もしも。もしもあなたに逢えたその時は、伝えたいことがある。








     7 days

           ――2312  Prologue  As for me, it is not forgotten you.









 五年という月日は、嫌でも様々なことを変えていく。
 手足が、身長が伸びた。これは素直に嬉しかった。
 髪が伸び、身体が丸みを帯びた。――正直、あまり嬉しくない。女の性は、刹那
 にとって不要なものでしかなかった。柔らかい身体より、男のがっしりした身体が欲し
 かった。
 次の春が来れば、22歳だ。もうこれ以上の成長は望めない。
 刹那が初めて「彼」と出逢った年齢になる。
 あの頃、どうしようもなく子供だった刹那に笑かけ、ひたすら慈しんでくれた彼と。

「…ロックオン…」

 同じ顔をした違う男が、今この艦にはいる。
 けれど刹那の記憶の中の「彼」は、24歳で時間を止めたままだ。

「ニール・ディランディ…」

 小さく名前を呟く。一度も顔を見て呼んだことのない、大切な名前。
 優しくて、少し弱い男だった。
 頑なな刹那に人のぬくもりを教えてくれた。細かく世話をし、他のマイスターや、トレ
 ミーのメンバーへの気遣いも忘れない。コミュニケーションをとるのが不得意な刹那と
 彼らの仲立ちをしたり、時には諌めたり。
 今の刹那は、すべて彼のおかげで成り立っている。

 彼はきれいな人だった。
 大地の色をした柔らかな髪、新緑のような翡翠の眸。
 すべてが知らない色だった。だからひどく目をひかれた。
 それが好きだったのだと気づいたのは、その色彩が見えなくなってからだった。
 触れるなと何度告げても、苦笑しながらそっと撫でてくる革手袋に包まれた手。
 スナイパーという役職がら、それが外されることは滅多になくて。だから時折二人で過
 ごす時間に、白いきれいな手が触れてくる、刹那だけの特別な時間が好きだった。

 ―――あの日。目の前で亡くしたまま、ずっと胸の内に置き去りにされたものがある。
 一人世界を彷徨っていた四年の間も消えることもなく、あり続けたそれ。――それ
 が何だったのか、はっきりとはしない。何と呼べばいいのか、曖昧な感情があることは
 自覚している。
 告げることも、それが何かはっきりさせることも出来なかった感情は、いまだ刹那の中
 で、時折顔を出しては、もう彼はいないのだという、絶望を連れてくるのだ。








 ダブルオーの調整は、イアンとともになるべく自分で行う。
 愛着のある愛機に触れていると、落ち着くからだ。
 コックピットでおかしなところがないか、内部からチェックする。万が一のことがあっ
 ては、クルーたちを守れない。
 こまごまとチェックを続けていると、さすがに少し疲れた気がした。
 朝からここに詰めっぱなしだった。水分や食事を取れとうるさく言う者がいないからだ
 ろうか。すっかり忘れていた。
 一人小さく苦笑して顔を上げると、ちょうどイアンに呼ばれた。

「刹那、わしは少しここを離れる」
「ああ、了解した」

 どうやらスメラギに呼ばれたらしい。
 頷いて了承すると、彼は刹那を見て眉を寄せた。

「…お前、なんだか今日は少し顔色が悪いんじゃないか?どこか調子でも崩したか?」
「いや…特に変化はないが…今日はまだ食事をとっていなかった」
「そうか。ならお前も食堂に…」
「いや、これが終わってからにする。…中途半端だと気が済まない」

 咎めるような視線を受けるが、仕方ない。
 プログラムの解析はあまり得意ではなくて、出来れば一度に終わらせてしまいたいのだ。
 イアンもそのことを解っているからか、ため息を吐きつつ頭をかいた。

「じゃぁそれが終わったら、ちゃんと食事をしろ」
「…わかっている」

 思わず眉を寄せると、軽く頭を撫でられた。
 ―――彼がよくしてくれた仕草だ。そして自分も、フェルトやミレイナに、してしまう。
 あちらこちらに残る彼の面影に、胸の奥が鈍く痛んだ。
 イアンを見送り、刹那は再び作業に戻る。
 ダブルオーのコックピットは落ち着く場所でもあった。エクシアを完全になくした今、
 刹那の機体はダブルオーだけだ。
 調整ももう少しで終わる。キーを叩いて、完了だ。
 一息つこうと、コックピットから這い出て顔を上げた時だった。一瞬目の前が暗くなり、
 両足でしっかり立っているはずなのに平衡感覚がおかしい。
 貧血か何かだろうかと、額に手を当てる。

『 刹那 』
「…え?」

 誰かが刹那を呼んだ。
 頭の中に直接響いたような、声。
 今ここには刹那しかいないはずだというのに、誰かに呼ばれた。そういう感覚に襲われ
 る。

「…なん、だ…?」

 プログラムのチェックに必要がないため、ダブルオーの起動はしていない。そのはずな
 のに画面に文字が浮かぶ。
 刹那の意識は、そこで途切れた。








 ダブルオーが稼働していることに気付いたのは、ライルが一番最初だった。
 ふと覗いた格納庫に淡い翠の粒子を見たからだ。

「なんだ…?」

 宇宙空間でもないのに舞う粒子は、薄暗い格納庫でいっそ幻想的なまでに漂っていた。
 ふわりと流れていくそれを目で追うと、ある一点から流れている。
 並ぶガンダム――その中でも、ソレスタルビーイングの要ともいえる機体。

「っ…おいおい!?」

 静まり返った中、その機体は淡く光を放ちながら立っている。
 目を瞠り、ダブルオーに駆け寄ると、刹那が驚愕している姿が見えた。
 瞬間、刹那の身体が傾ぐ。そして―――落ちてくる。

「刹那!?」

 慌てて駆け寄るものの、間に合うかは賭けだ。
 思わず舌打ちをした後、気付いた。
 地上を走行しているから、無重力設定はしていないはずなのに刹那の身体はゆっくりと
 落ちてくる。
 宇宙空間にいるかのように。
 よく目を凝らすと、翠色の粒子が華奢な身体を包み込むように纏わりついていた。
 あれはダブルオーの、GN粒子だろうか。
 その粒子からは、なぜかよく知る気配。

「……え…?」

 受け止めた軽い身体から香ったのは、なくした「半身」によく似た―――。
 眠るような刹那の表情はひどく穏やかで、ライルは散っていく粒子を見上げたまま、茫
 然と立ち竦んだ。

「……にい、さん?」

 震える手で刹那を抱えたまま、ライルは音にならない声で呟いた。





「アーデさんから通信ですぅ!」

 ミレイナの声に、イアンと話をしていたスメラギは首をかしげた。

「ティエリアから?」
「はいですぅ。表示しますね!」
「ええ、お願い」

 何かあったのだろうか。
 ティエリアから――ヴェーダからの直接通信は大抵刹那が受け取り、こちらに伝えてく
 れる。
 そう言えば、今日は一度も刹那を見かけていないと思い至った。

『―――トレミー2、聞こえるか?』
「ええ、ティエリア」

 性別を感じさせない、美しい容貌が画面に映る。
 彼は金の眸で周囲を見渡すと眉をひそめた。

『ダブルオーが呼んでいる』
「え?」
『ダブルオーが刹那を呼んでいる。…今刹那は?』

 内容が呑み込めない。
 しかしティエリアは説明をする気はないようだ。
 スメラギはため息を吐くと、困ったように肩をすくめる。

「ごめんなさい、ティエリア。私、今日は刹那に逢ってないの。でも今日はダブルオー
 のチェックをしているはずだから、格納庫にいるはずよ」
「ああ。今さっきまでわしといたからな」

 イアンも肯定すると、ティエリアは首をかしげる。

『そうなのか?…しかし、何度呼びかけても応答がないんだ。それに、さっき誰かが、
 強い力で刹那を呼んだ。僕はそれをダブルオーの声だと思ったんだが…』
「…どういうこと…?」

 眉を寄せたスメラギに、ティエリアも難しい顔をしたまま考え込んだ。
 ―――確かに聞こえたのだ。声が。
 音にはならない、声。
 それは直接脳に届くような、か細くも強いもの。

『…とりあえず、刹那と話が―――』
『オイ!』

 ティエリアの声を遮り、急に通信が入った。
 焦ったような声に、ブリッジに緊張が走る。

「ライ…ロックオン?」

 フェルトが応答すると、画面に映る彼は腕に誰かを抱えている。
 よく目をこらさなくても、青い制服と柔らかそうな――実際とても柔らかな黒髪が視界
 に入った。
 いつもは勝気な、芯の通ったガーネットの眸は今は閉ざされていて。

「刹那!?」

 フェルトの悲鳴のような声がブリッジに響く。

『格納庫が変だって思って覗いたら、刹那が落ちてきて』
「落ちて!?」
『ああ、でもダブルオーが稼働してて…GN粒子みたいなのが刹那の身体を包んでた。と
 りあえず、眠ってるみたいなんだが…』
「すぐに医務室に運んでちょうだい」
『ああ!』

 スメラギの指示に、困惑したままのライルが慌てて通信を切る。
 フェルトはいてもたってもいられず立ち上がり、スメラギの方を見た。
 その視線の意味は、言葉にしなくても分かる。

「フェルト、いいわ。医務室に行って、ロックオンから話を聞いて」
「はい!」
「刹那の様子も見て頂戴」
「わかりました」

 現在のトレミーに、ドクターは不在だ。
 ドクターの代わりをしていたアニューもいない。
 多少の知識があるとはいえ、フェルトでは手に負えないかもしれない。
 スメラギは眉を寄せたまま、繋がったままの通信画面を見た。

「ティエリア、貴方も刹那の様子を見てもらえる?」
『ああ。言われなくても、そうするつもりだ』

 画面の中のティエリアはふわりと浮きあがったかのように画面の中を泳ぐと、通信を絶
 った。

「私も医務室へ行くわ」
「了解。…刹那は大丈夫なのか?」

 ラッセの困惑の混じった声に、スメラギは首を傾げるしかない。
 何があったのか―――まったくわからないのだ。

「とりあえず、今が何もなくてよかったわ…。イアン、貴方といた時刹那に何か異変は
 ?」
「いや…特に何も。ああ、だが顔色が悪かったから休むように言った。しかしな…あい
 つは解析が終わるまでは離れんと言うから…あそこで引きずってでも食堂か休憩所
 に行くべきだったな」
「そう…」

 刹那が無理や無茶をするのは昔からのことで、つい刹那だから、と皆が思いがちだ。
 何を言っても聞かない。昔よりはずいぶん融通がきくようにはなったが、刹那は刹那の
 ままだ。

 ―――彼がいなくなってから、刹那はひどく生き急いでいるようにも見える。

「今ここに、いてくれたら…」

 スメラギの小さな呟きに、イアンとラッセがはっとしたように彼女を見た。
 その視線に、スメラギはバツの悪そうな笑みを見せる。

「ごめんなさい。失言ね…」

 しかしそれは、実際誰もが一度は思ったことのあることだった。
 スメラギは重くなった空気を絶ち切るかのように、手を叩く。

「とりあえず、医務室に行ってみるわ。ブリッジ、頼むわね」
「ああ」

 スメラギがウインクを残してブリッジを去ると、ミレイナが小さく首をかしげた。

「…誰がいたら、よかったんですか?」

 もっともな問いに、答えは返らなかった。





 医務室のベッドに横たわった刹那は、ただ眠っているだけのようにしか見えない。
 ライルは困ったように刹那を覗きこんだ。
 あの一瞬感じた気配は、確かに「彼」のものだった。しかし――なぜそう思ったのかは、
 わからない。

「ロックオン!刹那は!?」

 考え込もうとしたが、医務室に飛び込んできた声と姿に霧散した。
 泣きそうに潤んだエメラルドに、場所を譲る。
 何度も名前を呼びながら、混乱しているだろうに的確な検査をしていく姿に目を瞠った
 まま見つめた。
 さすがにアンダーを脱がそうとした時は回れ右を余儀なくされたが。

「…眠っているだけみたいね?」

 遅れてきたスメラギが脈をとりながらため息をついた。

「落ちたっていうし、ティエリアが通信してきたから何事かと思ったけど――」

 そっと刹那の頭を撫でる仕草は、まるで姉のような、母のような親愛に満ちたもので。
 フェルトも安堵したように刹那の手を取る。
 しかし緊張感の失われた空間に、突如声が響いた。

『安心するのはまだ早い』

 医務室の端末に、金色の眸をしたティエリアが現れ、医務室にいた三人は息をのんだ。

「どういうこと…?」

 再び不安の混じったフェルトの声に、ティエリアは片手を自身の額に当てる。
 何かを考え込むような仕草にライルが首をかしげて名を呼ぶと、彼は刹那の意識がここ
 にはない、と言った。

「説明してティエリア。どういうことなの?」
『そのままだ。刹那の意識…精神が見当たらない』
「は?」

 ライルのわけがわからないという顔に、スメラギ達も頷く。
 金の虹彩が、何かを探すように彷徨った。

『刹那の意識は僕とつなぐことが出来る。…彼女が純粋種として覚醒しているからだ』
「…ええ。それは刹那から聞いているわ」
『だから彼女の意思は僕にはわかる。いつも強く呼びかけてくれる声がする。だが今は
 何も聞こえない。それどころか、彼女の存在自体が見当たらないんだ』
「なんですって?」

 さすがに異常事態だとわかったスメラギが眉をひそめる。

『今、刹那は抜け殻だ』

 ティエリアの言葉に、息をのんだのは誰だったのだろう。

『僕はこれから彼女を探す。刹那の身体は深い眠りについた状態だ。カプセルに入れて
 おくのが一番いいだろう』



 静まり返った医務室で、昏々と眠り続ける。
 誰が思い至っただろうか。刹那がしばらく目を覚まさないなんて―――。

















   As for me, it is not forgotten you.     ―――――私はあなたを忘れられない。










 
 
 
 
 
 
 
 

       本当は一話目として書き始めたのですが、長くなったので(というか長くしたので)
       プロローグとなりました。
       これからこのお話はせっちゃん視点になります。上手く書けるかはわかりませんが
       最後まで頑張って書きあげたいと思います。どうかお付き合い頂ければ幸いです。
       切なく、甘く、をモットーに!

          09/11/08 王子様のキスで目覚めるなっていわないけど。