでいて、どこか懇願するようなそれを。
 どこで見たのだろうか。つかめそうで掴めない記憶に、政宗が眉をしかめる。

「俺様が幸姫に触れると射殺しそうな目で見るくせに、自覚してないなんて言わせないよ」
「…Shit」

 わかりやすいくらいに妬いた自覚はある。幸姫には気づかれなかったようだが、元親あたりには苦笑されたのだ。
 元就のように感情をあらわにできるほど、政宗は素直ではない。かと言って幸姫のあの寂しげな表情の意味がわ
 からないまま―――誰かを想って笑うところを目にして、手が出せずにいる。
 今までなら相手の気持などどうでもよかった。欲しければ奪う、離れていくのならそれまでと割り切っていた。けれど
 幸姫に対しては無理強いなど出来ない。
 目を逸らした政宗に、佐助が憐憫と安堵の交じったような顔をした。記憶に引っかかるようなその表情に軽く隻眼
 を瞠る。

「―――触れられないくらい、好きになってくれたんでしょう?」
「………ああ」

 触れるのが怖いと思ったのは初めてだった。
 何人もの女と関係を持ってきたというのに、触れることに躊躇ったのは幸姫だけだ。
 触れたら消えてしまいそうな気がするのだ。―――あの夢のように。
 柔らかな感触を思い出す。逃げられたあの日の紅が目に焼き付いていた。
 あの時浮かんだ情景は、一体いつのものだろうか。
 それがわかれば、彼女をこの手に抱くことが出来る。

「俺は何を忘れてるんだ…?」

 小さな呟きに帰る答えはなく。冷たく感じるようになった秋風が、紅く赤く染まった葉を揺らした。
 彼女の髪を彩った紅が舞い落ちていく。誰かが泣いているような音を立てながら。










 
 
 
 
 
 
 
 


          徒花(あだばな) … 咲いても実を結ばない花
       頑張ってよ筆頭…!と言いたくなるような政宗様ですみません。まとめきれ
       ずに話数を増やすことにしました。
       佐助の登場で話を動かそうとしたんですが、思った以上に難産でした。
       佐助は雪村が幸せなら多分何でもするよ、ってところがあると思うんです。
       兄のように見守って、必要なら手助けして…って感じに。でも政宗が気に
       入らないのも本心でしょうね(笑)

          2011.05.10 咲いても実を結ばないなんて、そんなの哀しいだけだというけれど。