それを聞いたのは偶然だった。
 あの幼い少女と紅服の少年の会話。


 騒がしくなった艦内を不振に思い、カガリを部屋に残して通路に出る。
 誰かいないか探していたアスランは、小さな話し声に足を止めた。







     ガラス越しの恋









「リュイ、起きているか?」

「…う、にゅ?レイくん」

 ドアの開く音に反応してか、リュイは翡翠の瞳を現していた。
 歩み寄ってくるレイにふわりと頬を緩める。その表情はキラとそっくりで、レ
 イは知らず目を細めてた。

「おはよう」

「おはようです」

 ベッドからぴょんと降りたリュイを抱き上げると、頬に小さな唇が押しつけら
 れた。
 レイが青い瞳を見張ると、幼子は悪戯が成功したといわんばかりに笑う。

「ギルがね、おはようとかおやすみの時はこうするんだよって!」

「…そうか」

 全くあの人は、リュイに何を教えているのだろうか。
 レイは頭を抱えたいのを我慢して、こっそりため息をついた。

「もうすぐ迎えが来るから呼びに来たんだ」

「ほんと?」

 高い声に喜色が混じり、小さな手を上げて万歳をする少女にレイも笑う。

「ヴォルテールが来るんだ。それに…キラが乗っている」

「ボル…ヴォル…テール?」

「そう、イザーク・ジュールの艦だ」

「イザくん!」

「キラと一緒にリュイを迎えに来たんだ」

「ママ、イザくんのおふねにいるの?」

 目を輝かせたリュイを抱き上げたまま部屋を出る。
 急がなければ先にキラたちがドッグに着いてしまうだろう。出迎えをするた
 めに、レイはリュイにしっかり掴まるように告げると、足早にドッグへ向かっ
 た。
 壁の影にいる存在には気づかなかった。






「…キラが…来る?」

 ドアを開け放したまま会話をしていたため、少し離れていたここからでも十分
 聞こえた。
 どうやら騒ぎの原因は、他の艦―――ヴォルテールがこの領域に来るからのよ
 うだ。しかもその艦にはイザークが艦長として乗っており、キラもいるらしい。

 そして、何より。

「…ママ…って…」

 キラが?

「どういうことだ…?」

 立ち尽くした彼の問いに答えが返ってくるはずもなく、アスランは混乱を抱え
 たまま部屋に戻るしかなかった。









 レイたちがドッグに着いた時に、ちょうどシャトルも到着した。

「あ、来た!」

「レイ!リュイ、こっちだ」

「ルナちゃん、シンにぃ」

 レイの腕の中からリュイが二人に手を伸ばすと、ルナマリアが駆け寄ってきて、
 小さな手を握ってやる。シンもリュイの頭を撫でてやった。
 嬉しそうに笑う幼子に、二人も微笑んだ。

「もう眠くない?」

 ルナマリアの問いに、リュイは首を大きく縦に振った。

「ママ、まだ?」

「今降りて―――」

 シンが答えかけた時、慌てた足音が響き、皆がそちらを見る。

「リュイ!!」

 亜麻色の長い髪が重力を感じさせないくらいに、さらりと流れるのが見えた。
 不安げに揺れるアメジストの瞳がリュイを映して輝く。
 レイがリュイを床に下ろして背を押してやると、一目散に走り出した。

「ママ!」

「リュイ…!よかった…!」

 キラが広げた両腕の中に、幼子はしがみつくようにして抱きついた。
 きつく小さな身体を包み込み、キラは安堵の息を吐く。
 クルーたちが見守る中、再会を喜ぶ母子は一枚の絵のようだった。

「キラ」

 名前を呼ばれ顔を上げると、ギルバートがイザークと共にキラに近づいて来る
 ところで。
 キラは膝をついたまま、彼らを見上げた。

「ギル…ありがとう」

「いや、私は何もできなかったよ。…礼は彼らに」

 ギルバートが黄橙の瞳を向けた先には、紅の三人を始めとするミネルバのクル
 ーたちがいた。
 キラはイザークの差し出した手に掴まり立ち上がると、リュイを抱き上げて深
 々と頭を下げる。

「ありがとうございました。リュイを助けてくれて…本当に」

「そんな、頭を上げてください。ヒビキ部長」

「そうですよ、キラさん!」

 知らないクルーの慌てた声と、ルナマリアの困ったような、けれどどこか照れ
 たような声に、キラは微笑んで顔をあげた。

「さぁ、とりあえず私の部屋へ行こう。ジュール隊長、それから三人は来なさ
 い」

「はっ!」

 イザークが敬礼をし、キラを促すように背に手を添える。
 キラはアイスブルーの瞳を見上げると、小さく微笑んだ。
 いつも以上に彼はキラに甘い。きっとこの艦にいる彼を気にしているのだろう。
 ギルバートはキラからリュイを受け取ると、軽々抱き上げた。

「リュイ、私の部屋でキラに怒られなさい」

「え…」

「アモーリーワンでは勝手に部屋から出たんだろう?私たちもリュイがいない
 とキラに聞いたときはとても心配したんだよ」

 困ったように笑うギルバートにリュイはしゅんとして小さくごめんなさい、と
 呟いた。
 ふにゃりと顔を歪める幼子はキラとイザークに手を伸ばす。

「ママ、怒る?イザくんも…」

 キラはアメジストを軽く見張り、思わずと言ったようにイザークと顔を見合わ
 せた。
 イザークが軽く嘆息し、彼にしては珍しく柔らかい微笑を浮かべる。

「…心配した。キラが泣きながら連絡してきたからな」

「イ、イザーク!」

 キラは頬を紅潮させ、イザークの白い軍服を引っ張った。
 咎めるような仕草に、イザークはキラの頭を軽く小突き、リュイの頭を撫でて
 やる。

「あまり母上に心配をかけてやるな。我が儘は俺たちが聞いてやる」

 まだ2歳だというのに、驚くほど大人びたリュイはめったに自分の意見を言わ
 ない。そしてキラやラクスの言ったことは絶対に守る。だから今回、いなくな
 ったと聞いたときは驚いた。

「ごめんなさい…」

 翡翠に涙を溜め始めた幼子がキラを見て呟いた。

「リュイ」

 キラは微笑んで子供の頬に唇を寄せる。
 まだ幼い子供に多大な我慢をさせていることを知っていた。本当は、寂しいと
 口にしたいだろうに。
 まだ甘えていい年齢だというのに、母親は忙しく、父親はいない。
 代わりのような存在がいくらたくさんいても、紛らわせることは出来ないだろ
 う。

「僕もごめんね…。リュイといられなくて。―――でも僕にはもう、君しかい
 ないんだ」

 呟かれた最後は、意図せず口から出たものだったのだろう。
 しかしリュイを抱いていたギルバート、そして近くにいたイザークには聞こえ
 てしまった。


 汚れきったこの身体に宿った子供。
 彼との唯一の証。
 本当に愛しくて、確固とした繋がりを感じられる存在。


「君が望むことは僕に出来ることならなんだって叶えてあげる」

 君が僕を必要とするならば、何だって。
 キラのアメジストの瞳が細められる。
 その姿はまるで慈愛の聖母。
 誰もがそう思った。
 まだ幼い子供を一人で育てる少女を助けたいと思う気持ちを持つ。

「キラ」

 アイスブルーの瞳が儚げに微笑むキラを映して揺れた。
 キラの決意をずっと見てきたイザークは、キラの言葉がどんなにキラ自身を戒
 めているのか知っている。
 ―――簡単に幸せになれとは言えなかった。

「キラ、ジュール隊長。場所を移動しよう。今後のことを決めなければ」

 イザークが言い淀んだのがわかったのか、ギルバートが促した。
 キラは頷き、イザークの手を引く。
 イザークは悔しげに眉間にしわを寄せ、歩き出した。









 ギルバートに用意された貴賓室は広かったが、六人と幼子一人が入ると、多少
 人口密度が高い。
 キラを二人がけのソファーに座らせ、ギルバートが1人用に座る。リュイはキ
 ラの隣で母親にしがみつくようにして座っていた。
 珍しく甘える子供を、キラは咎めない。小さな背に手を添えて、時たま軽く撫
 でてやる。

「君たちも座りたまえ」

 ギルバートに促され、皆がソファーに座った。

「リュイ、膝の上においで」

「…俺が」

 リュイがこのままだと、一人座れない。キラがリュイを抱き上げようとすると、
 イザークが抱き上げて膝に乗せる。

「ありがとう」

「イザくん、今日はディーは一緒じゃないの?」

 リュイがイザークを見上げて首を傾げる。

「ディー…?」

 ルナマリアがリュイを見て頭を捻ると、キラがくすくす笑った。

「ディーっていうのは、イザークの副官。本名はディアッカ・エルスマン」

「あんな奴、腰抜けで充分だ。…今日は置いてきた」

 キラの紹介にイザークが小さく付け足す。
 それにキラが更に笑う。

「ひどいよ。信頼してる副官に君の艦を任せてきたんでしょう」

「…アイツより俺が来た方が適任だろう」

「…うん」

 ディアッカはきっとアスランにきつく当たれない。
 彼はしばらくアークエンジェルにいた分、キラとアスランの関係を把握してい
 た。
 だからキラだけに味方するのを迷っている。

「ディアッカは優しいから…」

 みんな優しい。けれど事情を知る中で彼は詳しく知っている分、戸惑っている
 のだろう。

「キラ、どうするつもりだい?」

 沈黙が落ちる中、ギルバートの問いが響いた。
 黄橙の瞳がしっかりとアメジストを捕らえる。
 キラはそっと目を伏せ、リュイの手を取った。

「僕はリュイの母親であることを隠す気はないよ。けど…」

 現れたアメジストは少し揺れていた。
 幼子が母と繋いでいない方の手を伸ばし、キラの頬に触れる。

「ママ」

 透明な光を湛える翡翠に、今もまだ胸に刻まれた想いが疼く。
 彼と過ごした時間を思い出しては泣く自分が嫌だ。
 けれど消えない。消せない。


『キラ』


 何度も呼ばれた。
 呼び返した。


『キラ、愛してる』


 ―――僕も、君を。


「僕は彼が幸せでいてくれれば、それでいい」

 だから、僕は闇路を行く。
 その向こうに、夜明けが待っていなくても。

「彼には…言わない」

 そう告げた声は、どこか安堵と切なさが混じっていた。
 微笑む顔はそれ以外知らないとでも言うように無垢で。

 キラは頬に添えられたリュイの手を取り、軽く握る。
 部屋には再び沈黙が落ちていた。
 誰も、キラに返す言葉を見つけられなかった。







 2時間後、キラはドッグで彼に再会する。
 笑みを浮かべ、驚愕する彼にただ。

「久しぶり」

 とだけ。


 驚愕に見開く翡翠を静かに見返しながら、心の中で血を流した。












     2.





 目の前に来た人に、声をかけた。

『久しぶり』

 今、自分は笑えているだろうか。
 声は震えていないだろうか。

 2年ぶりに近くで見た愛しい人は、あの頃より大人の男の人になっていた。
 変わらない翡翠の瞳は、子供と瓜二つ。
 背が伸びて、身体はもう少年を抜けている。

 時が経ったのだと―――一人取り残された気分になった。
 いつまでも彼との思い出にすがっているのが滑稽だと思った。

 でも、今もまだ。
 きっと永遠に。

 僕は、君を―――。








 人々が慌ただしく動く中、キラは一人ドッグにいた。
 リュイは先にヴォルテールに連絡を取るイザークが連れて行った。ヴォルテー
 ルのクルー、特にディアッカにリュイが会いたがったからだ。
 今からキラとギルバートはヴォルテールに乗り換えて、プラントへ帰る。
 だからここで、彼に逢うことになった。そうすればシャトルの発射時間が決ま
 っているため、長いこと話す時間はない。
 ギルバートとタリアが指示してくれたおかげで、ドッグには必要最低限の信頼
 出来る者しかいないのも助かった。

「…大丈夫」

 ルナマリアがオーブの方々を呼んで来ます。と行ってからまだ15分も経ってい
 ないのに、キラの胸は高鳴っている。
 その反面、やけに静まり返った自分がいることも自覚していた。

 夢のような一夜は、再会した日にすでに夢だと知った。
 胎に命が宿ったのは、自分の捨てきれない想いの烙印のようで、少しだけつら
 かった。

 もう二度と口にすることは出来ないはずの名前を、胸の内で繰り返す。
 彼を知る人の前で名前を口に出せなかった。
 怖かったから。悲しくて幸せになるから。

 どうかまだ、思い出さないで。
 今はまだ、早い。
 君が確実に幸せになったら―――欠片だけ、思い出して欲しい。
 あの日、逢えたことだけでいいから。


『キラ』


 愛を、思い出してはいけない。
 でも、僕が覚えておくことは許して。
 僕が我儘なこと、君は知っているでしょう?


 ドッグに数人分の気配が加わった。
 彼らが着いたのだろう。
 キラはそっと伏せていた目を開いた。








 ノックが聞こえ、アスランはカガリを制して返事を返した。

『議長がお呼びです。今後のことを説明しますので、ご案内します』

 どうやら先程の少女のようだ。
 アスランは聞いていただろうカガリに視線で問う。
 カガリは頷いてドアを開けた。

「案内してくれ」

 カガリの返事に、ルナマリアは表情を変えずに頷いて歩き出した。

「議長はドッグに向かっておられます」

「ドッグに?」

 アスランが後ろから問うと、ラベンダー色の瞳がちらりとアスランを映す。
 サングラスのせいでアスランの表情は見えなかったが、声に困惑が混じってい
 るのは伺えた。

「議長は至急プラントの方へ戻られますので、ヴォルテールに乗艦なさいます。
 時間があまりないので、申し訳ありませんがドッグの方に、と」

 ルナマリアが早口で説明すると、ちょうど議長が向かいの通路から歩いてくる
 ところだった。

「ああ、アスハ首長」

 ギルバートはカガリとアスランを見て、申し訳なさそうに眉を寄せた。

「先程のアモーリーワンのことでプラントも騒ぎが起きていましてね。至急戻
 ってくれと連絡がありまして…」

「そうですか」

「申し訳ありません。会談も中途半端なままですが、今回はこれにて失礼させ
 ていただきます」

 無重力の中を器用に進みながら、ギルバートはドッグの入り口で一旦止まった。

「レイ、シャトルを見てきてくれ。彼女がいるはずだ。それからジュール隊長
 にリュイを先に乗せるように…」

「あのっ!」

 ギルバートの声を遮って、宵闇色の髪の青年が声をあげた。
 特に気分を害した様子もなく、ギルバートが振り返る。

「なんでしょう」

 黄橙の瞳が細められ、アスランを見る。サングラス越しだというのに射ぬかれ
 るようなその視線に、アスランは知らず拳を固く握った。

「その、リュイという子は、私たちが乗ってきたザクにいた子ですよね。…一
 体何者ですか」

 キラにそっくりな幼い少女が、再会の糸口になるはずだと、信じて疑わなかっ
 た。
 それしかなかったとも言える。
 青年の固い声に、ルナマリアは軽く息を呑み、レイは青い瞳を鋭くした。
 ギルバートは困ったように微笑むと、口を開いた。

「偽りのままの君に話すことは出来ない。そう約束をしているからね」

 その言葉に、カガリは目を見開き、アスランはサングラスの下で瞳を見張った。

「君は偽りの存在だろう。私は彼女たちを守るために素性のはっきりしない者
 は近づけたくないのだよ」

 そう厳しいことを言いながらも、楽しげに笑ったギルバートに、アスランは唇
 を噛んだ。
 確かに今の自分は偽りだった。顔を隠し、名を偽っている。

「議長、それは…」

 カガリが口を挟んだが、アスランに腕を引かれ、振り返った。
 アスランは頷くと、静かにサングラスを外した。

「…これでいいですか」

 現れた翡翠の瞳に、ギルバートは満足げに頷いた。

「彼女はリュイを迎えに来ているんだ。逢うかい?―――アスラン・ザラ君」

 嘲笑を含んだような言い方ではあったが、アスランは迷わず首肯した。
 彼はプラントを統治する人物だ。対等に渡り合うのは得策ではない。
 カガリは訳が分からないという顔でアスランを見つめている。

「では行こう。覚悟があるのなら」

 ギルバートは口元を軽く引き上げると、黒髪をふわりと漂わせながら背を向け
 た。






 人の視線やこそこそと話す仕草にはもう慣れた。
 戦犯パドック・ザラの息子がなぜここにいるのかと、一人の青年に注目してい
 る。
 宵闇色の髪に翡翠の瞳。整った容貌はコーディネーターの中でも特に上の部類
 だ。
 昔から母譲りの外見で、良くも悪くも目立ってきた。
 幼なじみと並ぶと、視線はさらに増える。
 キラはそこまで目立つ色彩ではなかったが、あの透き通ったアメジストは人の
 目を惹きつけてやまなかった。
 アスランも何度あの瞳に魅入られてきたか、無邪気な笑顔に、ふわりと微笑む
 仕草に感情を引き出されたか分からない。
 そのくらい近い存在だった。
 急にいなくなったキラと共に行ったラクスに絶望と羨望し、この2年程は首長
 補佐の地位を利用してがむしゃらに探した。
 ようやく近くに、いる。―――逢える。
 前方に見えた亜麻色に、胸が騒いだ。


「キラ!」


 議長の声に、ドッグの壁に寄りかかって書類を眺めていた人影が顔を上げた。
 さらりとした髪が肩を流れ、大きなアメジストが姿を現した。

「―――キ、ラ」

 こちらを目にして、小さく微笑んだのがわかる。
 壁から離れ、こちらに歩み寄る彼は紛れもない女性の姿。

「…久しぶり」

 ギルバートの隣に立った女性は、にこりと笑ってそういった。
 2年前と変わらない声。伸びた髪と身体の感じが違うけれど、間違いない。

「キラ…!」

 カガリの肉親で、大切な幼なじみがそこにいた。







 イザークがドッグに帰ってきた時、キラは微笑みを浮かべて立っていた。
 けれどその顔が泣く手前だと、何人が気づいているだろうか。
 少なくとも、彼女の目の前で呆然としている彼は気づいていない。
 イザークはきつく拳を握り、足を進めた。


「本当に、キラ…だよな?」

「そうだよ?君は僕以外の誰だと思うのさ」

 恐る恐る手を伸ばしてくる彼に、キラは困ったように首を傾げた。

「キラ!」

 顔を歪めたアスランが肩を掴んだかと思うと、キラを抱き寄せる。
 きつく抱かれ、キラは一瞬泣きそうに眉を寄せた。

「探した、2年…。よかった…生きていて」

「アスラン…」

 泣きそうな声に、キラは知らず入っていた身体の力を抜く。
 心配してくれたのだとわかり、少し嬉しかった。

「キラ…?」

 震える小さな声に、腕の中からそちらを向くと、琥珀を潤ませた少女がいた。

「…カガリ」

 名前を呼ぶと、堰を切ったようにしがみつかれる。
 二人からいっぺんに抱きつかれ、キラは困ったように視線を泳がせた。

「こら、そこら辺でキラから離れろ」

 特に腰抜け。とキラの背後から聞こえた声に、キラは苦笑して口を開いた。

「イザーク」

 銀糸の髪が揺れ、二人からキラを引き剥がした人物を見て、アスランが眉間に
 しわを寄せた。

「…イザーク?」

「久しぶりだな…アスラン」

 ふん、と鼻を鳴らしたイザークはアイスブルーの瞳を細めてアスランを見た。
 
「なんでお前がミネルバに…?」

「議長とリュイを迎えに来たんだ。キラとな」

 そういえばずっとこちらを睨みつけている金髪の少年が幼子と話していた。ヴ
 ォルテール―――イザークが迎えに来ると。
 アスランは困惑しながらもキラを見る。
 キラはイザークを見て首を傾げた。

「リュイは?」

「…シャトルの中だ。通信機でラクス嬢と話している」

「一人で?」

 心配してか、眉を寄せたキラをイザークが軽く小突く。

「そんなわけあるか。ちゃんと見張りをつけている。目を離すとどこのボタン
 を押すかわからんからな」

 イザークの返答に、キラは明らかに安堵したようだった。

「リュイはそんなことしないよ。…多分」

「案外悪戯好きだろうが。お前に似て」

 二人の会話に傍観していたギルバートがクスクスと笑う。

「何、ギル」

 キラがじとっとした目をギルバートに向けると、彼はますます笑い出した。

「いや、悪戯好きなのはキラに似たのかと思ってね」

「僕はそんなに悪戯好きじゃないよ!」

 キラが頬を赤く染める。
 楽しそうに会話をする彼らを、アスランは疎外感と共に呆然と見ているしかな
 かった。
 それはカガリも同じようで、戦中は決して見ることが出来なかった昔のキラを
 見ている気分にさせられた。

「もう!僕はリュイのとこ行くから」

 ひとしきり言い合いをした後、キラがそう言って歩き出す。
 アスランははっとしてキラの手を捕った。

「っ…アスラン?」

 キラのアメジストに自分が映るのを見て、安心する。
 とっさに掴んだ手は細く、頼りなかった。

「あ…」

 聞きたいことは山程ある。けれどまずは―――。

「その、リュイって子は…」

 キラの瞳が見張られ、掴んだままの手がピクリと震える。
 アスランは気づかないふりをして、手に力を込めた。

「その子はキラの何だ…?」

 もうわかっていることを聞くのは愚かだろう。
 けれど聞かずにはいられなかった。
 キラが逡巡するかのように、翡翠から目を逸らす。
 手に更に力を込めると、キラは目を伏せてこちらに向き直った。
 アメジストが現れ、翡翠と再び交差する。

「…リュイ・ヒビキ」

「え…?」

 アスランが手の力を緩めた隙に、キラの手がするりと離れた。

「僕の」


 赦されない罪の、エゴでしかなかった想いの、証。


「子ども」

「…え」

「2年前に産んだ、正真正銘僕の子どもだよ」


 君と、僕の。
 無くなったはずの絆。


「キラの…子ども」

 見開かれる翡翠を静かに見つめ返しながら、キラは淡い笑みを浮かべた。










 忘れたままでいて。
 もう僕には、あの子しかいないんだ。


 君と繋がる、最後の砦。


 汚い僕の弱さを、誰か咎めてください。

 そして、どうか彼とあの子には幸せだけを。
 そのためなら、僕はどうなってもいいんだ。


「愛してる」なんて、口にしてはいけない言葉だと信じていた。






















       僕はガラスの向こうから、君が大切なものを抱きしめるのを見ていた。なす術もなく。

          07/11/05  「夢見た未来は壊れてしまったの。もう、ここにはない」