今思い返しても、あの頃の自分は不器用で素直になんかなれなかった。
 それは今でもそんなに変わらないけれど、もっと頑なだった。
 自分を守ることしか出来なくて、それでもつながりが欲しくて。

 あの眸に映っていたかった。
 だから毎日ちょっとしたことで喧嘩して、嫌なことばかりした。
 幼すぎた感情に振り回されてばかりだった。










    Supreme  ―― Pain ――










 高校2年、秋。
 茹だるような暑さがようやく去り、なんとか紅葉が美しいと感じるまでになった。
 とはいえ、この東京という土地で季節を感じるのは難しい。テレビで観光地の様子を見て、
 ああ秋なのだと思うくらいだ。
 それを寂しいと思う感傷など持ち合わせていなかったし、自分がそんな人間じゃないことは
 自他共に認めるところ。
 臨也は一人屋上から対面する校舎を見下ろしていた。
 視線の先にいるのは、目立つ金色の髪を持つ男子生徒。
 人間は好きだけど、たった一人、例外がいる。それが彼―――平和島静雄だ。
 彼は現在、一人ではなかった。困ったように視線を彷徨わせた小柄な少女と向き合っている。

「…隣のクラスの子だなぁ…」

 何度か街中でも見かけたことのある。顔はまぁ合格点。成績も中の上、男子には結構人気の
 子だ。
 そこまで自分のデータベースから引き出して、二人を見つめた。








 チャイムの音が鳴る。
 急に騒がしくなる―――昼休みの始まりの合図だ。
 小さな音を立てて開いたドアを見やる。

「静雄が呼び出されたってね」

 いつも通りの食えない笑みを浮かべた青年は、臨也を見て笑みを深めた。
 思わず顔をしかめそうになるがポーカーフェイスを崩さない。
 それすらきっと、この目の前の人物は気づいているのだろうけど。

「…なんで新羅が知ってるの」

 フェンスに寄りかかって対面すると、彼はにこりと笑った。
 新羅と静雄は同じクラスだ。聞かなくても分かることだった。思わず漏れた舌打ちに気づい
 たのか、苦笑された。
 どうせ呼ばれるところを見ていたのだろう。自分と違って静雄は案外授業に参加しているか
 ら、新羅が見ていてもおかしくない。

「結構かわいい子だったけど、一体いつ知り合いになったんだろうね?」

 まぁ僕のセルティには負けるけどね!と揚々と言い切る青年に、臨也はあきれつつも視線を
 校舎に向けた。

「3日前……」
「うん?」
「だから、あの子とシズちゃんが知り合ったのは3日前だってば」
「へぇ?」

 面白がっている―――そうとわかる表情をしている新羅が気にくわない。
 そろそろ門田も屋上にやってくるだろう。きっと、静雄も。
 だからこんな話、早々に終わらせてしまいたいのにそうさせてくれない。
 臨也は長く伸びた髪を風に遊ばせながらいつものように目を細めた。
 真っ直ぐな黒髪は自分でも気に入っている。最近衣替えした黒いセーラー服のスカートを気
 にせず座り込んだ。どうせ下には下着が見えたりしないようにちゃんと穿いている。

「この間俺たち追いかけっこしてたでしょ」
「うん、まぁいつものことだけど」
「その時にさ、俺あの子にぶつかっちゃったんだ。シズちゃんが机投げたのが原因なんだけど」

 彼は人にあるまじき怪力の持ち主だ。
 身体も人間とは思えないほど強靱で、臨也のナイフも刺さらない。
 だから喧嘩をするのが楽しくて、鬼ごっこはもはや日常とかしている。
 あの時もいつもと同じはずだった。
 些細なことでからかって怒らせて、追いかけられていた。
 怒号と共に手近にあった机が宙を舞う。それを避けた時、たまたま通ろうとしていたのだろ
 うあの女子生徒に臨也の腕が当たったのだ。
 しまった、と思った時は相手がよろけていて。持ち前の運動能力で踏ん張った自分は何とも
 なかったのだけど。

「…あの子よろけちゃって。尻餅つきそうになったところをシズちゃんが抱きとめたの。……
 王子様よろしく、ね」
「ああ…そういうことかぁ」

 目の前で金色が舞った時には、彼女の身体は静雄の腕の中だった。
 驚いた。それと同時に胸に言いようのない痛みが走った。
 女子生徒を軽々と立たせた静雄は、小さく大丈夫か、と問いかける。
 目を瞠った彼女は頷いて―――すぐ近くにある静雄の顔に見惚れていた。

「シズちゃんは顔はまぁいいほうだもん。あの子がクラっときてもおかしくはないけど」
「はは、毎日臨也のせいで喧嘩したり怒ってばっかりだけど、本来は質実剛健だよ」
「……知ってるよ」

 いつも怒らせてしまっているけど、彼は本来優しい性格だ。
 少しばかり頭に血が上りやすいが、自分から喧嘩を売ることなどないし、本当は暴力も嫌っ
 ている。自分の体質を一番疎んでいるのも彼自身だ。
 彼にとって目の前でよろけた女の子を助けるのは当たり前のことで、特別な意味などない。
 ただ何故かつまらなく思っただけで。

「なんか気持ち悪い…」

 小さな呟きは少しだけ肌寒くなった風に流された。








 あれからしばらくして門田がやってきた。
 臨也の分の昼食も持ってきていたのも、既に日常。
 それから更に数分後、静雄がやってくる。
 昼食の間は喧嘩をしないこと。それが4人の取り決めで、今のところ破られてはいない。
 用意されたサラダを何とか食べきり、その他の物を門田に渡す。
 それを見ていた新羅が声に少しの心配を混ぜて言った。

「臨也、相変わらず食べないね?」
「んー…なんかもういらない」
「お前なぁ…せめて後おにぎりくらいは食っとけ」
「いい。ドタチン食べて」
「ったく……」

 本当に食べたくないのだ。
 せっかく買ってきてくれた門田には悪いが、入らない。
 食べ終わったものの容器を片づけながら首を横に振ると、新羅が覗き込んでくる。

「んー、少し貧血気味だろう?何かタンパク質を取った方がいいよ?」
「えー」

 確かにここ最近貧血気味だ。
 そうでなければあの時だってぶつかったりしなかった。
 本当はあの時、よろけたのは自分だった。だからあの子にぶつかったのだ。
 食べる気がしなくて眉をしかめていると、それまで黙って自分の食事を進めていた静雄が不
 意に顔を上げた。

「おい」
「ドタチン、タンパク質だって」
「…もう俺も弁当全部食ったぞ」
「えー……」
「私のはあげないよ!セルティが作ったものを他の人にあげるなんて出来ない!」
「おい臨也」

 静雄が少し苛ついたように臨也を呼ぶ。
 あえて無視していたのに、と臨也が渋々顔を向けた。

「何、シズちゃん」
「口開けろ」
「へ?」

 思わず開けてしまった口の中にぽい、と何か入れられる。
 驚いたがじっとこちらを見つめるタイガーアイに促されるまま、咀嚼。
 口の中に広がったのは冷凍の物ではない、鶏の唐揚げの味。
 飲み込んだらすぐにまた箸でなにやら差し出される。
 今度は卵焼きだった。甘さがちょうどいい。
 もごもごと必死で食べていると、静雄が眉間に寄せていたしわを少しだけゆるめた。
 たまにこんな風に、彼は優しさの鱗片をみせる。

「…シズちゃん、ごちそうさま」
「ん」
「仕方ないから今度プリンあげるね」
「ああ」

 もらいっぱなしじゃ悪いから、と彼の好きなスイーツを代わりに提示する。
 ほんの少しだけ、口元を引き上げた顔が―――。

「っ…」

 ああもう、自分はこんな時いつもおかしい。
 小さく息をのんで静雄から視線をそらせた臨也は、こちらを見ている眼鏡越しの視線に気づ
 かなかった。





 再び鳴ったチャイムは授業開始の予鈴。
 さて、と一番最初に立ち上がったのは新羅だ。
 弁当箱片手に首をかしげる。

「次の授業は数学だったかな?そっちはなんだい?」
「うちのクラスは…ああ、世界史だ」
「……ねみぃ」

 皆が立ち上がる中、臨也はまだ腰を下ろしたままだ。
 気づいた門田が手を差し出すが、臨也は小さく笑って首を横に振った。

「ごめんドタチン。もうちょっと休憩したい」
「なんだ、大丈夫か?」
「ん〜多分」

 少しだるいだけなのだが、予想以上に心配そうな顔をする門田に笑いかける。

「なんだい、臨也。具合でも悪いのかい?」
「そういう訳じゃないけど………ちょっとだるいかな?」
「ふぅん?」

 新羅がじっと見つめてくるのが少々居心地悪い。
 しかし彼は将来は闇医者になる、という宣言通り医療関係に明るいので臨也も時折世話にな
 っている。

「ちょっと診ようか?」
「え?」
「君たちは先に教室もどっててくれよ。本鈴までには教室に行くからさ」

 にこりと笑った新羅に納得したらしい静雄と少々心配げな門田が扉を開けて出て行く。
 その背中を見送って、臨也は首をかしげた。
 明らかに、新羅の行動は彼らを先に行かせるための方便だ。普段ならこんな風にしない。

「新羅?」
「うん?」
「シズちゃんたち先に行かせて、何企んでるの」

 じろりと睨むと、彼は肩をすくめた。

「別に企んでる訳じゃないよ。ただ…」
「ただ、何?」

 困ったように笑う新羅は珍しくどう話そうか迷っているらしい。
 ますます首をかしげる。

「その具合の悪さは精神的なものかなぁって思ったんだよ。…さっきの話の続きだけど」

 さっきの。
 そういわれて思い当たるのは、静雄の話だ。
 口の中が急に苦くなった気がして、眉をしかめる。
 何故こんな気持ちになるのか、本当は薄々気づいていた。
 思わずため息をついた臨也を新羅は静かに見つめる。

「臨也、本当はわかってるんだね」
「……性格悪いよ、新羅」
「君に言われたくないよ」

 深々とつかれたため息にむっとした。けれど反論は出来ない。
 新羅が一番知っている。静雄と自分をひき合わせたのは彼なのだから。
 ずっと話だけ聞いていた。小学校の頃、面白い人間がいたと。新羅のお眼鏡にかなった人間
 に興味がわいて、中学の後半から噂でちらほら聞くようになった喧嘩の強い少年の話。
 ―――逢ってみたい。逢って話をしたい。
 まるで焦がれるように、彼を想った。

「自覚してる?臨也」
「……何を」
「君の表情だよ。静雄といる時、自分がどんな顔してるのか知ってるかい?」
「………知りたくないよ」

 おや、とでも言うような顔をした新羅に小さく自嘲の笑みを浮かべる。
 元来自分は知りたがり屋だ。だけどそれだけは知りたくない。
 知ってしまったら、何かが壊れる気がする。
 臨也は俯いて唇を噛んだ。
 知りたくない。気づきたくない。
 でも、自覚しているという矛盾。彼の傍による女の子すべてに苛つく自分がいる。

「認めてしまえばいいのに。君と静雄が出逢ったのも一期一会、僕はよかったと思ってるよ」
「何で?」
「君が楽しそうだ。そして静雄もね」
「…シズちゃんは楽しくなんかないよ…。俺は疫病神だし」

 入学式で出逢ってから、ずっと嫌がらせばかりしてきた。
 最初の頃はただの興味。でも互いを知って、共に過ごして。変わってしまったのは自分の方。

「認めたらさ、楽になるよ。…自分に嘘をつかなくて良くなる」

 新羅が小さくそう呟いたのが聞こえた。思わず彼を見る。どこか遠くを見つめている視線の
 先には、きっと彼の愛するデュラハンのことを思い浮かべているのだろう。
 人間ではないものに想いを寄せている友人をおかしいとは思わない。
 ほんの少し、羨ましいとさえ思う。

「それじゃ僕は行くよ。臨也はさぼるんだろ」
「うん。授業つまんないし」

 高校の授業の中から学ぶことはあまりない。
 新羅だって同じだろうに彼は真面目に授業に出るのだ。
 彼が軽く手を振って屋上を後にする。小さく軋んだ音を立てて閉まった扉を背中で聞いた。
 一人きりになった屋上で、臨也はフェンスに寄りかかったまま目を閉じる。
 秋の気配を含んだ風が髪を攫った。
 気づきたくなくても、自覚しなければならないのか。

「今は…まだイヤだなぁ…」

 自嘲気味に呟いて、臨也はフェンス越しに校舎を見下ろした。
 視線の先には2年生クラス。
 眠そうにノートをとっている「彼」が見える。
 あの金色をどんなに遠くても見つけられる自分に嫌気がさした。

 まだこのままでいたい。
 せめて卒業まではこのまま―――。

 彼の姿を脳裏に刻むように、ただ見つめていた。













 
 
 
 
 
 
 
 


        シリーズ名は「Supreme」です。意味は至上の、最高の。
        ずっと書きたかったデュラ作品の本当に一番最初(苦笑)の話になります。
        来神時代から現在までの静ちゃんと臨也の関係の変化を書きたくて作ったような物です。
        多分そんなに長くはならないと思いますが、おつき合いいただければと思います。
 
           2010.08.06 知らないふりをしていた。