箱庭











 最初の記憶は、母の顔と優しい声。


「君のお父さんはね…」

 悲しい。でも嬉しい。そんな顔で話す母はとてもきれいで。
 幼いころ何度もねだって話してもらった、母の幼いころの話。
 いつも最後に「ごめんね…」と同じ色の髪を撫でて、呟くのを悲しいと思いな
 がらも、揺らめく紫色に込められた愛情に安堵した。

「リュイ」

 優しく名前を呼んでくれる母はとても細く、儚げな人だった。けれど強く、真
 っ直ぐに前を見る瞳は誰より美しく。周りの人が母に懸想するのは母を護りた
 くなるからだとラクスやギルバートが言った。
 でも母はずっと、一人だけを想っているとも。

 それが父だと知りながらも、一度も逢ったことはない。

 逢わなくてもいい。

 母や優しい大人が自分の周りにいるから。




 だから、悲しい顔しないでと。幼心に思っていたことを覚えている。













 アモーリーワンに、極秘会談のためにオーブからアスハ首長が来ると聞いたの
 は、彼らが来る5日前だった。
 呼ばれた夕食の席で、ギルバートは気遣う目をしてキラに告げた。

「仕事が途中だとは思うが…逢いたくないだろう?休暇をとったらどうだい?」

 現在、キラはただここに置いては貰えないと、軍に直接関係のないプログラム
 開発に関わっていた。
 だが高い能力と早い仕事ぶりが好評で、次の仕事でアモーリーワンの視察に行
 く予定が入っている。日付が近く、鉢合わせになる可能性が高いため、行くの
 を止めるよう、声をかけられていた。
 キラは少し考えるように口元に手を添える。俯いた拍子に、2年で伸びた亜麻
 色の髪がさらりと肩をこぼれた。

「…会談に来るのはカガリだけですよね。でも中枢まで入ってくることは…」

「…どうだろうか。施設の見学をするかもしれない」

「案内はギルが?」

「多分そうなるだろう」

 キラはますます考えこむように俯いた。
 眉間に薄くしわが出来ている。

「カガリのボディーガードとして…来るかもしれない」

 ポツリとこぼしたキラは顔を上げると、困ったように微笑んだ。

「まだ逢う決心がつかないのに、逢いたいって…思ってしまうんです」

 逢いたいけれど、一緒にいるところを見たくない。
 それに、逢えない理由がある。

 ―――彼に存在を教えられない子ども。

 生涯父親のいない子として育てることを決めたのはキラ自身だ。
 リュイはいつもキラと一緒に職場まで来る。まだ2歳の幼子をおいていけるほ
 ど、キラは強くなかった。信頼しているラクスやギルバートがいても、怖かっ
 た。
 自分の贖罪の血を引く子どもが狙われていることを知っている。
 大切な彼との証を失ったら、今度こそキラは壊れてしまう。

「けれど僕じゃ彼の太陽にはなれないから」

 やっぱり逢えない、と自嘲するように微笑むキラにギルバートは眉を寄せた。
 大切な彼女の子どもの一人は、彼女によく似ている。その子どももまた似てい
 て、ギルバートを慰めてくれた。
 だから守ろうと思うのに、キラは彼のことがある限り本当に幸せにはなれない。

 彼のことは、ラクスから聞いた。
 キラに話してもいいと了承を得た彼女は、ギルバート、イザークやディアッカ
 に腹の子の父親について語った。











 やはり、という顔をしたディアッカは片手で顔を覆い盛大なため息をついた。
 アークエンジェルにいた彼はキラたちを近くで見ている。だからため息をつか
 ずにはいられなかった。

『あいつは…キラじゃない恋人がいるからな…』

 困ったように力なく笑うディアッカに、イザークが訝しげな視線をやる。
 視線を受けた彼は頭をぐしゃぐしゃとかきながらラクスを見た。

『…オーブの姫と、そういう関係になったんだろ?』

 オーブの姫――カガリ・ユラ・アスハ。
 それはキラの唯一の肉親、双子の姉妹だった。

『オーブ首長がキラの…姉だと?』

 苦々しく呟いたイザークはギルバートやラクスがいなければ舌打ちしていただ
 ろう。
 眉間にきつく寄せられたしわが彼の苦悶を語っていた。

『ああ、双子の姉だ。ナチュラルだけどな』

 ディアッカのいつものような軽い物言いではない言葉は紛れもない肯定で、イ
 ザークは何も返すことが出来ない。
 考えていたより重い状況に皆が口をつぐんだ。

『…私は、ずっとキラを見てまいりました』

 ようやく口を開いたのはラクスだった。
 そこにいつもの笑みはなく、悲しげに俯く様は見ている方の胸をしめる。

『キラに逢った時…アスランがいつも話してくださっていた幼なじみだとすぐ
 に気づきました』

 亜麻色の髪、アメジストの瞳。その時は話に聞いていた天使のような笑みを見
 ることはできなかったけれど。

 幼馴染のことを大切に話すアスランに好感を持った。
 出逢った桜の季節。二人でしたイタズラや学校での出来事。そして別れの日の
 こと―――。
 今もまだ持っていてくれているのだろうかと苦笑した、メタリックグリーンの
 小鳥の話。
 たくさん聞いた。嬉しそうに話すから。優しい目をしていたから。


 なのにどうして。


『アスランが一度無人島に降下して…行方不明になった時、キラもそこにいた
 のです』

 あの日キラが謝りながら話してくれた、リュイを宿したきっかけ。
 離れていた二人がようやく結ばれたのだと、歓喜したのもつかの間だった。

『再会したアスランは、キラと結ばれたことを何一つ覚えていませんでした…』

『覚えて…ない?』

『キラがいたことだけを、すっかり忘れてしまったのです』

 それがわかったのは、最終戦の前、ラクスが合流したころのことだ。
 一人エターナルからいなくなったキラを探して、アークエンジェルの展望室に
 寄った。
 暗い星明かりだけの中、細い背中が泣いていた。

『キラは微笑んで、“忘れていてくれてよかった”と。それから、アスランは
 カガリさんと近づいていきました。キラはそれを一番近くで見てきたのです…』

 愛した人が、自分を忘れて自分の一番近い人と近づいていく。
 笑いあう二人を、一歩下がった位置でずっと見ていた。
 泣くことはできない。だからといって、笑うことも。
 そうして知った自分の出自。
 縋りたい人は遠くにいる。でも二人は近いのに、とても遠い。
 何も映さない瞳でいつも星を見上げていた。

『そして戦後…。いつまでも体調不良の続くキラを、私はカガリさんが用意し
 てくださったお医者様とは違う方のところへお連れしました』

 そうして発覚した、妊娠―――。
 産みたいと泣いたキラを見て、ラクスは決めた。プラントへ行こうと。

『私はキラを守りたかった。泣くことの出来ないあの方を…』

 彼と同じ色の瞳を持った娘に、キラは確かに癒されている。
 けれど未だに血を流し続ける胸は、彼でなければ止められない。

『私だけでは救えません。どうか…あなた方の力を貸して下さい』

 ピンクの長い髪が床につきそうなほど、深く下げられた頭。
 ギルバートはラクスの肩に手を添え、顔をあげさせた。

『あの子は私にとっても大切な子だ。彼女の母…ヴィアとは知り合いなんだ』

 産みの母のことは、ラクスも多くを知らない。
 だからギルバートの存在はとても助かるものだった。

『私はヴィアを助けられなかった。だからその分あの子と…キラとリュイを守
 ると約束しよう』

 誰かを――ヴィアを思い出したのか、悲しげに微笑みながら黄橙の目を細めた。

『俺もキラが心配だし…仲間だったからな。俺に出来ることならなんでもやっ
 てやるよ』

 ディアッカは目を伏せて呟く。
 キラとアスランのことは自分にとっても放っておけるものではない。
 二人を知る者として、幸せになって欲しいと思うから。
 ディアッカは隣から聞こえた盛大なため息に、目を開いた。

『…あの腰抜けが』

 イザークは忌々しいと言わんばかりにそう吐き出した。
 基本的に彼はフェミニストだ。キラとは戦中に色々とあったとはいえ、性格上
 かまわずにはいられないだろう。

『アスランめ…情けない』

『おい、イザーク』

 眉根を寄せて呟く姿は本当に苦いものを呑んだようで。
 困ったように呼ばれて、イザークはアイスブルーの瞳をふいっとそらした。

『キラのことなら、もう何も思ってない。…微力ながら助けるさ』

 ぶっきらぼうに言う彼に苦笑しながら、ディアッカはラクスを見た。
 潤んだ薄藍の瞳は嬉しそうな色を浮かべている。

『…ありがとうございます』

 微笑んだ彼女は、強く、美しさを備えていた。

『ラクス嬢が礼を言う必要はありません。…私の整理がつくのが遅かっただけ
 です』

『それにしても…アイツ』

 ディアッカのポツリとこぼされた声に、皆が彼を見た。
 薄紫の瞳を床に落とし、肘を腿の上において手を顎にかけて眉を寄せている。
 その表情は苦悶に満ちていた。

『どうしてキラとのこと、覚えてないんだ…?』

 全ての発端ともいえる出来事を忘れてしまったという。
 宵闇色の髪に翡翠の瞳を持った元同僚を思い浮かべながら、ディアッカは目を
 伏せた。













 ギルバートは俯いたままのキラをそっと撫でた。

「なるべく君が行くところにかち合わないようにしよう。だからリュイも連れ
 ておいで」

「ギル…」

 何者からもこの母子を守ると約束した。
 辛い経験をしてきた少女はそれでも曇らない瞳でこちらを見た。

「ありがとうございます…でも僕は逃げない。リュイのことはなんとかします」

「キラ…」

「大丈夫です。例えなにがあっても、僕はリュイを守る」

 あの子だけは、絶対に。
 彼との唯一の証。

「一人で気負わなくていい。キラの傍にはみんながついている。さしあたって
 護衛代わりにレイを連れて行きなさい」

「でもレイにも仕事…」

「なに、レイは君たちといた方が楽しそうなんだ。あそこにはミネルバがある
 し、どちらにせよ一緒にいた方がいいだろう」

 ギルバートが目を細めて悪戯っぽく笑うと、キラも小さく微笑んだ。












 キラがようやく休憩を貰ったのは、アモーリーワンに着いてすでに6時間ほど
 経過してからだった。
 視察とは名ばかりのコンピュータシステムの改ざんを進め、さすがに疲れてき
 た頃にレイに呼ばれた。
 彼らが来たのだろうとキラは苦笑してレイと与えられた部屋に向かって歩く。
 放って置かざるをえなかった娘の様子を見ようと急いで向かったが、部屋には
 誰もいなかった。

「…リュイ?」

 広い軍事基地を初めて見たリュイははしゃいでいた。2歳にしてはずいぶんお
 となしい子だったがやはり退屈だったのだろう。機械に触らないようにと言い
 つけて、遊ばせていたのだが少し目を放した隙にどこかへ行ってしまったよう
 だ。
 慌てていなくなった娘を探しながら、キラはふと振り向いたときに見つけてし
 まった。
 ギルバートと共に話しながら歩く黄金色。
 そしてその後ろに宵闇色を―――。

 時間が止まったような感覚がして、キラは体を動かすことができなかった。


『アスラン』


 唇を動かすけれど、声はでない。出してはいけない。
 やはり来ていた。
 カガリが来るならば、きっと彼女を守るために来ると思ったけれど。
 まだ、見たくなかった。


「ママ…?」

 小さな声にはっとして振り向くと、翡翠の大きな瞳で自分を見上げる娘。
 キラは安堵の息を吐いて膝をつく。

「こら、勝手に部屋を出ちゃダメって言ったでしょう。…やっぱりラクスとお
 留守番してた方がよかった?」

 めっ、と怒った顔で柔らかい頬をつついてやると、リュイはしゅんとなった。

「ラクスちゃんとおるすばんはや。ママといる」

 きゅっとキラの羽織っている白衣の裾をつかみ、リュイは首を横にふる。
 泣きそうにゆがめられた顔に、キラはリュイを抱き上げた。
 最近は準備で忙しくて、ラクスに預けることが多かった。やはり寂しかったの
 だろう。
 しがみついてくる我が子を、キラは優しく揺らす。

「もうお仕事終わるから、レイとちょっとの間お話してて」

「もう終わり?」

「うん、だから一緒にラクスのところへ帰ろうか」

 彼らに見つかる前に、ここを出る。仕事はもう大体終えているのだから問題は
 ないはずだ。
 キラがそう考えてリュイに微笑みかけたそのとき。




 地面が揺れ、大きな爆音が響いた。




 近づく出逢いを、まだ知らない。

















     fatalisn










 自分と同じ色の瞳だけど、それはとてもきれいだと思った。
 まだ何も知らない無垢な色。

 亜麻色の髪と顔の造作は幼なじみと同じで。


「君は…?」


 小さな女の子はびくりと震えてこちらを見た。









 侵入者が暴れているのだと近くにいた人に聞いた。
 レイがこちらを探しているはずだが、リュイを連れて軍の内部には行けない。
 キラは唇を噛むと、リュイを抱えて走りだした。





 大きな爆音に、レイは焦りを隠せなかった。
 未だ見つからないリュイを別れて探すキラには連絡を取れずにいるし、ギルバ
 ートも心配だ。
 基地内を走りながら、あたりを見回すと紅い髪が目に入った。

「ルナマリア!」

「レイ!」

 同期の赤がいて助かった。レイは急いで駆け寄る。

「ねぇ、なんなの?この騒ぎ」

「連合側の奇襲だ。キラかリュイを見てないか?」

 普段は落ち着いた態度を崩さないレイが目に焦燥を浮かべている。
 ルナマリアは不安を隠せなかった。

「いないの?!」

「リュイが部屋を出てしまったんだ。キラと別れて探していたんだが…」

「そんな」

「俺はまだ探すから、お前はシンとミネルバの方に行け」

 早口で告げると、ルナマリアの返事も聞かずに再び走り出した。











 その頃、キラは近くにあったザクにリュイを乗せていた。
 連合側の狙いは新しく開発された機体だろうとふんだからだ。
 キラの険しい顔にリュイも黙って従う。
 それでも不安なのだろう、リュイの翡翠の瞳には涙が溜まっていた。
 
「リュイ」

「はい、ママ」

「ママ…ギルが心配なの。レイが迎えにきてくれるから、リュイはここに隠れ
 ていて?」

 キラの言うことは、リュイにとって絶対だ。
 母の顔が厳しいものから、いつものどこか儚げな笑みに変わる。

「必ず迎えに来るよ。ママは絶対にリュイと一緒にラクスのところに帰るんだ
 から」

 待っていて?と抱きしめてやる。
 リュイが小さく頷くのを確認すると、キラはコックピットを閉めた。
 走り出すキラは泣く手前だった。





 しかし、何事もそう上手く行くわけがなく。


 リュイがザクのコックピットにいることをレイや他の知り合いに伝えられない
 まま、キラは基地から離れてしまった。


 次にリュイが乗るコックピットに光が射したのは、まだ爆音の響く最中だった。








 母が行ってしまった後、リュイは響く爆音に怯えながらも泣かずにいた。
 一人で母が戻ってきてくれるか、レイが来るのを待つのは心細かったが、周囲
 の大人は皆リュイに優しかったし、嘘をつかない。だから待っていられた。
 小さな叫び声が聞こえて、コックピットが開く。
 母かレイが来てくれたのだと、膝に埋めていた顔を上げた。
 しかし見上げた先にいたのは知らない人で。

「だぁれ…?」

 軍服でも、白衣でもない服の人はテレビで見たことのある顔だった。
 母と似た顔の人。それから、自分と同じ色の瞳の。
 テレビに映るこの人を見るたび、母が悲しそうな顔をすることを知っている。
 ラクスだってそうだ。
 だからリュイはこの人が好きではなかった。





 アスランは困惑していた。
 カガリに怪我を負わせるわけにはいかないと、近くにあったザクに乗り込んだ
 が、そこには先客がいた。
 ―――しかも小さな女の子。
 暗がりの中、こちらを警戒してかぎゅっと縮こまる姿はどこか痛々しく。聞こ
 えた舌足らずな声は不安を表していた。

「子ども…?」

 カガリの小さな声に、アスランははっとして振り返った。
 自分は彼女を守らなければならない。そのためにはこれに乗るのが一番いい。
 アスランは怯える幼女の頭をそっと撫でた。

「急にすまない。でも俺たちもここに入れてくれないか?」

 出来るだけ優しく言うと、幼女が頷いたのがわかった。
 爆音は止まない。
 周囲を確認すると、アスランは急いでコックピットを閉めた。

「くそ…動くか?」

 滑り込むようにして操縦席に座り、ザクを起動させた。

「ママ…」

 不安そうな幼女は左側で縮こまっている。
 こんなところに一人でいるなんて、どうしたのだろう。母親とはぐれてしまっ
 たのだろうか。
 アスランは安心させようと、幼女を自分の膝に抱き上げて―――目を見張った。

「君は…」

 似ている。
 いや、生き写しと言っても過言ではないくらいに、自分の知っている人に似て
 いた。

「アスラン?」

 幼女を見て固まったアスランを訝しんで、カガリが覗き込んでくる。
 彼の愕然とした顔にただ事ではないと、カガリも幼女を見た。

「……キ、ラ?」

 カガリは琥珀色の瞳を驚愕に見開いた。
 いなくなってしまった人。大切な肉親なのに、探すのもままならないままでい
 る。
 ここへ来れば少しは情報が手に入るかもしれないと期待していた。
 その彼――キラ。



 不安そうな顔をする幼女は、自分たちのよく知る彼にそっくりだった。











 ミネルバは慌ただしさに包まれていた。
 出航したものの、議長を危険にはさらせないと連合側と思われる敵を深追いす
 ることはできなかった。
 しかし急遽入った1通の通信のおかげで、艦内は依然として騒がしい。
 それは議長も艦長であるタリアとも面識のある少女からだった。

『ギル、リュイが!』

 切羽詰まった声は痛々しいほどに涙を含んでいる。
 美しいアメジストは苛烈な色を浮かべている反面、今にも壊れてしまいそうだ
 った。

「キラ、今どこだい?」

 ギルバートが通信画面の前に立ち、ゆっくりと落ち着かせるように問う。
 画面の向こうで、キラは一度目を閉ざして深呼吸をした。

『僕は今アモーリーワンに戻って来てる。一旦兵士に連れられて避難したんだ。
 でもリュイが…』

「リュイはどこに?」

『近くにあったザクの中に隠れさせたんだ。でもそれを誰かに言う前に僕は連
 れていかれて…』

 話しながらどんどん瞳が涙で歪められていく。
 ギルバートは頷くと黄橙の目で先を促した。

『ザクの中なら、安全だと思ったのに、リュイを乗せたザクがここからなくな
 ったんだ!!』

 キラの叫ぶような答えに、流石にブリッジ内のクルーたちも目を見張った。
 誰もが愕然とする中、ドッグから通信が入った。
 そんな場合ではなかったが、オペレーターはとっさに通信を開く。

『ブリッジ、艦長いらっしゃいますか?』

 聞き慣れた声に、キラも画面越しに通信機の方に目を向けた。
 それを見たギルバートがタリアに通信を繋ぐように促す。
 タリアは頷いてボタンを押した。

「いるわ。どうしたのルナマリア」

『先ほど1機のザクを乗艦、収容しました』

「え?」

 タリアが目を見張ってギルバートに視線を移す。

『ザクに乗っていたのはオーブ首長とそのボディガード。そして…』

 しん、と静まり返ったブリッジ内に、その報告の声はよく響いた。


『リュイちゃんです』





 数奇な運命は一体何をもたらすのか。
 ルナマリアの告げた内容に、キラは足から力が抜けるのを他人事のように感じ
 ていた。










 数分前、ルナマリアはドッグについたザクを警戒しながら、コックピットが開
 くのを待っていた。

「ルナちゃん!」

 開いたコックピットから聞こえた舌足らずな声に、ルナマリアは目を見張るし
 かなかった。
 オーブ首長を庇うようにして立つ青年の腕に、よく見知った幼女が抱かれてい
 たのだ。
 ルナマリアは焦って、銃にかまわず、不安を浮かべる幼女に駆け寄る。

「リュイちゃん!どうして…ママは?」

 こちらに手を伸ばしてもがくリュイを、青年は困ったように床におろした。

「ルナちゃん」

 抱き上げてやると、首にしがみついてくる。
 ぽんぽん、と背中をたたいてルナマリアは青年を見た。

「すみませんが艦長に連絡を入れますので、少しお待ち下さい」

「ああ…」

 サングラスで顔の半分が隠れてくるが、隙のない様子から彼はかなり優秀なボ
 ディガードだとわかる。
 リュイを一旦おろし、ルナマリアは近くの通信機を動かした。

 少々時間がかかったがつながった。手早く現状を告げると、画面の向こうで息
 を呑む気配がする。

『リュイがミネルバに?』

 答えは艦長の声ではなく、画面越しに関わることの多い彼の人の声。
 ルナマリアはさっと敬礼した。

『今キラから通信があったばかりだ。リュイをブリッジに…いや、ここは不味
 いかな?』

『いえ、リュイちゃんなら大丈夫でしょう。ルナマリア』

「はい」

『急いでリュイちゃんをブリッジに』

「了解しました。…あの、オーブの方々は…」

 ちらりと件の彼らを見ると、リュイをじっと見つめる視線を感じ、眉をひそめ
 る。
 だがリュイも宵闇色の髪の青年を見つめていた。
 画面ではタリアがギルバートを見て指示を仰いでいる。

『厄介だな…』

『…とりあえず1室用意して…そこにいてもらいましょう』

『ああ、そうしてくれ』

 視線を受けて、ルナマリアは頷いた。
 通信を切って、大きく息を吐く。
 そうして未だ青年を見るリュイを抱き上げ、数人の兵士と共にオーブ首長たち
 の方に向かった。

「お待たせしました。1室用意しますので、そこで待機していて下さい」

「ああ…だが怪我の手当てをさせてくれないか」

 青年が気遣うようにオーブ首長の肩を抱く。
 ルナマリアはなぜか違和感を覚えた。

「医療室に寄りますか?」

「いや、救急箱を貸してくれると…」

「わかりました。…ではついてきて下さい」

 二人が並んで立つのに、違和感を感じる。
 リュイを抱く腕にほんの少し力を込めて、踵を返した。






 画面の前で呆然とする少女をギルバートは痛ましそうに目を細めた。

「…キラ」

 気遣う声に、キラは顔を上げることができなかった。
 皮肉だと思う。
 絶対に知られたくない人と一緒にいるなんて。
 自分とそっくりの容姿に彼は何を思うだろうか。

 思い出さないでと願うのに、心の奥深くで彼を望む自分がいる。

『ギル…リュイをお願い…』

「ああ、もちろん」

『…迎えに、行くから』

 約束をした。
 一緒にラクスの元へ帰ろうと―――。

 今はリュイのことだけでいい。
 自分が壊れたとしても、リュイだけは守ってやらなければ。

『ミネルバに乗艦許可をください』

「キラ」

『大丈夫だよ。みんながいてくれるなら』

 浮かべられた微笑みは少し無理をしていることがわかるものだったけれど、
 ギルバートの目には母親としての意地に見えた。
 この表情を知っている。昔、同じように微笑んだ人がいた。

『ギル』

「…グラディス艦長。許可を」

「よろしいのですか」

「キラ、本当にいいんだね」

 再度確認すると、キラは頷いた。



 想いが消えないのは、もう消せない記憶が魂に刻まれているからだと。
 ブラックアウトした画面を見つめながら、拳を固く握った。







「ヴォルテールに、通信をお願いします」







 今、行くよ。
 だけどどうか、あの人と―――。



















       優しさだけを込めたような庭の中で、生きていく。あの人を忘れないまま。

          07/08/11  「一つの物語を話しましょう。それは切ない、忘れられた物語」

       前に進むためにここにいるはずなのに、どうしてまた出逢うのだろうか。

          07/08/12  「運命の女神は、どこまで悪戯なのか―――。月の涙は未だ乾かぬ」