薔薇の花が咲き誇っている。
 柔らかなベルベットの手触りが好きだ。
 風に揺られ花弁が落ちる。


 このままこの心も埋もれてしまえばいいのに。

 今も昔も、僕を見つけるのは―――君。









     秘めごと










 連れてこられたのはアプリリウス郊外。
 大きな白亜の屋敷は厳重な門とセキュリティーに守られていると言
 う。
 時折強く吹く風に乗って、甘い薔薇の匂いがした。

「…ここは」
「私の所有している屋敷の一つです」

 前を歩くラクスが振り返らずに答える。
 揺れるピンク色の長い髪を見ながらアスランは屋敷に足を踏み入れ
 た。
 屋敷の中はフローリングか絨毯で覆われた部屋のどちらかだった。
 きっと幼子が使う部屋にするため床を張り替えたのだろう。
 転んでも痛くないように。
 この屋敷には優しい気配が馴染んでいる。
 昔、月にいたころのキラの家を思い出させるような。

「この時間なら―――」
「何しに来た」

 ラクスの声を遮って、銀色がさらりと舞った。
 前方の角から現れた青年にアスランは顔をしかめる。
 ラクスは軽く瞠目すると、彼を見て首を傾げた。
 キラについていてくれたのだろうことはわかる。

「キラは…」
「いつもの所にいます。…なぜアスランを」

 苦々しく呟く声にいつものような覇気はない。
 アイスブルーの瞳が冷たくラクスの後ろを見やる。
 アスランは気丈に視線を返した。

「キラと話がしたい」

 はっきりと告げるアスランの翡翠が色味を増した。
 イザークはラクスに視線を移す。
 薄藍の瞳が何かを企むように細められた。
 ラクスが相手でなければ舌打ちしていただろう。
 イザークはアスランを睨みつけながら近づくと、胸ぐらを掴んだ。

「話をしてどうする。何も知らないお前が!」
「…知るために来たんだ」

 冷たい瞳を見返して、静かに答える。
 イザークの眼光が更にきつくなった。

「…すべて忘れて、他を選んだお前に…キラは渡さない」

 言い捨てるような、しかし真摯な声音にアスランは顔を歪めた。
 イザークの言っていることがわからない。

 何も知らない、すべて忘れて、他を選んだ―――。
 何を知らない?何を忘れた?

 胸ぐらを掴まれていた手が離れた。
 イザークはラクスに一礼すると、そのまま廊下を歩き去った。
 肩を怒らせ、足早に進む彼をラクスが困ったように笑う。

「心配性ですこと。イザーク様が一番キラを大切にしていますから」
「…彼は、キラと…」

 アスランが言い淀んだ内容を正確に把握したのか、ラクスは苦笑し
 ながら口元に手をあてた。

「いいえ、違いますわ」

 あの二人に色恋沙汰の関係はない。
 イザークはキラを妹のように接しているし、キラも兄のように慕っ
 ているだけだ。
 キラの中にはいつでもたった一人―――。

「キラには…ずっと愛し続けている殿方がいますから」
「…子供の父親、ですか」
「ええ。キラの心の最奥に今も、いらっしゃる方です」

 その人は、今自分の目の前にいるのだ。
 彼は目を逸らして唇を咬む。―――嫉妬、だろうか。彼の中に渦巻
 く感情は。
 ラクスの目がアスランを映して細められた。

「さぁ、参りましょう。キラは今薔薇園にいるはずですわ」

 最近お気に入りの場所なのだと笑い、ラクスは再び歩き出した。
 アスランはイザークが去った方向を見る。
 彼はこの屋敷に詳しいようだった。
 それだけキラたちと共にいるのだと、悔しいような苛つくような感
 覚が胸を支配する。
 アスランは頭を振ると、ラクスの後を追った。









 白と薄紅の色しかない薔薇。
 ちょうど見頃な時期なのだと、ラクスが笑う。
 花を傷つけないように気をつけて歩いて行くと、奥まった場所に白
 い建造物が見えた。

「私がお世話をしている薔薇園ですわ。少し切り開いて東屋を建て
 ましたの」

 ラクスの指し示した先の白い建造物はわざわざ造らせた東屋があった。
 まるで童話に出てきそうな風貌のそれは非常に美しい。
 形は今アスランが立つ場所からみると、鳥籠のようだった。
 キラを守る鳥籠―――彼女が好んでいるという東屋はアスランの目にはそう映
 った。
 静かに近づいていくと、建物と同じ石で造られたのであろう白いテ
 ーブルと椅子があるのがわかる。
 カウチ型の椅子に座り、テーブルに伏せった人影が見え、アスラン
 は思わず足を止めた。

「…私は席を外します。アスラン一つだけ…お聞きしたいことがあ
 ります」

 案内をしていたラクスが立ち止まり、振り返った。
 真摯な瞳は以前と変わらぬ慈愛とすべてを見通すような深さを湛え
 ている。
 アスランもしっかりと薄藍の瞳をみた。


「なんですか」


 この先はキラが自分で選ばなければ意味がない。
 だからイザークも憤りながらも引いた。
 キラはアスランに真実を話す気はないだろう。
 しかしそれでは進めない。
 キラもアスランも幸せにならなければいけないのだ。
 ラクスはアスランの無意識下の行動に賭けてみようと思った。

「アスラン・ザラ」

 ラクスが凛とした声で名前を紡ぐ。
 アスランはさっと背筋を伸ばした。

「あなたは何の為に戦うのですか」

 それは2年前と同じ問い。
 あの時彼は答えを持っていなかった。
 まだ迷っていた。
 キラを包み、守るには覚悟が必要だ。
 彼女を超える強い意志と覚悟が。
 アスランは戸惑ったように目を泳がせたが、すぐにラクスに視線を
 戻した。

「俺はずっと、誰かを守りたかった。カガリに逢って…その相手だ
 と思った」

 ポツリと呟かれた言葉にラクスが眉をひそめる。しかし続いた答え
 に目を見張った。

「けれど今は…心が違うと言うんです。もっと、ずっと、誰より大
 切にしたくて…誰より守りたかった人がいると」

 翡翠がラクスではなく、その先を見つめて細められた。

「ずっとキラを…呼んでいました。何かが、キラだけを」

 心の底に、何かがある。
 叫ぶように深く、祈るように切ないそれをなんと呼ぶのだろう。
 傍らにあったはずのぬくもりが消えた。
 心の半分がすり抜けていった。
 カガリでは埋まらなかったそれは、キラを抱きしめた時に満たさ
 れた。
 ならば、自分の心が求めるのは―――。

「他の誰を想っていてもいい。傍にいたい。居て欲しい。キラに…」

 ラクスの満足そうな笑みにアスランは目を瞬かせた。

「熱烈な告白を聞いてしまいましたわ。ですがそれは私が聞く台詞
 ではありませんわね」

 くすくすと笑いながら言われて、アスランは頬を赤く染めた。
 確かにラクスに伝える言葉ではない。

「伝えてあげてください。本人に」
「ですがキラには…」

 想う人がいるはずだ。
 口では想っている人がいてもいいと言えるけれど、本当にそう思え
 るわけではない。

 この後に及んで渋るアスランの背を、ラクスが押す。
 アスランが軽く瞠目しながら振り返ると、白く細い指がゆっくり東
 屋を指した。

「大丈夫…さぁ」

 促され、アスランは決意したように歩き出した。


「どうか…」

 しっかりと歩いていくアスランを見つめながら、ラクスは瞳を閉じ
 た。

 運命の神様がいるのなら、すれ違って傷ついた二人に祝福を。
 もう涙を流すことのないように、どうか。

 ラクスは手を祈りの形に組み、薔薇園をあとにした。









 真っ白なそこには異質な黒。
 墓地で見たのと変わっていない黒のワンピース姿のキラがいる。
 アスランが近づくと、気配でわかったのか身体をピクリと反応させ
 た。

「…ラクス?」

 か細い声が名前を紡ぐ。
 アスランは自分の名前が呼ばれないことに胸を痛めながらも、仕方
 ないと思い、答えなかった。
 するとキラはラクスだと思いこんだのか、顔を伏せたまま話し出し
 た。

「レノアさんに…リュイを見せたかったんだけど、アスランに逢う
 なんて思わなかった」

 自分もキラに逢えるとは思わなかった。
 期待はしていたけれど、可能性は低いと。

「リュイは感覚でわかったのかもしれない…。イザークやディアッ
 カにも、アスランのこと聞いてたみたいだし…」

 アスランは軽く目を見開くと、続きを待った。
 感覚でわかったとは、何をだろうか。
 ずいぶん賢そうな子ではあったが、何に気づいたというのか。

「あの子のこと、アスランには知られたくなかった。いつか気づく
 かもしれない。そうしたら…思い出してしまうかも」

 だんだん涙混じりになる声に、アスランは胸が締めつけられる。
 しかし口を挟むことも抱きしめることも出来ず、震える肩を見つめ
 た。

「どうしょう…絶対に知られたくない…。全部捨ててしまえればよ
 かったのに、望んでしまったから」

 キラの伸びた亜麻色の髪が肩を滑り落ち、白いテーブルに散った。
 そのコントラストを見ながら、吐き出すような独白を聞く。
 自分の中で心の底にある箱が揺れるような、不思議な感覚をそのま
 まに、ひたすらキラを見つめた。

「瞳が同じ色で嬉しかった。…哀しかった」

 キラは一旦言葉を切ると、深く息を吐いた。

「もう逢うことはないと思ってた。ずっとこの想いとリュイがいれ
 ば平気だって…。なのに逢えて嬉しい。逢いたかった、アスラン
 に…」

 キラの囁くような、大切だと言うような声にアスランは瞠目する。
 
 逢いたかったと言った。
 逢えて嬉しいと。

 それがどういう意味か。いくら鈍いと言われる自分でもわかる。

「リュイを逢わせてあげることができる日なんて、来ないはずだっ
 たのに…。アスランに―――お父さんに逢う日なんて」

 驚愕と同時に、なぜか胸にじわりと浮かぶ、歓喜。
 聞いて、もう黙っていることは出来なかった。
 アスランは半ば呆然としたまま、キラの肩に触れた。

「…キラ」

 掠れた声で名前を呼ぶとキラの身体が大仰に震える。
 おそるおそるあげられた顔は涙で汚れていた。

「アス…ラン」

 極限まで見開かれたアメジストは驚愕を浮かべている。
 はっとしたように立ち上がったが、すぐに腕を掴まれ動けない。
 激しく狼狽するキラに、アスランは逃がすまいと引き寄せてきつく
 抱いた。

「っ、アスラン…」

「キラ」

 落ち着けるはずがないのはわかっているが、落ち着かせようと亜麻
 色の髪を梳く。
 震える身体から力が抜ける。もう逃げる気がない様子に安堵した。
 キラの身体ががくりと傾ぐ。アスランも抱きしめたまま地面に崩れ
 た。
 散った薔薇の花びらが絨毯のようだ。
 二色の花びらと柔らかな芳香に埋もれ、二人は座り込む。

「キラ」

 小さく呼ぶと、キラは自分の身体を抱きしめるように腕をまわした。

「キ…」


 再度名前を呼ぼうとした時、ガラスの割れる音と銃声。
 そして幼い子供の泣き叫ぶ声が聞こえた。
 二人ははじかれるように顔を屋敷の方へと向けた。




















 近くにあるのに、涙で見えない。
 夜明けの髪も、翡翠の瞳も。

 知られたくなかった。
 彼にだけは、秘密にしておきたかった。


 お願い、どうか。まだ。
 









     深淵の扉










「何…!」
「銃声…侵入者か!?」

 突如聞こえたそれに、二人の空気は一転した。
 ここは厳重なセキュリティーに覆われているのに、どうやって侵入
 したのだろうか。
 セキュリティーを組んだのはキラ自身だ。
 ザフト軍にすら使われるほどのものだというのに。
 キラは震える身体を叱咤して立ち上がった。
 アスランも表情を引き締め、屋敷を見る。

「そう大人数じゃないな。…4、5人だろう。心当たりは?」
「ブルーコスモスの残等か、ギルの…クラインの反対派か…」

 キラの呟きにアスランが目を見張る。
 もしクラインの反対派だとしたら、それはザラ―――。

「っ…反対派だとしたら俺の…」

 アスランははじかれるように走り出した。
 キラも慌てて後を追う。

「こっち!」

 案内された道を辿ろうとしたアスランをキラが先導する。
 近くにあるテラスのキーにキラが数字を入力すると、鍵が開いた。

「リュイ…」

 青ざめたキラは小さく娘の名前を呟く。
 中にいるはずの幼子はどうしているだろう。
 自分を保つことに必死になっていて、傍にいてやらなかったことを
 悔やんだ。

 どうか無事でいて。

 銃声と足音、人の気配が濃いところへ、二人は走った。
















 屋敷で一番日当たりのいい一角にリュイはいた。
 この部屋はリュイのお気に入りで、ラクスがもっと大きくなったら
 この部屋をリュイにくれると言ったから、リュイは早く大きくなり
 たいと思っている。
 ソファーにちょこんと腰掛け、自分より大きなクマのぬいぐるみに
 抱きついてリュイはキラを待っていた。
 最近不安定な母親はリュイをおいて一人考え込んでいる時間が長い。
 寂しいと思いながらも、悲しそうに目を伏せる母親にそんなことは
 言えずにいる。

「どうした、リュイ」

 部屋のドアから顔を出した人物を見て、嬉しくなった。
 金の髪に濃い色の肌を持った彼は、母と近い色の瞳を持っている。
 彼はリュイの近くまで来るとクマごとリュイを抱き上げた。

「大きくなってきたなー!相変わらずキラに似て可愛いぞ」
「ディー」

 難しくて、彼の名前を正確に言えない。
 けれど気にしないという彼―――ディアッカは楽しげに笑った。

「とんだ休暇になっちまったな…」
「…ディーもあの人知ってる?」
「ん?」
「アスランって人、ディーもお友達?」

 リュイがこてん、と首を傾けると、ディアッカは少し困ったように
 笑った。

「気になる?アイツ」
「…うん。ママが、悲しそう」
「そうか…」

 リュイの小さな手がディアッカの肩を掴む。
 キラとそっくりな容貌に浮かぶのは少しの好奇心と寂しさのようだ。
 ディアッカはリュイの頭を撫でて視線を合わせる。

「アスランは俺たちの仲間だったんだ。そしてキラの…ママの大切
 な人なんだ」
「大切な人…リィより?」

 リュイが目を軽く見張って問うと、ディアッカは首を横に振った。

「いや…ママはリュイが大好きだからな。アスランのことは、別の
 好きなんだ」
「別?」
「リュイにはまだ難しいな。俺たちですら、難しいんだから」

 ディアッカの言葉には実感がこもっていた。
 しかしリュイにそれがわかるはずもなく、ますます首を傾げる。
 その様子にディアッカは苦笑した。

「いつかわかるって。リュイが大きくなって…恋をしたら」

 細められた瞳を見ながら、リュイはとりあえず頷いた。
 意味はわからなかったけれど、難しい感情だということだけはわか
 った。


「ディアッカ!帰るぞ!」

 開いたままのドアから怒気をはらんだ声がして、二人はビクッとし
 ながらそちらを見た。
 アイスブルーの瞳がまず部屋の中の様子を見、それから驚いて目を
 見開いたリュイをに気づいて狼狽する。

「リュイ」

 怯えさせてしまったかと、イザークは慌てて名前を呼んだ。
 幼子は数度まばたきをすると、イザークに手を伸ばしてくる。

「イザくん?」

 心配そうに見上げてきた碧にイザークは微笑んだ。
 ディアッカから小さな身体を受け取り、顔を近づける。

「すまない。驚かせた」
「ううん、大丈夫…。ママは?」

 キラが不安定な時はよくイザークといる。
 今回もそうだと思って、肩越しに後ろを見るが、キラの来る気配は
 ない。

「キラは今からさっき逢ったヤツと大切な話がある。薔薇園にいる
 が…邪魔をしてはいけないぞ」
「ヤツ…ってまさかアスラン来てるのか?」

 イザークの怒りようの説明がついたとばかりに、ディアッカは目を
 見開く。
 アイスブルーの瞳が忌々しいと言わんばかりに薔薇園の方へ向けら
 れた。

「ラクス嬢に何が考えがあるようだ。さっき廊下で逢った」
「…大丈夫なのかよ」
「知らん。だがキラを泣かせたら宇宙の塵に変えてやる」

 憤慨したイザークにディアッカは力無く笑った。

「イザくん、帰るの?」

 リュイのつまらなさそうな声に、イザークは困ったような笑みを見
 せた。

「ああ、もう少し居たかったが仕事がな」
「そっか…」

しゅんとしたリュイの頬に軽く口づけると、イザークはリュイを下
 ろした。

「またそのうち遊びにくる。…いい子にしていたら何かプレゼント
 を持って来よう」
「ほんと?」

 ぱぁっと明るくなったリュイの頭を撫でながら、イザークは微笑む。
 この子に幸せになって欲しいと思うのは、戦争を経験し命の重さを
 知ったからだ。
 気づいていた。リュイが寂しさをこらえていることに。
 だから自分が出来ることはしてやろうと思った。

「ああ、だからいい子にしていろよ」

 満面の笑みを浮かべて頷くリュイの頬を撫でるとイザークは踵を返
 し、ディアッカは手を振るとその後を追った。









「リュイ」

 数分後、ドアから顔を覗かせたのはラクスだった。
 イザークたちを玄関まで見送り、すぐにこの部屋へ来た。
 リュイは駆け寄るとラクスの腰にしがみつく。
 甘えるようにすり寄ってくる幼子を撫でながら、ソファーに座るよ
 う促した。

「ママは…まだお話中?」

 リュイが不安げに薔薇園の方を見やる。
 ラクスは頷き小さな身体を引き寄せて、ゆっくり話し出した。

「キラが戻ってくるまで、昔話をしましょうか…」
「お話?」
「ええ」

 運命に導かれるように出逢いと別れを繰り返す、ある少女の話――
 ―。
 薄藍の瞳が柔らかく細められ、リュイを見た。

「あるところに、家の事情で男の子のふりをしている女の子がいま
 した…」

 ラクスが知る限りの、キラとアスランの話。
 きっとまだリュイには理解出来ないだろう。
 けれど言わずにはいられなかった。
 リュイは口を挟まず、大きな碧の瞳を一心にラクスへ向けている。
 まずは出逢い。そして別れ。桜の花と、緑色の小鳥―――。
 機械越しの再会。決別、涙。
 ラクスの口からゆっくりと語られていく話にリュイは引かれていっ
 た。

「そうして戦争中に二人は生身で再会したのです…。そこは他には
 誰もいない無人島でした」

 数奇な運命だと思う。
 出逢うべくして出逢い、別れて、そうして愛し合った。子を宿した。
 しかし運命は少女に優しくなかった。友人と仲間の死を経て、二人
 は傷つけあう。
 そうして向かえた次の再会は、悲しく切ない決断を少女に下させた。

「少女が妊娠の事実に気づいたのは戦後しばらくしてから…。父親
 が誰かははっきりしていました。ですが彼には想いを交わしたお
 姫様がいて、少女は二人の仲を引き裂くことなど出来ず、一人で
 産み育てる決心をしたのです」

 リュイが悲しそうに顔を歪める。
 ラクスは宥めるように髪を梳いてやり、続けた。
 彼女が別の国に行き、女の子を産んだこと。
 その子は彼女にそっくりなこと。ただ瞳だけが、彼の面影を宿して
 いたこと。
 2年後、少女は子供の父親である青年と再会したこと。

「また逢えたの?」
「ええ。彼はお姫様と少女がいる国の王様に会いに来たから…その
 時に」

 リュイがもう少し大きかったら、確実にこの話の主人公が誰かわか
 っただろう。
 ラクスは複雑な心境のまま息をついた。
 視界に跳ねるピンク色の球体が映る。
 いつもよりやけに動くそれを訝しんだ時だった。
 屋敷に警報が鳴り響き、黒ずくめの銃を構えた男たちが見えたのは。

「っリュイ、こちらへ!」

 突然の大きな音とラクスの厳しい声にリュイは怯える。
 しかしラクスがリュイを隠す前に、男たちは侵入してきた。
 銃でテラスの窓を割り、屋敷を破壊しながらここへ向かってくる。
 キラたちも気づいたはずだ。鋭い銃声にリュイが泣き出した。



「リュイ…!」

 この子を守らねばとラクスが身を固くしながらリュイを抱きしめる。
 屋敷の異変はイザークたちやギルバートに伝わっているはずだ。
 すぐに助けがくる。

「ラクスちゃん、ママ…ママ…」

 身体を震わせながら泣く幼子が痛々しい。

「ここにいたか、ラクス・クライン!」

 大声と共に、銃を構えた男たちが部屋に入ってくる。
 ラクスは静かに男たちを見据えた。

「私に何のご用でしょうか」

 ラクスの問いに男たちはニヤニヤと笑う。

「あなたに用があるわけではありませんよ。私たちが用があるのは
 ―――その子供と母親だ」
「っ…キラたちに何を」
「現議長の政治に反対だからだ。パトリック・ザラの遺志こそ、コ
 ーディネイターに相応しい!そのために人柱になっていただく。そ
 の母子は造られた人間…これほど相応しい人材はいない」
「な…」

 あまりのいいように二の句が告げなくなったラクスを銃が囲む。

「さぁ、その子供を渡し母親の居場所を」

 男たちの伸ばしてくる手からリュイを隠し、ラクスは凛とした目で
 見上げた。

「何の罪もない子供を殺す気ですか。そうして何になると言うので
 す」
「うるさい!」

 激昂した男の一人が銃口を向け、撃つ。
 それはラクスの左肩と腕を貫通した。
 灼けるような痛みと赤い血が流れる。

「うぁぁぁぁんっ、ラクスちゃ…」
「く…ぅ、リュイ、落ち着いて!」

 幼子に無理を強いていることを自覚しながらも、ラクスは今にも飛
 びそうな意識を必死に保った。
 今気を失ったら、この幼子は彼らの思うままに殺されてしまう。
 しかし自分ではこの子を守りきれない―――。


「っラクス!リュイ!」


「ママ…!」
「キラ!来てはなりません!」

 聞こえてきたキラの声にラクスは渾身の力で叫ぶ。
 しかしキラはすでに部屋の前に着いていた。
 5人の男たちのうち、何人かがキラに銃を向ける。
 キラは血を流すラクスを見て、瞠目した。

「ラクス!」
「狙いはあなたとリュイです!逃げて…!」

 そう告げたラクスが崩れるようにして気を失う。
 キラが駆け寄ろうとしたのをアスランが背後から抱き込むことで止
 めた。

「アス…ラクスが」
「大丈夫、気を失ったんだ。早くあの子を―――」
「これはこれは…アスラン・ザラ」

 男の一人がアスランを見て顔を歪める。
 皆がアスランに気をとられているのを感じたのか、震えていたリュ
 イがラクスの腕を抜けたことにキラだけが気づいた。
 アスランは護身用に所持していた銃を構え、男たちを睨みつける。
 どちらも隙がない。ピリピリした空気が肌に刺さるようだった。

「ママ!」

 一触即発の空気を破ったのはリュイだった。
 涙に濡れた顔は怯えを含み、見ている方が痛々しい。
 男たちの足をかいくぐり、ひたすらキラの元へ行こうと駆けた。

「捕まえろ!」

 誰かが怒鳴り、腕を伸ばすが小さい身体はちょこまかと逃げる。
 男が幼子に銃を向けたのを見て、キラは思わず駆け出しだ。
 頬に熱い痛みが走るが気にしてなどいられない。
 ―――キラと同時に、彼も動いていた。

「うぁぁ!」

 数発の銃声は襲撃者たちの腕や足を捉え、急所を避けた怪我を負わ
 せた。

「リュイ!」

 しかしまだ怪我を負っていなかった男の銃口が幼子を捉え、小さな
 身体を狙う。
 幼子の名を呼んだのは彼だった。
 銃を撃ちながら幼子を抱き込んだ背中が赤く染まるのを見て、キラ
 は声なき悲鳴を上げた。












「キラ!」

 慌てて屋敷に戻ってきたイザークたちが見たのは、血に汚れた部屋
 の中で呆然と座り込んだキラと、呻く男たち。
 左側を血に染め、青ざめたラクス。


 そして、気を失っているリュイを抱き込んだまま、身体を血だらけ
 にしているアスランだった。


















       咲き誇ったままの、花。枯れないその花は、君のため―――。
          08/08/某日    「薔薇が香る。覆い隠されていた、秘密が現れたら」

       秘密の恋の話をしましょう。哀しくて切ない、本当の話。
          08/08/ 某日   「名前を呼んで。私の名前は、思い出の―――」