あのね、本当はね。
 素直になれないことも、からかってばかりだったことも、全部。
 ひとつのキモチが前提にあったの。

「大嫌い」も「大好き」に変えて?
 そしたら―――。










  Supreme  ―― Sweet ――










 真っ暗な中で、何度か金色を見た気がする。
 けれどうっすらと目を開けた先は、何の変哲もない天井。しかも何となく見たことがある。

「…シズちゃん…?」

 気を失う前に彼を見た気がしたのに。
 そう思って呟いた名前は、渇いた喉の痛みに邪魔をされた。

「開口一番に静雄の名前かい?」

 やれやれ、とでも言うように声が振ってくる。
 何度か瞬きをして意識をはっきりとさせると、よく見知った人物が立っていた。
 覗き込んできたのは黒い影。
 思わず身を強ばらせると、全身に痛みが走った。

「っ…!」
「ああ、動いちゃだめだよ。君は大怪我をして6日間眠っていたんだから」
「え…?」

 何とか首だけを動かすことに成功した。
 いつもの黒いライダースーツではなく、簡易な黒い服を着た女性がおそるおそるというよう
 に臨也に手を伸ばしてくる。
 頬にはってあるガーゼをそっと撫でるその手は優しい。

「…運び屋…?新羅…」
【大丈夫か?】

 驚かせてすまない、とPDAを見せられた。

「ここ…新羅の家?…なんで…」

 自分は確か池袋に仕事で行っていた。
 そこで交渉が決裂して、襲われて。
 焼け付くような痛みや、殴打された苦しさを思い出し顔を顰める。

「俺…死んでないんだ」
「うん、危なかったけどね」
「ふぅん?何で俺はここに?運び屋が助けてくれたの?」

 意識を失う直前までのことを思い出し、臨也はセルティを見上げて問うた。
 しかし手を横に振られる。
 セルティではないのなら、いったい誰が自分を助けたのだろうか。
 臨也が眉をひそめると、新羅が近づいてきて傷の様子を見だす。

「うん、軽傷の所は順調だね。右腕と左足はだいぶ縫ったよ。ちゃんとくっつくまでには暫く
 かかる」
「そう…」
「あと腹部の傷…内臓にダメージ食らってるみたい。破裂してなかったのが奇跡的だね」
「…力入れたし…少しそらしたからね」
「そうかい。さすがだね」

 起きあがることは無理だ。身体中が痛くて動けない。
 新羅が診察するたびに身体を苛む痛みに辟易した頃、ようやく手が離れた。
 心配そうにこちらを伺うセルティは、新羅が離れるとすぐ近づいてきた。

「運び屋?」
【怪我が治るまではここでしっかり療養しろ】
「んー動きたくても今は動けないよ。…でもここにいるとシズちゃんが来た時困るなぁ」

 静雄に見つかったら、これ幸いとばかりに息の根を止められそうだ。
 そう言って笑うと、セルティは困ったように身体を揺らした。
 彼女は新羅の方を伺うように向く。
 医療道具を片づけていた新羅は、その気配に気づいたのか小さく笑った。

「…臨也、静雄は多分暫くここには来ないよ」
「…なんで?」
「君がいること、知ってるからね」

 どういうことだろう。
 自分たちの仲の悪さは池袋中が知るところだ。
 臨也が動けないというのなら、とどめを刺しに来ても可笑しくはない。
 なのに「臨也がいるから来ない」とは―――。
 訝しげに新羅たちを見やると、暫くしてセルティがPDAを差し出す。
 そこに書かれていた文字に、臨也は目を瞠った。

「嘘…」
【嘘じゃない。お前をここへ連れてきたのは静雄だ】
「本当だよ。…すごい必死な顔で。君が死んでしまうって」
「うそ……」

 差し出されたPDAに書かれていたのは、静雄が臨也を助けたということ。

【目が覚めるまで傍にいたかったみたいだぞ。新羅に諭されてやっと仕事へ行った】

 数日前まで静雄はここにいたらしい。
 信じられなくて呆然としてしまう。
 静雄が自分を助けるなんてありえない。そう思う自分と、彼の優しさを知っている自分がど
 こかで言う。
 ―――彼は優しいから、死にかかっている人間を見捨てられなかったのだと。
 それが天敵で、気にくわない相手だとしても。

「…臨也」

 混乱の最中にいると、新羅が困ったように微笑んだ。
 ああ、この顔は知っている。
 高校の時、静雄への気持ちを認めるようにと諭した時もこんな表情をしていた。

「君が思うほど、静雄は優しいだけじゃない。本気で臨也を嫌っているならこんなに長くつき
 合い続けたりしないよ」
「新…」
「それは僕やセルティ…静雄をわかってる人ならみんな知ってる」
【少し休むといい。臨也は考えすぎだ】
「セルティの言う通りだよ。君は考えすぎるきらいがあるから…たまには何にも考えないでみ
 たら?」

 新羅はそう言うとセルティを伴って静かに部屋を出て行った。

「…考えるなって言われても…」

 臨也は天井を見上げて嘆息する。
 先がどうなるか考えないと、怖い。
 そう思うけど動けない。ならば今は何も考えずに眠ってしまいたい。
 身体が欲するままに、臨也は襲ってきた睡魔に身を委ねた。








 苛々する。
 何も変わらない日常のはずなのに、不安が背中に重くのしかかったような気がして。
 タバコをいくら吸っても、誰とも知らない奴を殴り飛ばしても。
 気にかかることがあるからだと自覚してはいるものの、深くは考えたくなかった。

「くそ……」

 頭をガシガシとかく。
 こういう日に限って仕事は少なくて、気が紛れない。
 ふとした時に思い出してしまう自分が嫌になる。

 ―――細い身体だった。
 華奢で柔らかい、女の身体。
 抱き上げてやっと気づいた。自分の腕に軽く収まる彼女は間違いなく女だ。
 今まで自分と渡り合ってきたのが不思議なくらい、もろい身体なのだ。
 自分と違ってナイフで傷つき、力の強さも、持久力も頼りない。
 今更だ。臨也が「女」であることなど。
 ただ自分が気づいていたけど、本当の意味では知らなかっただけで。

 彼女が目を覚ますのを渇望した。
 新羅やセルティが大丈夫だと言っても不安だった。
 最初の3日間は目を離すのが不安で、仕事を休んだ。
 4日目に呼吸器がはずされてからは行ったが、全く身が入らない。
 トムも心配そうにしていたが、何も聞かないでくれた。
 臨也の怪我のことはどうやら裏では話題になっていないらしい。門田や新羅あたりが口止め
 に回ったのだろう。高校の時から、あの二人は臨也に甘かった。
 それは静雄もだと言われていたが、自覚はない。

「ん…?」

 携帯電話が鳴っている。メールのようだ。
 静雄は基本的に電話しか使用しないため、メールをしてくる者は限られている。

「…セルティ…?」

 開いたメールに書かれていたのは、待ち望んでいたこと。

【―――臨也が目を覚ました。】

 簡潔な文章に、言い表しようのないモノが込み上げた。

「あー…」

 思わず声を上げようとして、口元を押さえる。
 この感情は知っている。―――歓喜だ。
 臨也が目覚めたと知って、心が震える。
 今、自分は絶対に笑っていると、口を押さえた手でわかった。
 目覚めぬ臨也をただただ見ていた時、セルティと話したことを思い出す。


【どうして臨也を助けたんだ?】

 静かな問いかけに、自分はただ見過ごせなかったからだと答えた。
 彼女は静雄の隣に座ると、ヘルメットをかぶった頭をかしげる。

【臨也のこと、嫌いなんじゃなかったのか?】

 嫌いだと思ったことはない。
 ずっとそうだった。あんなに嫌がらせや被害を被ったのに。口を開けばすぐ「死ね」や「ク
 ソ蟲」と言ってしまうけれど。それでも本当の意味で彼女を嫌ったことはなかった。
 何物にも染まらない黒だとか、宝石のような眸だとか。思い切りだと少し幼くなる笑顔だと
 かは逆に好ましいくらいで。
 噎せ返るような甘い匂いも、言葉の応酬も。苦手だけれど嫌いじゃない。

【驚いた。静雄、本当は―――】

 本当に驚いている雰囲気の友人に言われた言葉に、静雄も目を瞠った。
 けれど胸にすとんと降りてきたそれは確かに静雄の中に存在する感情だった。
 ずっと気づかなかっただけで、いつからかそこにあったのだ。

【臨也の目が覚めたら、一番に連絡する。…そして彼女の怪我が治ったら、きちんと向き合っ
 てみると良いんじゃないか】

 肩を軽くたたかれて、諭される。
 いつも喧嘩ばかりで話をしたことなどほとんどない。
 見えてないものがそこにある気がした。








 抜糸したのが1週間ほど前。
 傷を覆うものも包帯からガーゼに変わっていた。

「うん…もう大丈夫だね」
「んー痛くはないよ。でもちょっと皮膚が引きつってる感じ」
「傷跡が残らないと良いね。腕と脚は…もしかしたら少し残るかもしれないけど」
「いいよ、このくらい」

 新羅が怪我の具合を見て、ようやく療養の終わりを告げた。
 あれからとうに3カ月。傷がある程度ふさがってからは暇で仕方なかった。
 けれどその分考える時間だけはたくさんあって。

「おい、行くぞ」

 新羅のマンションまで迎えに来てくれた門田が、エントランスで待っていた。
 ぱたぱたと駆け寄ると、まだ走るなと注意される。
 ―――過保護だ。

「ね、ドタチン」
「なんだ?」
「シズちゃん、何で俺を助けたのかな」

 ここにいる間、何度も繰り返した質問をまた口にする。
 結局答えは出なかった。新羅に問うても、セルティに問うてもわからず仕舞い。
 わからないのは嫌だ。でも答えが出るのを怖がっている自分がいる。
 こんな期待させるようなことして、突き落とされたくない。
 静雄に会うのが怖い。

「臨也」

 俯いてぐるぐると考え込んでいた臨也は、嘆息と同時にかけられた声に顔を上げる。

「お前が欲しい答えは俺たちじゃ答えられないんだよ」
「…どうして」
「あのな、臨也。知らないふりをするのはやめた方が良い」

 黙り込むと、門田は臨也の頭を優しく撫でた。
 大きな手の感触は心地よくて、幼い子供になった気分だ。

「お前らしくないぞ。…答えが欲しいなら静雄に直接聞け」
「ドタチン…」
「いつもみたいに喧嘩はするなよ?」
「…頑張る…?」
「何で疑問系なんだ」

 困ったように笑われて、ようやく臨也も笑みを覗かせた。
 助けてくれた理由が何であれ、話をするきっかけになる。
 ―――それで十分だと、そう思った。








 誰に何があろうと、池袋の街は全く変わらない。
 人の多さも、喧騒も、臨也が好きなまま。
 しばらくは家で休養しろと門田に言われたが、おとなしくはしていられなかった。
 一人歩きながら「彼」を探す。今日は普通に仕事をしているのなら、どこかにいるはずだ。
 池袋にいればきっと見つけてくれる。
 漆黒の髪は新宿のマンションに着いてすぐ丁寧に洗って梳きなおした。新羅の家では満足に
 ケア出来なかったからだ。ぼろぼろになったコートは使い物にならなかったが、まだ替えが
 ある。
 怪我をする前と何の変わりもない「折原臨也」だ。
 行き交う人の波。その向こうに金色が見えた気がした。立ち止まった先で、タバコをくわえ
 た長身の青年がふと顔を上げる。薄青のサングラスの向こう、彼の目が瞠られた。

「シズちゃん」

 ひらひらと手を振ると、彼がこちらへ駆けてくる。人垣が彼を避け、割れていく。
 いつものように低く名を呼びながら殴りかかってくるだろうと思い、自嘲する。
 ―――けれどその予想は裏切られてしまった。

「……え?」

 目の前に来た静雄は、臨也の腕を掴んで華奢な身体を引き寄せた。

「シズちゃ…」
「怪我」
「へ?」
「治ったのか」

 確かめるように覗き込まれ、困惑する。
 とりあえず頷くと抱え上げられ、身体中を見回された。

「ちょ、シズちゃん!?」
「うるせぇ、ちょっと黙って見せとけ」
「いやいや、降ろそうよ!ちょっと、何なの!?コート捲るな!くすぐったい!」
「うるせぇ」

 黙れ、とあまりにも真剣な目で言うから。
 臨也はそれ以上騒ぐのをやめた。
 腕、脚、と順に見られる。腹はさすがに見られなかったが、そっと手をあてられ、大丈夫な
 のかと聞かれて頷いた。
 最後に顔を――殴られた頬を見て納得したのか、ようやく足が地面に着く。

「もう…何なの…」

 静雄の手がまだ腰のあたりに添えられたままで落ち着かない。

「シズちゃん…?どうしたっていうのさ。…何で俺のことそんな心配したって顔するの。…
 なんで」

 何でそんなに怪我が残ってないところを見て安堵するの。
 そう言ってやりたいけど、言えない。
 困ったように視線を泳がせると、静雄が首をかしげた。

「んだよ。言いたいことあるなら言いやがれ。いつもは余計な事べらべら喋るくせに」
「な…!」

 いつもと違っているのは静雄の方だ。
 自分を助けてみたり、怪我の心配をしてみたり。
 今だって、ゴミ箱や標識を投げるでもなく。傍から見たら抱きしめられているように見える
 だろう。
 臨也の混乱は込み上げてくる熱へと変わった。

「お、おい……」

 狼狽したような声に、臨也は自分が泣いていることに気づく。
 ぼたぼたとこぼれるそれは自分でも止められない。子供みたいだと思うけれど、どうしよう
 もなかった。

「シ、ズ、ちゃん」
「何だよ…」
「な、んで…お、れを」
「ああ!?」

 本気で焦っている静雄の声を笑ってなどいられない。
 考えても全然わからなかった。
 だから門田の言う通り、静雄から答えをもらった方が早い。
 しゃくりあげるせいで声が出しにくいけれど、今しか言えない。
 臨也は静雄のベストを握りしめて口を開いた。

「なん、で、俺を、助けたの…?」

 聞き取りにくかっただろうが、この距離だ。聞こえてないはずはない。
 しかし黙ったままの静雄に、不安になる。

「俺のこと、嫌、いなくせに…なんで、助け、たの…」

 ぎゅう、と握りしめたベストに皺が寄る。
 顔を上げられなくて地面を見ると、止まることを知らない涙がコンクリートに歪な模様を描
 いた。
 頭に視線を感じる。けれど何も言わない。聞こえない。
 やはり静雄にとって自分を助けたのはただ見過ごせなかったからだ。それがどんな相手だろ
 うと、正義感の強い彼は助けずにいられなかったのだろう。今答えられないのはきっと特別
 な意味を持たなかったから。
 臨也はゆっくりと息を吐いた。きつく握っていたベストから手を離す。
 そのまま距離を取ろうとしたが、未だ腰に添えられたままの手に邪魔された。

「シズちゃん放し―――」
「俺がいつお前のこと嫌いだなんて言った?」

 離れることを許さないとでも言うように、両腕が回される。
 思わず顔を上げると、眉間に皺を寄せた精悍な顔がすぐそこにあった。

「俺のことを嫌ってるのはお前の方だろ?いつも嫌いだって連呼しやがるじゃねぇか」
「っ…だっ、て」

 本当は、その逆だなんて―――もう今更過ぎて言えない。
 哀しいけれど、嫌われてしまえばずっと彼の中に残れると思った。愚かだとわかっていなが
 ら、そうするしか出来なかった。

 言葉に詰まった臨也を見下ろして、静雄は片手で額を押さえる。

 彼女は天邪鬼だ。
 いつだったか新羅が言っていた。臨也が静雄に色々と仕掛けてくるのは、彼女なりの「表現」
 なのだと。
 臨也の「嫌い」にも、もしかしたら別の意図があるような気がしていた。
 思えばいつも、臨也は不安定だった。新羅や門田には素直な一面を見せるくせに、静雄にだ
 けはそれを見せまいと気を張っていたような。
 それが彼女なりの精一杯の虚像だとしたら。
 今こうして目の前で泣いているのが、本当の「折原臨也」だとしたら。

「―――臨也」

 ぼろぼろと涙を流しながらこちらを睨みつけてくる。
 嗚咽を押し殺して泣く姿が、幼い子供のようで放っておけない。
 ああそうだ。こうやって眸をよく揺らしていた。歪んだ笑みもどこか寂しそうで、つまらな
 そうで。
 そんな顔を見たくなかったから、何をされても結局放っておけなかったのだ。

「泣くな。……どうしていいか、わかんねぇよ」
「…シズ、ちゃん」

 大きな手が臨也の髪を撫でる。その手があまりにも優しくて、余計に涙が出た。
 嗚咽で何も言えないままでいると、頤に指がかけられ仰向かされる。
 前髪をかき分けられ薄らと残る傷跡にサングラス越しのタイガーアイが細められた。
 痛ましそうな顔がぐっと近づいてきたかと思うと額を生温いものが這う。思わず身体をはね
 させると、静雄が小さく笑ったのがわかった。
 眸から伝った雫を追うように、それはそろりと臨也の頬を辿る。欲などまったく感じさせな
 い、まるで獣同士で傷を舐めあうような―――。驚きすぎて涙など止まってしまった。
 視線が絡む。けれどすぐに抱きしめられ、顔は見えなくなった。

「シズちゃん…?」
「そんな顔するな。…頼むから、笑ってろよ…」

 それが俺の前じゃなくてもいいから、と力なく呟かれる。

「…俺を嫌ってようがどうでもいい。けど、俺はお前のこと、嫌いだと思ったことはねぇ」
「…え?」
「自分でもわかんねぇけど、お前が俺以外に傷つけられるのは我慢出来ねぇ。…血だらけの
 お前見た時何も考えられなくなった。…息が苦しかった。新羅のとこに連れて行く間も、手
 を放したら失くしそうで」

 辛そうな声だ。顔を見なくてもわかる。きっと今、彼の顔は歪んでいる。
 身じろぐと腕にほんの少し力が入った。まるで放すのが怖いとでも言うように。
 煙草の匂いと静雄の匂いが混じった腕の中で、臨也はそっと息をついた。

「…ねぇ」
「なんだよ」
「ほんと?ほんとに俺のこと…嫌いじゃないの?」

 おそるおそる手を静雄の背に回す。
 ベストをぎゅっと掴むと、呼応するように頭を傾けられる。

「…ムカつくしたまに本気で殺したくはなる。けど本気で嫌ってたら、俺は多分こんなにお
 前のこと気にしたり出来ねぇよ」
「…ほんと…?き、嫌いじゃないなら…」
「…指摘されるまでわかんなかった。……好きだ、臨也」

  低い声が耳元をくすぐる。
  言われたセリフが自分の聞き間違いじゃないのか、頬をつねりたかったけれど、抱きしめ
  られたままではそれは叶わなかった。

「俺、まだ新羅の家にいるのかな…」
「はぁ?」
「だって、夢…見てるみたい」

 自分の願望を見せられているんじゃないかと思う。そのくらいあり得なくて、幸せだ。
 だから思ったままにそう告げると、ゆっくりと身体が離された。

「夢じゃねぇよ。…夢にされてたまるか!」

 武骨な手が臨也の左頬を掬う。ぐっと引き寄せられるのと同時に、視界のいっぱいに広がる
 精悍な顔。
 柔らかな感触とピリッとした苦い味に、キスされているのだと知る。
 瞠ったレッドスピネルの眸とは逆に、伏せられたタイガーアイは見えない。けれど頬を淡く
 染めた顔に偽りは映っていなかった。
 臨也は背に回したままの手を一旦解いて、静雄の首に回す。

「夢じゃないなら…もう一回、して」

 唇が離れたあと、そう呟いてふわりと相好を崩した顔は。
 静雄が見たいと願っていたあの柔らかな笑みより、もっと綺麗な笑顔だった。








「それで…素直になった感想はどうだい?」

 マグカップを傾けながら、新羅は問いかける。
 時間に遅れそうだから、渋谷まで送ってくれないかとセルティに頼んできた彼女は、振り向
 いて目を細めた。その赤い眸は以前とは違い、生き生きとしているように見える。
 いつもの黒づくめの服ではなく、年頃の女性らしい淡い色のシフォンスカートと白いジャケ
 ットを着ていた。髪だけは「彼」が好むからといつものように背に流したまま。
 臨也は少し考えるように視線を泳がせた後、ふわりと微笑んだ。

「君の言葉を借りて言うなら…最上無二!」

 じゃあね、とセルティと共に玄関に向かう。
 新羅はその背に笑みをたたえて祝杯をあげるようにマグカップを掲げた。













 
 
 
 
 
 
 
 


       これにて、本編は終了致します。おつき合いくださった方、ありがとうございました。
       告白大会で終わりましたが、実を言うとまだ回収し切れてない設定とかあったり…。
       補足でその後の二人とか周りとか、書きたいなぁと思います。

         2010.08.28 あなたと至上の甘い恋をしましょう。