桜が舞う。
互いの姿すらかき消してしまいそうな薄紅色は、離別の証。
泣き笑いの顔で願ったのはあなたの幸せ。

そして季節は巡る。人も世界も全てを変えながら、刻は移ろう。
―――けれどこの想いだけは決して消えぬように。
はじまりの場所で桜吹雪の中に封じ込めた。










     こいめぐり   ― 天花 ―










 冷たい空気が肺に沁み渡り、ひどく痛む。けれどそんな痛みにかまってはいられなかった。
 荒い息を弾ませ、ひたすら走る。部活をしていた頃に息が上がることなどそうなかったのに、今は余裕がないせい
 か、苦しいばかりだ。
 昨晩冷え込んだせいでうっすらと積もった雪の上に盛大に足跡を残しながら、ひたすら走る。ようやく見えてきた学
 園の正門の前には、電話をかけてきた元親、元就、そして佐助が待っていた。

「Hey!元親!」
「政宗!」

 焦燥を含んだ空色の眸が政宗に気付く。
 他の二人も振り向いた。どちらの目も政宗への怒りを隠そうとしていない。
 しかし今はこちらを睨みつけてくる彼らにかまっている暇はなかった。

「幸姫がいなくなったってどういうことだ!」

 元親に掴みかかる勢いで問い詰めると、彼は困惑したような顔をして視線を佐助に向ける。
 佐助が口を開こうとした時、政宗は胸倉を掴まれた。眉を寄せるが、掴んでいるのは目の前の男ではない。
 細い腕に視線辿らせると、剣呑な色の唐茶が下から睨みあげてくる。

「貴様、幸姫に何をした!」
「Ah?」
「元就、落ち着け!」
「我は落ち着いておる!」

 今にも殴りかからんばかりの元就に、元親が腕を離させた。
 彼女が猫だったら、おそらく毛を逆立てて威嚇しているだろう。そのくらいに気を立てていた。
 不安が長じている元就を抱きこむようにして、元親は佐助に向き直る。

「昨日の晩から姿が見えないらしい。…そうだよな?」
「うん。家に帰ってないって朝知ったんだ。あの子はしょっちゅう俺の家に来てるから、両親も気にしてなくて」
「昨日は部活も休みだったのだ。幸姫とは学校で別れたゆえ、我もその後は知らぬ」
「こんな寒いのに…どこに行ったんだか…」

 もう春が近いとはいえ、雪が降るような季節だ。特に昨夜は一晩外にいるだけで、凍えてしまうような寒さだった。
 そんな中、彼女はどこに行ったというのだろうか。
 幼馴染で、彼女をよく知る佐助にもわからないという。
 ならば―――自分にわかるわけがない。
 想いを告げたあの日から、一度も会っていない。姿を見ることも、声を聞くこともなかったのだ。
 卒業式も終わり、登校しなくなった政宗と幸姫が会うことはなく。もしかしたら、もう逢うことはないのかもしれないと
 思っていたくらいで。
 政宗は灰色の空を見上げる。彼女の手がかりは、自分にはない。
 ふいに視線を感じた。そちらを見ると、佐助が静かな目で政宗を見ていた。

「ねぇ、竜の旦那。幸姫に何話したの?」
「…テメェには関係ない」
「姫、泣いてたよ。俺はずっとあの子といるけど…あんなに泣いてるところ見たのは初めてだった」
「…っ」

 どうしても伝えたくて口に出した想いは、そんなに重たいものだったのだろうか。
 答えを聞きたくなくて、彼女の言葉を遮った。
 ずっと好きな人がいるのだと、彼女は口にしていた。諦めきれないのだと。ならば答えなどわかりきっている。だから
 聞きたくなかった。
 ぐっと黙り込んだ政宗の胸倉を佐助が掴む。

「あの子はいつだってそうだ!いつだって誰かの幸せしか考えない!」
「猿と―――」
「あの頃も今も!あの子が想ってるのは…願ってるのはアンタの幸せだけなのに!」

 必死に言い募る佐助の目がうっすらと潤んでいる。
 記憶のどこかで、似たようなものを見た気がする。なのにその既視感は手が届かないところにあって思い出すことが
 叶わない。
 ―――あの夢の中の女性と、同じように。

「あの子がどこに行ったか、わかんないの?」
「俺にわかるわけ…」
「旦那と話したことがきっかけなら多分…アンタにしかわからないんだよ」

 自身を落ちつけるかのように深く息を吐いて、佐助は手を離す。
 唇をかみしめた政宗は、あの頃と違って頼りなさげだ。「奥州筆頭」として、伊達郡をまとめあげていたあの頃とは
 似つかない。
 記憶がないのだから、当然だろう。けれど思い出してもらわなければどうしようもない。彼女の望みは、彼の記憶が
 なければ叶わないのだから。
 ならば代わりに自分の知る彼女のその後を話そう。そうすることで、少しでも彼の記憶のどこかに、引っかかることを
 祈って。

「…あの頃…姫はね、死ぬまで大切にしてたモノがあるんだ」
「は…?」

 唐突に話し出した佐助に、政宗は首を傾げる。
 元親たちも話すのをやめて佐助を見た。

「紅葉の、葉っぱ…。大きな楓の葉っぱだよ。栞にしてあげたそれを、あの子は死ぬまで肌身離さず持ってた。戦場
 でも六文銭と一緒にずっと持ってたよ」

 佐助の静かな眸に焦燥と憐憫が映る。
 抑揚のない声が政宗にとって意味のわからないことを言う。けれどそれを聞き逃してはいけないような気がした。

「春には桜を見ながら、アンタを想ってた。阿梅様のことも、竜玉って呼んでた。一生に一度の恋だって…ずっと手
 の届かない、月のような人だって言ってた」
 
 きつく握られた拳が震えている。
 それは寒さのせいではなく、感情の高ぶりからだろう。

「でも今は違う。今なら叶わなかった恋も、約束も叶うはずなんだ。月にだって、手が届く時代なんだ…!だから俺
 は幸村様を守って、幸せになるところがみたいって…!そう願って生まれてきたのに!」

 彼がこんな風に感情をあらわにするところを見るのは今日が二回目だ。昔は習性からか、いつも飄々として
 ―――。
 いつも、とは。一体いつのことだろう。
 わからない。何もわからないのに行け、と声が響いた。

「チカ!バイク貸せ!」
「あ?」
「持ってんだろ!?key寄越せって言ってんだよ!」

 ざわざわする。これは誰の感情だ。
 ズボンのポケットを探る元親を、焦燥交じりに睨みつける。

「居場所わかるのかよ?」
「I do not know it!けど行くしかねぇだろ!」

 やっと探し当てたらしいバイクのキーを受け取り、政宗は踵を返した。

「Shit…!」

 幸姫がどこにいるかなど、わからない。
 けれど何故か行かなくてはいけないと、脳内で誰かが叫んでいる。
 その声に逆らってはいけない気がした。
 誰かが嘆いている。手をすり抜けた“紅”を想って、涙を流せず泣いている。
 冷たい風に煽られながら、政宗はハンドルをきつく握った。










 幼い頃からずっと見続けている夢がある。
 視界を塞いでしまいそうな薄紅色の花吹雪の中、今にも泣き出しそうな顔で笑う女性が立っている。
 必死で泣くまいと、笑っていようとする様が愛しくて、抱きしめたいのに手が届かない。
 名前を呼びたい。呼ばれたい。
 笑った顔が好きだった。他の女のように悪意や媚を含んだそれではなく、本当に嬉しそうに笑うから。彼女といると
 満たされた。
 初めてだった。誰かを好きだと思ったのも、傍にいて欲しいと願ったのも。
 けれどずっと傍にいることが出来ないことも、結ばれることが叶わないことも知っていた。
 だから約束をしたのだ―――。

「ゆき…!」

 この記憶は誰のものだ。
 切なそうに笑うあの女性は誰だ。
 自分は今、どこに向かっている?

「Damn it!」

 何も知らない。わからない。
 だから身体の動くままに―――心が傾く方に。
 ただひたすらバイクを走らせる。
 真冬の冷気が容赦なく身体を冷やすけれど、そんなことにかまってはいられなかった。
 どこをどう走ったのか、自分でも定かではない。けれど行かなくてはならない。

『出逢えたら…桜を共に、見とうございます。…その頃まで、この樹は残っているでしょうか』
『さぁな…。けど、残ってるといいな。…目印になる』

 脳裏でいつかの声がする。
 絡ませた指が離せなくて、何度も約束を繰り返した。
 この先、涙をぬぐってやることは出来ない。だからせめて笑顔でいて欲しかった。彼女の子どものように純粋で無垢
 な笑みを覚えていたかったからだ。
 春の夜の、夢のような刻。こんなにも誰かを愛しいと思ったことはなかった。二度とないほどに、愛した。

「…幸姫」

 夢の中の女性の顔が、幸姫と重なる。
 彼女の手を取り、顔を歪める男は―――。

「俺、は…」

 バイクを止める。
 そう長くはない石段を見据えて、政宗はヘルメットを外した。
 途端に頬を叩く冷気に身を震わせる。
 この先だ。この先に彼女はいる。
 何故かそう確信した。知らない筈なのに、知っているその風景に、幸姫がここにいると思ったのだ。
 政宗は意を決して石段に足をかけた。







 舞う雪が視界を霞ませる。
 まるであの日のようだ。笑っていたかったのに、涙が止まらなかった。
 あの人の最後の記憶に残る自分は、笑顔でいたかったのに。

「この樹は…あの頃と、変わりない…」

 今は冬だ。最後に見た時と違い、花もつぼみも何もない。けれどこれはあの樹だとわかる。
 春になれば、また美しい花をつけるのだろう。その時、自分はここに一人立つ。
 交わした約束は、二度と叶うことはない。彼は何も覚えておらず、もうすぐ幸姫の手も想いも届かない所へ行って
 しまう。
 彼に想いを告げられた時、言ってしまおうかと思った。自分もずっと想っていたことを。
 けれど彼の藍色の眸に映った覚悟に、何も言えなくなった。
 記憶があろうが無かろうが、彼が「彼」であるなら、それでよかった。
 そう、思っていたはずなのに。

「私は強欲だな…」

 幸姫は自嘲の笑みを浮かべて、細く息を吐く。
 真っ白な息が冷たい風に溶けて消えた。このまま自分も、融けてしまえたらいいのに。胸の内に深く根付いた想い
 も。いっそ、自分も忘れていたら―――。

「ま、さむ…ね…どの…」

 じわりと込み上げてきた涙を払うために、きつく目を瞑る。
 嬉しい、苦しい、寂しい。彼を好きになって、幸せで。でも同時にひどく恐ろしかった。
 覚えていないのは―――幸村が忘れて欲しいと告げたからだろうか。それとも、忘れてしまいたいと、彼が願ったの
 だろうか。
 秘密を残して死地へ旅立った自分を、彼はどう思ったのだろう。
 自分を抱きしめるかのように、腕を回す。樹の前に座り込んで、幸姫は果たせないままの約束を想った。
 心が凍ってしまえばいいのに。そうしたら、涙など流さずに済むのに。
 身体が冷えているのだろう。膝にこぼれる涙がひどくあたたかい。

「―――ゆき!」

 背後から叫ぶように呼ばれた名前。駆け寄ってくる気配。
 よく知る人の―――恋焦がれてきた人のそれに目を開ける。
 恐るおそる振り向いた先には、「彼」が立っていた。







 まだ芽吹くには少しだけ早く、花も何もない木々は妙に寂しく感じられた。
 来たことのない場所のはずなのに、自分はここを知っている。一本の桜の大樹を目印に、何度も城を抜け出して
 いた。
 逸る心を押さえながら石段を登る。
 ふいにはらりと落ちてきたものに、藍色の眸を瞠った。

「花びら…?」

 いや、違う。暦の上では春なのに、良く降るそれは花びらではなく、雪だ。
 ひらひらと風に遊ばれるそれは見覚えがある。
 ―――あの日もこんな風に花びらが、桜が舞い散っていた。
 泣き笑いをしているのに、凛とした茜色。政宗の知るどの姫君とも違う傷のある指は、離したらもう掴めない。互い
 の姿も儚くなりそうなほどに、花びらがすべてを覆い隠していく。

「あの日って…いつだ…?」

 脳裏に浮かぶ情景は、確かにこの場所。
 ただし白い雪ではなく、薄紅の欠片。自分の着ているものも、濃藍色の着流しだ。
 ここで別れましょう、と彼女は言った。

『あなたの“ゆき”はここで消えまする』

 涙を堪えているくせに、気丈に笑うその姿に愛しさが募る。
 連れ去ってしまいたかった。夢で終わりになど、したくはなかった。
 それが出来ないこの身が憎くて、辛くてどうしようもない。
 だから約束をした。今生で叶わないのなら、来世にかけようと。今度こそ、共に生きようと。

『必ずだ。どんなに姿や形が変わっても、お前を見つけて今度こそ離れない』

 そう、誓った。
 忘れて欲しいと彼女が願っても、忘れまいと。
 けれど彼女が逝き、残されたものを知った時、愛しくて残酷な彼女を少し恨んだ。
 死ぬまでそれは政宗の胸の内に、ひっそりと傷を残した。
 ぶり返したような胸の痛みに歯を食いしばる。
 恨めしかったんじゃない。―――傍にいることが出来ずにただ、悔しかったのだ。
 石段が終わり、開けた土地に巨木がある。その根元に、幸姫が蹲っていた。
 紅いコートが夢の中の女性の着物と重なる。彼女もああしてあの樹の前にいた。
 寄る辺ないその姿が、重なっていく。遠い記憶の女性が振り向いて微笑む。その、顔は。

「―――ゆき!」

 叫ぶようにして呼ぶ。
 びくりと肩を揺らして、恐々と振り返った茜色には涙の痕。
 紅く染まったそれが痛々しくて思わず駆けだそうとした時だった。

「…来ないで下され!」

 か細くも鋭い声が、政宗を拒む。
 あまりに必死なその声に、足が凍った。
 なんとか舌を動かして、彼女の名前を紡ぐ。

「ゆき、」

 しかし呼び終える前に、彼女が駄々をこねるように首を振った。
 きつく瞑られた目から、涙が飛び散る。

「来ないで下され…。今、今…あなたの顔を見たら…言ってしまいそうになる」
「…何を」
「私は傲慢なのです。…忘れて欲しいと願ったのは私なのに、あなたは何も悪くなどないのに…!なのに、私は
 ―――どうして忘れてしまったの、と。…恨み事を吐いてしまいそうでござる…」

 小さな声だった。けれど二人しかいないそこに響いて落ちた。
 顔を覆うようにして泣きだした幸姫に、政宗は駆け寄る。
 跪いて細い肩に手を置くと、冷たい身体が震えた。痛々しい様に、政宗は眉を寄せる。

「お前は悪くない」
「まさ…」
「謝るべきは俺だろう?…約束をしたのに、こんなに泣かせちまったんだ」
「まさ、むね…殿…?」
「ここにきて、ようやく思い出すなんて…俺はどれだけお前に醜態さらすんだろうな」

 驚愕に茜色を見開いて見上げてきた幸姫の頬を両手で包む。額を重ねるように顔を近づけた。近すぎて視線が
 合わない。見えるのは、互いの眸の色だけ。

「―――幸村」

 息をのむ音を間近で聞いた。潤んだ茜色に歪んだ笑みを見せる。
 倖せにしたいと願った女(ひと)に、こんなにも辛い思いをさせた。
 再会して、記憶がないと知った時、彼女は政宗をどう思ったのだろう。きっと哀しかった。切なかった。共に生きよう
 と約束をした相手が、何もかも忘れていただなんて。
 もし、自分たちが逆だったら―――。幸姫が何も覚えてはおらず、政宗だけが覚えていたら。そしたらきっと、政宗
 は彼女のようには出来ないだろう。相手が幸せであればいいなど、とても願えない。

「悪かった…。ひどいことをした。どれだけ責めてくれたっていい。だから―――約束を果たさせてくれ…!」

 心なしか、自分の声が震えていた。背にまわした腕に力を込めると、幸姫が大きな眸から堰を切ったかのように涙
 をあふれさせる。唇でその涙をすくうように吸い取るけれど、間に合わないほどだ。

「幸村、ゆき…」
「まさ、むね、どの」
「悪かった、本当に。…何があったとしても、アンタのことだけは忘れちゃなんねぇのに…」

 目頭が熱い。
 幸姫の嗚咽と、何度も呼んでくる名前に頷きを返しながら謝る。
 泣かせたいわけじゃない。けれどあの時代を過ごしてから永い時の中で、傍にいた忍びにすら泣く姿をほとんど見
 せなかった彼女がようやく泣いている。泣きじゃくるその声は、産声にも似て―――。
 永い時を経て、やっとこの腕の中に取り戻したぬくもりをきつく抱きしめ直した。





 バイクの後ろに幸姫を乗せ、標識を確認しながら走らせる。
 どうやら幸姫は電車を乗り継いできたらしい。
 財布とちょっとした荷物だけで、携帯電話は充電が切れてしまったと言う。そんな状態でよくここまで来たと思う反
 面、それほどまでに追い詰めてしまったのかと苦く思った。
 帰ったらたくさん話をしよう。そう決めてまだ春にはあと一歩届かない道をバイクで駆けた。

「―――あ…」

 不思議と耳に届いた幸姫の声に、バイクを止める。
 振り向くと、幸姫がヘルメットをつけたまま空を仰いでいた。

「…どうした?」
「雪が…風に乗って流れてきたのでしょうか…」

 つられるようにして視線の先を追う。
 あの桜の樹がここからでも見えている。そのあたりに白い花びら――雪が舞い散って。
 まるであの日を再現したかのような、そんな情景がそこにあった。
 別れるしかなかったあの時代。たくさんの後悔と愁いを抱いて生きた。そうしてまた同じ時代に巡り逢って、今度は
 その手を取ることが出来る。
 政宗は自分と幸姫のヘルメットを外した。急に軽くなった頭に、幸姫が軽く目を瞠る。大きな茜色が見上げてくる
 のに、そっと笑いかけた。

「…春になったら、桜を観に来よう」
「え…」
「今度は一緒に行って、一緒に帰るんだ。…You see?」

 冷たい手を握ると、そこから生まれる熱。
 涙で潤んだ幸姫の眸に、泣き笑いの政宗が映っている。
 この幸せを、なんと言葉にしていいのかわからない。政宗は細い身体を抱き締めると、耳元で囁いた。
 晴れやかに破顔した幸姫は自分を包む腕に手を添える。そっと重なった唇は、ほんのりあたたかくて幸せだった。










「幸姫…!」

 幸姫の家に帰りついた時には、もう日が暮れていた。
 まだ冬と言って差し支えのないこの時期は日暮れが早い。しかし元親も元就も佐助の家で二人の帰りを待ってい
 たようだ。
 玄関から駆けだしてきた佐助を見て、幸姫がすまなそうに眉尻を下げた。

「ただいま、佐助」
「…おかえり」
「すまない、心配させたな…」

 小さな声に、佐助は首を横に振る。けれど泣きそうな顔をしている幼馴染はきっとひどく心配したのだろう。待って
 いてくれた元親と元就にも、心配をかけてしまった。
 俯いた幸姫を労わるように、大きな手が栗色の頭を軽く叩いた。振り返ると、政宗が目を細める。
 バイクを止め、ヘルメットを外した政宗は、佐助に向き直ると幸姫の腰を抱いた。

「―――悪かったな、猿」
「…その言い方…思い出した、の…?」
「Yes. I remembered it.」

 不敵に笑うその様は、まさしく佐助の知る「伊達政宗」だった。
 幸姫の幸せそうな笑みに、約束が叶ったのだと。そう知れた。
 熱くなる目頭をごまかすように、佐助は幸姫を引き寄せ抱きしめた。近くで政宗が顔をしかめたけれど、そんなこと
 は気にしない。散々やきもきさせられたのだ。前世からずっと大切な人が、やっと幸せになれる。

「良かったね…旦那…!」
「佐助…」

 小さな声で囁かれた感謝の言葉に首を振る。
 大切な少女の幸せがひどく嬉しくてたまらない。
 いい加減離れろ、と政宗が怒りだすまで、佐助は幸姫を抱きしめていた。

「伊達」
「…Ah?」

 軽やかだが、低く響いたその声に振り向くと、元就が仁王立ちして、政宗を見上げている。
 その隣では元親が目を細めて笑っていた。
 ずいっと小柄な少女が進みでてくる。元就は泣いていたのか赤くなった目尻をしていた。

「この大阿呆めが!」

 唐茶色の眸が政宗を鋭く睨みつける。拳を振り上げられ、避ける間もなく腹に一撃を入れられた。勢いのままに
 直撃したそれは、かなり痛い。
 思わず上半身を折ると、殴った本人は満足したとでも言うように踵を返す。
 その背を呆然と見送っていると、おかしくて堪らないとでも言うような笑い声が降ってきた。
 視線をよこすと、空色の眸が真っ直ぐに政宗を映す。

「―――後悔しないように、出来たのかよ?」

 前の世でもそれなりに交流のあった元親の言葉に、頷きを返した。
 心配をかけたと思う。彼は面倒見のいい性格をしているから、政宗と幸姫のことをいつも気にかけてくれていた。

「これからどうするつもりだ?―――夏になったら…」
「…留学の件なら、取り消すつもりだぜ。家のことは…まだ無理だけどな」
「…いいんだな」

 確認交じりの問いに静かに頷く。

「行こうと思えばいつでも行ける。…今は幸の傍に居たい」
「そうか…よかったな、政宗」

 明るく笑う元親に、政宗も淡く微笑む。
 危うさの消えたその笑みは、まるで人が変わったようだ。あながち間違いではないだろう。記憶がよみがえり、大切
 なモノをこの手に抱き締めることが出来た。
 かつてないほどに満たされているのだ。

「俺は元就の記憶がなくてよかったって今でも思ってるぜ」

 小さな声に、政宗は藍色の眸を瞠る。元親はいつもの明るい表情ではなく、どこか老熟したような目で元就を見
 ていた。
 その声に、視線に、元親にも記憶があるのだと、初めて知る。幸姫や佐助は知っていたのだろう。けれど何も覚え
 ていなかった政宗にはそんな素振りは見せなかった。
 じっと見つめると、元親が自嘲の笑みを見せて近くの壁に寄りかかった。

「俺にもあるぜ。前世の…戦国を生きていた頃の記憶がな。だから幸村のこともすぐにわかった。もちろんお前のこと
 も…元就のこともな」
「元親…」
「俺らは…俺と元就は前世じゃ啀み合ってた。だからあいつが何も覚えてないって知った時、ものすごく感謝した
 ぜ?忘れていてくれたからこそ、こうして共に在れるんだからな」

 空色の眸はひどく優しい。
 おそらく覚えていないのが普通だ。けれど政宗たちの場合は、強く願ったことがあった。どうしても叶えたい約束が
 あった。もしかしたら、彼らにも何かしら強い想いが芽生えていたのかもしれない。


『…愛しています、政宗殿。きっと…きっとどの世でも私は貴殿をお慕いするのでござろう』


 桜の季節が来る。
 全てを覆い隠すような花びらが視界を塞いでいた。その最中で、少女が微笑む。
 ―――手を伸ばせば、届く距離にいる。
 それがどれほど幸せなことか、誰よりも理解(わかっ)ているのだろう。

「…幸」

 佐助や元就と話をしていた幸姫が、振り向いた。
 首を傾げる少女を手招くと、身軽に駆け寄ってくる。

 ―――桜の季節が来る。
 始まりの季節が、また繰り返される。
 想いを重ねて、そして紡がれていく願いがある。

「政宗殿」

 満面の笑みと共に伸ばされた腕を掴み、政宗はその細い身体をしっかりと抱きしめた。
















 
 
 
 
 
 
 
 


          天花(てんか) … 雪を天から降る花にたとえて言うこと。
       大変お待たせいたしました。これにて「こいめぐり」終幕にございます。
       筆頭が思い出してそれから…って最後がどうしても思いつかなくて、兄貴に出張っていただくことに。
       けれど瀬戸内の二人のことも少し入れられて満足です。
       ここまで読んでくださった方に、感謝を。ありがとうございました。
       
          2011.07.29 めぐる季節を、ずっとあなたと共に。