過去拍手文 BASARAダテサナ♀
  「飴色リネン」様 (http://ameirolinen.jugem.jp/)より お題「恋人は芸能人」をお借りしました。










     テレビの中のあなたとは毎日のように会えるのに






 パタパタと軽いスリッパの音を響かせて、リビングへ駆け込む。
 時計を見上げると、現在午後8時58分。―――ギリギリだ。
 毎週決まった曜日の午後9時、幸村は必ずテレビの前に陣取っている。なぜなら「彼」がテレビの向こうに居るか
 ら。

「あ、始まった…」

 光り輝く画面の向こう、黒髪に隻眼の青年はシニカルな笑みを浮かべていた。
 ソファーの上で行儀が悪いと知りながらも膝を抱える。

「…相変わらず、かっこいい」

 少し長めの髪をかきあげる仕草も、目を細めて笑う仕草も全部嫌味なくらい似合っていて。
 今のドラマの配役もハマりすぎている。彼の役はとある老舗の御曹司、だ。主役ではないものの、ドラマの中では
 主人公についで重要な役どころ。
 他の番組にもひっぱりだこな彼の名は「伊達政宗」。15歳でデビューした若手俳優の中でも知らないものはいない
 のではないかという、飛ぶ鳥を落とす勢いでブレイク中の世の中の女性のみならず、男性すら魅了する俳優だ。そ
 の端正な顔立ちとルックス、物怖じしない人の上に立つことに慣れているかのような性格。そして抜群の演技力。
 テレビで、街中のポスターで、彼を目にしない日はない。
 幸村はため息とともに画面の向こうに居る彼をただただ見つめた。

『…我慢しすぎだろ。少し…泣けばいい』
『…なんで?私、大丈夫よ…』
『―――これなら誰にも聞こえないだろ?泣けよ…』

「…あ」

 主人公の少女が片思いに苦しくなったシーン。彼の役は彼女に恋をしている。だから他の男を想う少女を慰めて
 いるのだ。
 可愛らしい売り出し中のアイドルをきつく抱きしめている姿に、ほんの少し胸がちくりと痛む。
 ドラマだとわかっていても―――好きな人が他の女性を抱きしめるのは苦しい。けれどこれが彼の仕事で、幸村は
 そんな彼が好きで。

「…いいなぁ、あの子」

 政宗に抱きしめてもらえて。
 続く言葉は呑み込んで、膝の間に挟まったクッションを握り締めた。





 幸村が政宗と知り合ったのは、従兄弟が務める会社が彼の所属事務所だったから。
 従兄弟の佐助は武田の家で共に暮らしている。武田信玄は幸村の大伯父に当たる人物だ。幸村の両親は彼
 女が幼いころに亡くなったため、信玄が引き取った。佐助も似たような境遇で、二人は兄妹のように育ってきた。
 佐助は政宗のマネージャーをしている片倉という人に仕事を教わっており、どういう経緯でか彼らを連れて帰宅し
 た時が政宗との出逢いだった。
 芸能人に疎いという自覚はあった。だから彼を見ても誰だか分らなかった。ただ、テレビで見たことがある、くらいの
 認識しか。幸村が騒がなかったという点が彼にとっては新鮮だったらしい。
 それから幾度か会ううちに、幸村の中の彼の存在は大きくなっていった。
 意見の食い違いゆえの口論や喧嘩をたくさんした。仲良くなんて絶対になれないと思った。けど、熱があろうとどれ
 ほど疲弊していようと、ファンに応えようとするところだとか責任感の強さだとか。会えば大抵幸村をからかってばかり
 のくせに、不意に見せる優しさだとか。
 一年も経つ頃には彼の出演する番組、雑誌を片っ端から見てしまう自分がいた。絶大な人気を誇る政宗に見
 惚れるようになった。会えなくてさみしい。声を直接聞けなくて切なくなる。そんな気持ちに気づいた時にはもう遅
 かった。幸村は彼を好きになっていた。
 気づいてからは政宗から時折送られてくるメールや電話に出ることが出来なくなった。気持ちを知られるのが怖く
 て、どうしていいかわからなくて。
 そうして幸村が自分の気持ちを持てあましていた頃。仕事の合間に無理やり寄ったのだと言う政宗が、幸村の部
 屋に乗り込んできたのだ。
 あの時の政宗の顔は、きっと忘れることなど出来ないだろう。テレビの中ではあんなに不遜に笑っている自信家の
 政宗が、不安に彩られた眸をして顔を歪めて、小さな子供みたいに俯いて肩を強張らせている姿。
 驚く幸村を捕まえて、囁くように想いを告げてくれた。

 幸村がいないと苦しくなる―――。
 それは懇願するかのような声音だった。

 彼はみんなのもので、どんなに好きでも届かないと思っていた。でもこんな風に逢いに来て、本当の政宗を見せて
 くれるのなら。苦しくてもいいから、傍に居たいと思った。
 その日から二人は恋人同士になった。
 二人の関係はもちろん秘密。知っているのは彼の事務所の上層部と片倉、そして佐助。幸村がどうしてもと信玄
 には話したが―――。
 公に出来ないことは政宗の仕事上仕方のないことで、それらは覚悟の上だった。不安や切なさが消えることはな
 いけれど、それでも近くに在りたかったから。




 ドラマの合間のCMで、政宗が不敵に笑う。
 カメラを構えてまるでこちらを射抜くかのような目をして。

「…政宗」

 直接会ったのはいつだろう。思いだせないほど前ではないが、目に入ったカレンダーの日付を見てため息が出た。
 こうしてテレビの前では一方的に会えるのに、実際生身の彼に会えるのは2、3カ月―――もしくは半年だなんて
 ざらにある。
 寂しいと思う自分がいる。けれどこうしてテレビや雑誌の中の彼にはいつでも会えるし、仕事の大変さも知っている
 つもりだ。だから、絶対に言わない―――言ってはいけないと決めている。
 困らせたくはない。けれどたまにどうしようもなく切なくなる。
 今も彼の隣では自分以外の誰かが笑っている、傍に居る。そう思うと胸がキュッとなる。隣に居る誰かが羨ましく
 て、苦しい。幸村には誰かの前で彼の隣に立つなんて、出来ないから。
 画面の向こうの政宗をじっと見つめる。遠距離恋愛のようなこのもどかしさも、会えばすぐに忘れられるから。

「…頑張れ…政宗」

 テレビの中のあなたとは、毎日のように会えるから。だから、大丈夫。
 幸村は小さく呟いて、画面越しに口づけた。













     お忍びデートはスリルがいっぱい






「…あれ?」

 部屋に戻ると、テーブルに置きっぱなしにしていた携帯電話のランプが光っていた。

「珍しいな…」

 チカチカと光るランプの色は―――蒼。特定の人物にだけ設定してあるその色に、幸村は目を瞬かせる。
 こんな時間に彼から連絡が来ることは珍しい。
 携帯電話を手に取り、設定した時のことを思い出した。



『幸、ちょっとケータイ貸せ』
『え?』
『お前初期設定から全然変えてないだろ』
『ああ…そういえば…。私、そういうのはあまり気にしないし』

 携帯電話の設定なんて、どうでもよかった。メールや着信の相手は大体決まっていたし、アドレスに登録していな
 い人からのものはすべて拒否出来るようにしてもらっている。ちなみにその設定をしたのは佐助だ。
 政宗にそう話すと、彼は幸村の携帯電話を開き、色々とボタンを押し始めた。

『政宗?』
『…なぁ…What color do you like?』
『え?』

 向けられた画面に表示されているアドレスは政宗のもの。質問の意図がわからなくて首を傾げると、簡単に説明
 をしてくれる。

『で、俺の着信だけ色変えようと思って』

 そしたらすぐに俺からだってわかるだろ?
 そう唇の端をつり上げて笑う彼に、幸村は少しだけ考えた。
 自分の好きな色より、どうせなら彼の好きな色がいい。―――政宗似合う色。

『…蒼』
『Why?』
『…政宗の、色だから…』

 彼には蒼が似合う。深い蒼が。
 だからそう言うと、政宗は満足そうに笑った。

『じゃぁ幸は紅だな』
『うん?』
『俺のケータイ、幸の着信は紅なんだよ』

 好きだろ?と自信満々に言うから、なんだか嬉しくなった。




 開くと、やはり政宗からのもの。既に30分ほど時間が経っており、折り返して繋がるのだろうかと思案していた時
 だった。

「わわ…!は、はい!」
『…幸?What are you upset by?』

 突如かかってきた着信に驚いて、携帯電話を落としかけたとは言えず、黙り込む。
 けれど政宗はまるで見ていたかのように電話の向こうで笑った。

『どうせ着信に驚いてケータイ落としかけたとかだろ』
「うぅ…」

 行動パターンがわかりやすいとよく言われる幸村は、言い返すことが出来ない。
 小さく笑い続ける政宗に唸っていると、囁くように『So cute』と言われた。

「もう…からかってばっかり…」
『Sorry. 今、時間いいか?』
「ん、大丈夫だよ。政宗こそ今日仕事は…?」

 いつもならまだ普通に仕事をしている時間のはず。人気俳優である彼には移動時間くらいしか休む暇はない。こ
 んな風にいつもと違うことがあると不安になる。
 そんな幸村の不安を感じたのか、苦笑が返された。

『No problem. 今日の分はもう終わったんだ。予定されてたやつが向こうの都合で急にキャンセルになってな』
「そうだったんだ…」
『それでな、幸。お前明日の予定は?』
「へ?」

 思わずきょとんとすると、政宗が楽しそうに話しだした。

『明日久々にfreeなんだよ。で、猿飛のやつが幸も明日学校休みのはずって言ってたからな』
「…確かに私の学校は明日創立記念で休校…」
『ならちょうどいいな。―――デートしようぜ』








 いつも学校へ行っている時に通る駅前のロータリー。
 目前に高層ビルが立ち並ぶここは、よく待ちあわせに使用される。
 平日とはいえそれなりに人は多く、幸村はため息を吐きだした。
 久しぶりに逢えるのはとても嬉しい。なにしろドラマの撮影が一度始まると、確実に3ヶ月は逢えないのだ。けれど
 休みの時くらいゆっくりして欲しいのが本音。どちらかの家でただ傍に居るだけでいい。出かけてしまえばその分マス
 コミやファンに気を配らないといけなくて、神経をすり減らしてしまいそうなのに。
 いくら変装したり、休日ほどの人込みではないとはいえ、二人でいるところを撮られでもしたら厄介だ。
 幸村は政宗の足を引っ張るのだけは耐えられない。
 けれど―――こうして「出かけよう」と。普通の恋人のように映画を観たり、食事をしたりしようとしてくれる政宗の
 気持ちはとても嬉しかった。

「でもだからって…こんなとこで待ち合わせしなくてもいいと思うんだけど…」

 駅を出てすぐにあるビルの大画面には政宗のCMが今日も絶賛放映中だ。
 彼曰く、「灯台もと暗し」で画面に気を取られるから本人がいてもわからないものらしい。
 そういうものだろうか。幸村だったら政宗がどこに居てもわかる。
 ふと顔をあげると、ちょうど画面の中の政宗と目があったような気分になる。射抜くような藍色の隻眼は、幸村を簡
 単に絡め取ってしまうから。

「…無駄にかっこいいんだから…」
「…どういう意味だ、それ」

 画面をじっと見つめながら呟くと、背後から不機嫌そうな声が聞こえた。
 堕ちてきた影に振り向くと、少し不機嫌そうに目を細めた政宗が立っていた。サングラスが眸の色を隠してしまって
 いるのが惜しい。

「政宗?」

 隣に立ち、先程幸村がしていたように大画面の中の自分をじっと見つめている。いや、見つめると言うよりは睨み
 つけている、が正しいだろう。
 何故そんな顔をするのかわからず首を傾げると、ため息を吐いた政宗が大きな手で幸村の目元を覆った。

「わ、何?」
「…Do not look very much.」
「え?」
「だから…あんま見んなって言ってんだよ」
「……なんで?」

 本当にわからなくてそう問うと、彼は鼻先が今にも触れそうな距離で囁いた。

「―――今、本物の俺が目の前に居るだろう?」

 画面の自分ばかり見られると、自分に妬きそうだと。
 そんなことを言う政宗の頬はほんのりと赤かった。





 デートとはいえ、あまりうろうろとしていては、いつ何があるかわからない。
 結局二人で映画を観て、隠れ家のようなカフェでお茶をして、デートは終わりだ。
 それでも充分に満たされる。
 手をつないで、横を歩いて。他愛もないことを話すだけで。
 再び待ち合わせをしていたロータリーへと戻る。今日はこのまま政宗の住むマンションまで行く予定だ。
 明日は学校だが、佐助が何とかしてくれるだろう。
 せっかく会えたのだ。―――ギリギリまで一緒に居たい。
 ビルの大画面には相変わらず政宗のCMが流されている。

「…いつもね?」
「あ?」
「ここ通る時はあのCM見ちゃうの。私だけじゃなくて…みんな結構足を止めてみてるけどね」

 誰もが政宗を観ているのだ。彼にはそれほどに人を惹きつける華があるから。
 ジーンズにシャツのラフな格好をした政宗が本とコーヒーを片手に寛ぐだけのCMだが、幸村は気に入っていた。

「なんかあのCMの政宗は私と部屋に居る時の政宗に近い感じだからかも」
「…そりゃぁ…あの撮影の時はアンタのこと考えてたからな」
「え?」
「あのセット、俺の部屋に似てるだろ。わざわざ似せてもらったんだぜ。…あとはあそこに幸がいれば完璧だよな」

 小さく笑う政宗はそう言って幸村の腰を引き寄せた。
 急に身体を襲った浮遊感に細く悲鳴をあげる。

「幸村」
「なに?」
「今はあれ観る必要、ないだろ?」
「え?」
「あんまり画面ばっか見てると、本気で妬く」

 至極真面目に告げてこられると、何と返せばいいのか分からなくなる。
 戸惑う幸村に口角をあげた政宗が、繋いでいた手を強く引く。米神に柔らかな感触がしたかと思うと、ちゅ、と可
 愛らしいリップ音が聞こえた。その音にようやく何をされたのか知る。

「―――破廉恥!」
「何を今更」
「こんなとこで…」
「なら部屋ならいいのか?」

 どうせこれから朝まで過ごすんだしな、と。
 耳元で意地悪く囁く政宗の背中を握った拳で殴った。
 きっと今の自分の顔は赤いのだろう。
 機嫌良く笑う彼の声を聞きながら、繋いだ手は放さないまま歩き出した。










     2010年クリスマス 公共電波で愛を叫ぶ






 12月の初め、ふと眺めていた雑誌に掲載されていた写真。
 幸村は嘆息しながら目を輝かせた。

「どうした?」
「あ。これ…」
「ああ、イルミネーションか」
「うん。綺麗…」

 近くのレジャーランドにある洋館を模した建物の門が、クリスマスシーズンは毎年ライトアップされる。
 今年は趣向を凝らしたものになっているのだと言うそれは、確かに美しかった。
 写真でもこれほどなのだ。実物はきっと、もっと素晴らしいのだろう。
 目を奪われている幸村を眺めながら、政宗はそっと携帯電話を手にした。


「幸」
「んー?」

 ちゅ、と頬に落とされたキスに振り向くと、政宗が目を細めて雑誌を取り上げられた。
 赤くなっただろう頬を押さえながら睨みつけるが、きっと効果はないだろう。

「せっかくのオフだ。…雑誌より俺にかまえよ」

 You see?とお決まりの文句と共に、抱きあげられる。
 座らせられたところは、政宗の膝の上。がっちりと背に回った腕に嘆息しつつ、幸村も腕を伸ばした。










 12月24日。世間ではクリスマスイヴともあって、街中が浮かれているようだ。
 今日が終業式だった幸村も、帰り際に友人たちからパーティーをしないかと誘われていた。
 けれど、なんとなくそれらをすべて断って帰途につく。
 空はどんよりと、分厚い雲に覆われていた。朝のニュースで今夜からひどく冷えると言っていたし、この分では雪が
 降るかもしれない。

「ホワイトクリスマスかも…」

 白い息とともに小さく呟く。
 駅の周辺では、可愛く着飾った女の子やその恋人だろう男性、親子など、様々な人であふれていた。
 ―――本当に傍に居たい人は、きっと今もカメラの前だ。
 この時期は毎年忙しくて、電話すらままならない。
 これから年末に向けては特別番組だとか、年が明けても何かにつけて仕事に決まっている。
 それを寂しいとも思うけれど、知っていて恋人になったのだから仕方がない。
 今日はきっと彼が忙しいなら従兄弟の佐助も忙しいし、信玄も会社の忘年会だと言っていた。

「…パーティ、行けばよかったかなぁ」

 一人で過ごすなんて、寂しすぎる。
 けれどたったひとりに逢えないのなら、誰と居ても同じで。
 幸村は小さくため息を吐き出して、赤いマフラーに鼻より下を埋めた。







『政宗、今日はクリスマスイヴだねー』
『ん?ああ、そうだな…』
『こんな日まで仕事だなんてさ、俺ら寂しくない?』

 テレビの生番組で、彼を見つけた。
 そう言えば今日はこの番組に出るって、佐助が言ってた気がする。
 クリスマスだからかは知らないが、濃紺のスーツを着ていた。珍しい、彼が赤いネクタイを締めているなんて。
 佐助が作り置きしてくれていた夕食は、いつもよりほんの少し豪華だった。美味しいそれを食べる手を止めて画面
 に見入る。
 着崩した首元には、もう何もない。もう20日以上前につけた紅い痕なんて、とっくに消えてしまっているだろう。
 自分の身体に残っていたものも、遠の昔に消えてしまった。

『仕方ねぇだろ?』
『そうだけどさー、クリスマスだよ?恋人と過ごさなきゃでしょ!』
『…お前の頭ん中はそればっかだな…』

 呆れたように言う政宗は、幸村のことなど忘れてしまっているように見える。
 でも―――。

『ま、イルミネーションくらい観たいけどな』
『え!?恋の予感??』
『さぁな』

 アルカイックスマイルを浮かべた彼が、おもむろにネクタイを手に取る。
 カメラに目線をやり、見せつけるかのようにネクタイに口づけた。
 観客の沸く声と、どよめきをものともせず、にやりと笑ったまま。

 ―――紅は幸の色だな。

「っ…ばか…」

 テレビ越しに、熱烈な告白を受けた気分だ。
 絶対に今、顔が赤い。
 意味深なセリフに画面の向こうで政宗が問い詰められている。余裕の表情で笑う彼は、きっとこのあと小十郎の
 お説教が待っていても、笑っているのだろう。
 今家に誰もいなくてよかった。きっと今自分の顔は真っ赤で、人に見せられるものではないから。









 あと30分ほどでイヴが終わる。
 2時間ほど前、なんだか無性にケーキが食べたくなってコンビニに行った。
 夜に出歩くのはいつもなら佐助に怒られるから出来ないけど、今日はいないのだから大目に見て欲しい。
 クリスマスにケーキがないなんて拷問だ。明日になればきっと腕によりをかけて作ってくれると知っているけど、今日
 食べたかった。コンビニケーキで我慢したのだから、明日はもっと美味しいのが食べたい。
 外は当たり前だが真っ暗で、キンキンに冷えていた。雪が降っていないのがおかしいくらいに寒い。

「…寝ちゃおうかな」

 こんなに寒いのだから、起きているよりは寝てしまった方がいい。けれどその前に、お風呂に入りたい。一度夕食の
 後に入ったけれど、手足が冷えてしまっていて眠れそうにないのだ。
 パタパタと着替えを持って脱衣所に向かっていると、リビングに置きっぱなしにしていた携帯電話が鳴った。

「えぇ?」

 こんな時間に誰だろうか。
 思い当たる人物がいないわけでもないが、今日は忙しいはず。
 しかし信玄がこんな時間に、ましてや携帯電話にかけてくることはないし、佐助もしないだろう。学校の友人たちも
 この時間は控えている。
 不審に思いながらも鳴り続ける携帯電話を手に取った。ランプの色は―――蒼。

「…はい?」
『…悪い、寝てたか?』

 少しだけ困ったような低い声。
 間違えようもなく、彼からの電話。
 幸村は見えないと知りつつも、首を横に振った。

「起きてた…。どうしたの、こんな時間…仕事、は?」
『終わらせた。夜の生放送、観てたか?』
「っ…み、た」
『小十郎にすげぇ怒られた。角見えたかと思ったぜ』
「馬鹿…。あんなこと、言うから」

 嬉しかったけど、でも怒られるに決まっている。きっと上手くかわしたとは思うけれど、どこから尻尾を掴まれるかわか
 らない世界なのに。
 幸村の言いたいことがわかったのだろう、電話の向こうで彼が笑う。

『俺は別にバレてもいいんだけどな。…けど、幸が傷つくと困るから、まだ言わねぇ』
「政宗」
『けどさ、こんな日くらい幸と過ごしたいってのはマジ』
「ん…」
『こんなイベントも誕生日も…傍に居てやれなくてごめんな』
「いい。大丈夫…。テレビ見たら、政宗いるから」

 抱きしめてもらえないとか、キスが出来ないとか。寂しいけど。
 でも我慢できるのは、何かにつけて想いを伝えてくれるから。
 それはテレビ越しに、電話越しに、こっそりと行われる二人の約束。

『…会って幸のこと死ぬほど愛したい』
「……はれんち」
『しょうがねぇだろ。そのくらい、アンタのことしか考えられないんだから』

 自分も同じだとは、恥ずかしくて返せない。
 けれどきっとそんな思いすら、彼はわかっているんだろう。

「そういえば仕事終わったって…」
『Yes. そろそろそっち着くから、防寒準備しとけ』

 めちゃくちゃ寒いぞ、という呟きに思わず呆けた。その間に携帯電話から聞こえてきたのは電子音。
 その後すぐ家の前に車が止まる気配がしたと思ったら、閉めたはずの鍵が開く音がする。
 警戒する間もなく、苦笑する従兄弟がリビングの扉を開けた。

「よかったよ、旦那が起きてて」
「佐助…」
「さ、コート着て。えっと…もう一枚くらい着た方がいいかな?それともカイロ貼る?」
「コートだけで…って、え?」
「じゃ、行くよー」

 訳がわからないままコートを着せられ、玄関に向かう。
 門の外に人影と夜に沈みそうな車が見えた。
 近づくにつれ、その人影が誰だかわかる。

「Hey!幸」
「政宗?」
「早く乗れよ」

 運転手はやはり小十郎で、出迎えた政宗は口元を引き上げて笑った。
 皆が乗り込むと、車は滑るように走り出す。

「何?なんで三人とも…」

 首を傾げながら問うと、隣に座っていた政宗が幸村を引き寄せた。

「急に悪いな。…今日中には間に合わないかと思った」
「え?」
「せっかくのクリスマスだ。…my sweetに逢えねェなんざ拷問だぜ」

 腰にまわされた手に身体を密着させられる。
 首だけ振り返った佐助が見ていて恥ずかしい。けれど佐助はそんなこと見慣れているとでも言うように無視して幸
 村に笑いかけた。

「政宗が頑張ったから明日の午前中まで仕事は休みになったんだよ。ね、片倉サン」
「…ああ。けど今日の問題発言でマンション張られてるかもしれねぇから、避難するぞ」
「え、どこに…」

 今車がどこを走っているのかも、幸村にはよくわからない。
 身を乗り出すようにして窓に顔を近づける。ライトアップされているおかげで、周囲は真夜中だと言うのにどことなく
 明るかった。
 なんとなく見覚えのある道路。この先にあるのは―――。

「綺麗だって言ってたろ。…実物で見せてやるよ」

 背後でくつりと笑う声。
 振り向くと政宗が目を細めていた。





 イルミネーションが光の洪水を生み出している。美しいそれは目を奪われずにはいられない。
 真夜中だけどちらほらと人がいて、騒がれないかと心配になる。けれど政宗はこそこそしてる方が目立つ、と変装も
 せずに堂々としていた。確かに皆、イルミネーションに夢中で他のことなど気にしていないようだ。

「きれい…」
「Excellent. すげーなぁ」
「政宗、観るの初めてなの?」
「仕事できたことはあるが、そん時は眺めてる時間なかったからな」
「そっか」

 煌めく光の中でつないだ手だけが暖かい。
 身を切るような冷気に身体を小さく震わせると、そっと抱き寄せられた。
 背後から抱きこむような体勢に頬が寒さからではなく赤くなる。
 首元にまわされた政宗の腕に手を添えてそっと見上げると、視線に気づいた政宗が隻眼を細めた。

「アンタと観たかったんだ」
「…どうして?」
「いつも傍にいられるわけじゃないから、こんな時くらいはな。二人で見たら思い出に残るだろ?…もっと強請ってい
 いんだぜ。幸といるためなら、仕事くらいすぐ終わらせてやる」

 滅多に自分から「会いたい」だとか「寂しい」だとか。そんなことが言えない恋人。
 本当は仕事より幸村を優先したいくらいだと言うのに、当の幸村がそれを許してはくれない。
 告げながら腕に力を込めると、細身の身体がゆっくりと体重をかけてくる。
 冷たくなった栗色の髪に頬を寄せると、更に隙間はなくなった。

「…学校とかでね、みんなが政宗のことカッコいいっていうの。それ聞くとね、嬉しいけどちょっとだけ胸が痛くなる」
「幸」
「だからね、こうして私だけが独占できるのは…嬉しい。でもテレビで頑張ってる政宗を見るのも好きなの。今日み
 たいに、テレビ…越しに、あんな…」
「…なんだよ」
「うぅ…告白されてる、気分だった…」

 湯気が出そうな勢いで頬と言わず、顔全体が赤い幸村に満足そうに唇を寄せる。

「嫌だったか?」
「ううん…あの、ね」

 腕の中でくるりと向き合う形に振り向かれ、政宗は首を傾げた。
 頬を赤く染めたまま、幸村ははにかむようにして微笑む。光を背に愛しい人を覗きこんで。
 小さく小さく、囁いた。

「すごく、嬉しかった」

 告げた途端、ぎゅうぎゅうと締め付けんばかりに抱きしめられる。
 思わず身をよじると、背に回った腕がほんの少しゆるんだ。
 見上げた政宗の顔は、テレビでは絶対に見られないくらいに甘く溶けた微笑みを浮かべていて。
 幸せそうなそれに、幸村も目を細める。

「I love you. Merry Christmas my sweet.」
「うん…。メリークリスマス、政宗。…大好き」

 いつの間にか時刻は25日に変わっていた。
 笑いながら抱きしめ合っていると、空から何か降ってくる。ふわふわと舞い降りてくるそれは、イルミネーションの光に
 反射してきらりと輝いた。

「…雪!」
「ああ」
「綺麗!…朝には積もってるかも」
「…外、出たくねェ」
「…そう?」

 鼻先が触れ合う距離で会話する。
 いい加減寒いから、と呼びに来た佐助達に促されて身体を離した。
 差し出された手につかまって歩き出す。薄っすらと積もり始めた雪に二人分の足跡が並ぶ。それを見つめて、幸村
 は小さく微笑んだ。






『これから帰るの?』
『いや、そこのホテルに泊まる』
『え、急に大丈夫なの?』
『予約してる』
『いつの間に…』

 ―――アンタを連れてくる予定だったからな。