放火されたことに気づいた時には、炎が随分迫っていた。
 火元と反対側にいたことと、自分の思考にはまり過ぎていたことが気づくのを遅らせた。
 風が強いせいか、火のまわりが早い。あっという間にアレンは炎に囲まれた。
 ―――炎が迫ってくる。
 アレンは母が気に入っていた椅子に腰をおろし、紅い炎を見つめていた。
 外には反乱軍がいるはずなのに、ここは全てが消えていく音しか聞こえない。

「謝りたかったかな…」

 もうすぐ自分も炎に焼かれてしまうというのに、恐怖心は湧かない。ただ、喧嘩と言うには独りよ
 がりな口論をした彼に謝って礼を言いたかった。
 謝るのは、彼を急に護衛から外したことと、結婚を承諾した時に怒らせ呆れさせたこと。
 礼を言うのは、目的はどうであれ傍にいてくれたこと。
 離れた時は悲しくて寂しくて仕方がなかったけど、そのほうが彼の為になると思った。
 マナの意志を継いで、国を想って生きることを決めていたのに、国を壊す彼に焦がれた。

「いつの間に…好きになったんだろう?」

 漆黒の綺麗な男の人。自分と正反対の人。冷たいし、どんなに頼んでも名前を呼んでくれなかった。
 心残りがあるとしたら、それだけ―――――。





「くそ…」

 炎はもうどの部屋にもまわっていた。
 今は開花の時期ではないのに、むせかえるような花の匂いがする。

「どこにいるんだ、姫!!」

 炎の熱気のせいか、人の気配がわからない。
 神田は仕方なく近くの扉を片っ端から開けていった。
 いつものテラスがある部屋にもアレンはいない。部屋の中はお茶をしていたテーブルも椅子も、飾
 ってあった絵すらもう燃えている。―――全て消えていく。
 ラビの言うようにアレンはすでに離宮から出ていたのだろうか。そう思うほどにここには何もない。
 だが神田はアレンがここから出たとは思えなかった。まだ、彼女はここにいる。
 ふと、視界に赤いビロード張りの椅子が映った。
 妾后が好んだ美しい部屋―――。離宮の最奥、アレンの母親である彼の人が一番気に入っていたと
 いう質素な部屋。たまにアレンがそこに、赤い椅子に座っていた。

 ―――――そこに、いる。

 神田はすぐに最奥の部屋へ向かった。
 そこにアレンがいると確信しながら。





 炎を纏ったドアを蹴破れば、中でびくりと震える人の気配。
 部屋の中を見渡すと、部屋の隅においてあるテーブルセットの椅子に座ったアレンがいた。

「…神田?」

 見開かれた目から頬を伝って涙が零れている。炎を映した銀灰色の目が、赤く染まって見えて、神
 田は唇を強くかみ締めた。
 ―――彼女の眸から血の涙が流れているように見える。

「何故、逃げなかったんだ」
「貴方こそどうして入ってきたりするんです。僕のことなんて放って置けばいいのに」

 アレンは自嘲の笑みを浮かべる。あの頃はこんな顔をするところを見たことはなかった。いつだっ
 て微笑んでいた。
 たまに悲しい顔をすることはあっても、このような表情は見たことがない。
 させたのは自分なのだと、そう思うと苦しくなる。それでも、この国を変えるためには反乱を起こ
 すしかなかった。そうしなければ変わらないと思った。
 現に反乱に参加するものはすぐに集まった。いかに現王が悪政をしているか、国民が苦しんでいる
 のかが窺えるほど。
 それがアレンの国を壊すことも初めからわかっていた。彼女の全てを奪うことだと知っていた。
 だが両親を殺した王を許せなかった。だから先立って反乱軍に志願した。
 誰と出逢ったところで、それが揺らぐとは思えなかった。
 それなのに、これほど王女を―――。

「俺は姫を見殺しには出来ない」

 神田が静かに口を開く。
 アレンは目を瞠った後、神田から視線を逸らす。

「…どうしてですか。貴方は―――反乱軍の一員でしょう?」

 王族は捕らえて―――幽閉するか、もしくは処刑するか。
 反乱軍に捕まれば、きっとそうなると思っていた。
 その判断を聞く前にここで―――優しい想い出のあるここで、消えてしまえれば、と。

「俺を遠ざけたのは、俺が反乱軍の一員だとわかったからか?」
「ええ…。今まで気が付かなかった自分に呆れてしまいました」

 アレンの絶えず微笑む姿は人と対応するときの仮面だと、気付いたのはいつだったか。
 自分には初めから本当のアレンを見せてくれていたのだと気付いたとき、神田は吹っ切れた。
 共に過ごした時間は無駄ではなかった。今、このときのために必要だった。

「俺の手を取れ」

 アレンの前に差し出されたのは、決してきれいではない手。人の命を奪ったこともある。
 躊躇うような銀灰色の目を神田はどう取ったのか、差し出したまま動かない。
 神田の漆黒の目がアレンから逸らされることはない。

「ここから出るんだ」
「っ…」
「ここから出ればお前はもう王女じゃない。ただのアレンだ」
「神、田…」
「来い。もう鳥篭にいる必要はないんだ。これからは外で…アンタの国を変えていけばいい」
「でも……」

 泣きながら首を横に振り、アレンは神田を拒絶した。長い白銀の髪が炎に煽られて赤く揺れる。
 神田が一歩踏み出すと、怯えるように震えて距離をとろうとする。
 壁の間際まで下がりきると、小さな子どもが泣くようにぼろぼろと涙をこぼした。

「神田、僕は王族です。反乱を起こされたのなら王族の血はここで滅ぶべきだ」

 泣きながら、しかしはっきりとアレンは言う。
 確かにここから出たとしても、アレンが何の制約も受けずに過ごせる確率はゼロに等しい。
 国民に王族は憎まれている。あまりに国民を顧みない現王のせいで。
 それをアレンは知っているのだ。だから、神田の手を取ったとしても、何も変わらない。
 それにもし神田がいつか自分を助けたことを後悔する日がきたら―――。

「―――俺は王族なんか大嫌いだ。それでも、お前を助けたいと思ったからここにいるんだ」

 だから、後悔などしない。

 そういって神田が笑う。強い微笑みは本当にきれいで、アレンは状況も忘れて見入った。
 彼がどれほど強いか知っている。そんな彼だから、自分は―――。

「初めて会ったとき王女じゃないって言ったくせに今更なんだよ」
「っ…でも」
「―――アレン」

 今、呼ぶなんてずるい。ずっと彼の声で、呼ばれてみたかった。
 口元を緩くあげて笑う顔が好き。真剣な眼差しも、彼を形成する全てが。
 涙腺が壊れてしまったかのように流れる涙のせいで、その顔がはっきりしないのが残念で、熱気で
 かさかさになった手で顔を拭った。

「神田…僕は―――――」


 その手を取りたい。


 その手は二人で花を見ながら、笑いあっていた頃と何の変わりもないもので。
 けれど意味は全く違う。

「本当に、僕はその手を取ってもいいんですか…?」

 力強く首肯した神田に、アレンはようやく笑いかけた。
 アレンが躊躇いがちに神田の手を取ろうとしたとき。
 炎の圧力に耐え切れなかった天井の装飾柱が崩れ落ちてきた。


「っ姫!!」


 互いに伸ばした手は空を切り―――――。
 神田の叫ぶような声と熱と凄まじい痛みを最後に、アレンの意識はそこで途切れた。








 目に映ったのは知らない天井。
 少し日に焼けた白い壁。
 離宮とは全く違うそれが何故見えるのか、アレンにはわからなかった。

「―――目が覚めたかい?」

 優しそうな低い声に視線を動かすと、眼鏡をかけた男の人が覗きこんできた。
 ゆっくりまばたきを繰り返し、頭を起動させる。
 脳裏に浮かんできた紅い炎と差し伸べられた手に、アレンは銀灰色の目を見開いた。


「僕…どうして、あ!神田は…!」
「落ち着いて」

 起き上がろとしたアレンの肩をかけられているシーツの上からそっと押さえて、男性は柔らかく微
 笑んだ。

「君が気を失った後、神田君が君を抱えて離宮から脱出したんだ。二人共だいぶ煙を吸っていたよ
 うだったけど、神田君は君をここまで運んできた。あれからもう5日が経つ」
「…あの、あなたは?」

 話をしている男性はアレンが問うと、うっかりしてたと苦笑し、眼鏡を押し上げた。

「初めましてアレン姫。僕は反乱軍の総指揮官のコムイ・リーです」

 アレンが息を飲み、目を見張るとコムイは優しく目を細めた。

「王宮は掌握させていただきました。国王陛下や大臣たちは捕らえて拘束しています。…離宮は」

 コムイは言葉を切り、アレンをすまなそうに見る。

「命令を無視した兵士たちの暴挙で焼け落ちてしまいました。あなたの思い出を奪ってしまった…」

 うなだれるコムイから視線を天井へ向け、アレンはゆっくり口を開いた。

「あなたがそんな顔をする必要はありません。あなた方は国の未来のために反乱を起こしたのでし
 ょう?」
「アレン姫…」
「王の政治が間違っていることを知っていながら、何もしなかった僕に比べればあなた方はもっと
 誇ってもいいくらいです」

 アレンはコムイに視線を戻し、微笑みかけた。

「ありがとうございました」
「え…?」
「父の治世に比べ、兄の政治は私利私欲に走ったものでした。それに耐え、行動を起こしたあなた
 方に感謝します。そして…謝らなければ」

 泣きそうに眉を寄せるアレンをコムイは黙って見つめた。

「名ばかりでしたが王族の一人として、国民を苦しめたことを深く詫びなければ。見ていることし
 かできなかった僕を、どうか許してください…」


 横たわったまま頭を下げる白い王女。
 誰より国を憂いていたのは彼女だと、必死に言い募った漆黒の彼を思い出した。

「君は…本当に神田君の言ってた通りだね」

 首をかしげる少女に、コムイは目を細めた。
 彼女を生かして欲しいと頼んできた神田に驚いたのは2日前の夜。王族をこれ以上ないというほど
 憎んでいた神田がアレンの存命を強く望んだ。

『姫を助けたい』
『…王家の血筋は残しておけないだろう?』
『ああ…。けど、コイツだけは死なせたくない』

 こんこんと眠り続けるアレンを優しい目で見つめる神田にコムイは嘆息した。

『そんなに姫が大切になったのかい?』

 口外に君の憎い王族を、と含ませて問いかける。
 神田は目を伏せて、頷いた。

『コムイ、俺はまだ両親を殺した王族が憎い。だが…』

 漆黒の目がこちらを振り返って続ける。迷いのない、強い眼光はもう全てを受け入れきっていた。

『コイツは別だった。姫だけが国を真剣に想い、憂いていた。閉じ込められた鳥篭の中でいつもそ
 うだった』

 花に囲まれた離宮で、両親の思い出を抱いて笑う王女。
 しかし誰より国を理解し、動いていたのを知っている。

『鳥篭を壊せば自由になれるのに、それをしなかったのは国のためだ』

 悲しいほどに国に捕らわれた王女は知らず茨に包まれていた。

『だからもういいと言ってやりたい。自由になってもいいと…』

 気づけばどうしようもなくなっていた。
 初めて逢った日にきっと堕ちていた。頼りない白を護りたいと想った時に。

『アレン姫を…好きになったのかい?』

 コムイの穏やかな声に、神田は微笑んでみせた。

『変わったね神田君。僕もアレン姫と話をしてみたいな。目が覚めたら…』

 アレンの青白い顔を覗きこんで、神田は早く目覚めるように願っていた。
 王宮でひっそりと生きてきた少女は、ただ両親の愛情と優しい女官や兵士と過ごし、汚い権力の渦
 を知りながら穢れなかった。
 頑なだった神田が変わったきっかけは―――。

「神田君が溶かされるわけだね…」

 呟いたコムイにアレンはぱっと顔をあげた。

「神田は無事だったんですよね。…よかった」

 自分を連れ出しに来て、神田が大怪我でもしていたら、自分を許せなかった。

「アレン姫、君の鳥篭壊れてしまった。君はこれからどうしたい?」

 コムイはアレンに真剣な眼差しを向けた。知的なその顔が引き立つ。

「…コムイさん。王族の血は残してはいけません」
「それはそうだね。けどアレン姫」

 伏せられていた銀灰色の目がコムイを映す。その目に安心させるように微笑んだ。

「実はね、君亡くなったことになってるんだよね」

 あっけらかんと言われた内容に、アレンは開いた口がふさがらない。
 そのまま固まってしまったアレンに困ったなぁ、でももうすぐ彼が来るだろうからなんとかなるか
 なぁ、とコムイが苦笑した時。
 木製のドアが壊されるかという勢いで開かれた。








 アレンが目覚めたという知らせは、コムイにより兵士たち―――神田にも伝わっていた。
 息を切らしながら駆けてきた兵士に身構えていた神田は、その知らせを聞いて深く安堵した。
 このまま目覚めないかもしれないと、本当にそう思ったのだ。目覚めたとしても、彼女の目が虚ろ
 だったらどうしようかと。
 目を伏せて考え込んでいた神田の背をいきなり衝撃が襲った。驚いて振り返ると、ラビがニヤニヤ
 しながら手を振っている。

「行って来るさ。心配してたろ?」
「ラビ」
「アレン姫は強い子でしょ。きっと今頃コムイと普通に話してるさ」
「…ああ」
「コムイが何かするとは思わないけどさ、早く行ったほうがいいんじゃない」

 ここは俺らに任せるさ、と身軽に反乱軍の集会場になっている屋敷の塀の上にあがる。
 そのまま見張りの体勢についたラビに心中で感謝しながら、神田はアレンのいる屋敷の中へと駆け
 ていった。



「ラビ」

 黒髪を首をさらすほどに短くした少女が塀の下からラビを呼んだ。
 ラビが下を見ると、少女は手に持ったバスケットを差し出す。

「あれ、リナリー?」
「差し入れよ」
「アリガト」

 受け取ったバスケットはずっしりとしており、ラビは感謝の意味もこめてリナリーの頭にポン、と
 手を載せた。そして寒そうな首元に自分のマフラーを巻いてやる。

「王女様、目覚めたんですってね」

 リナリーがマフラーに口元を埋めてポツリと洩らした。ラビはただ頷く。

「今ユウが会いに行ったさ」
「…神田、変わったね」
「…だろ?」
「うん。目が昔みたいに優しくなった」

 あの王女様のおかげなのね、と嬉しそうに言う少女に、ラビも嬉くなって微笑んだ。

「アレン姫、きっとリナリーと気が合うさ」

 リナリーは一旦黒碧の目を見開くと、楽しげに笑った。
 彼女たちを会わせるが楽しみだ。きっと仲良くなるだろう。
 ラビはこれから先に思いを馳せた。








 扉を開けたのは、コムイが思ったとおり、神田だった。

「噂をすれば影っていうよね」
「何言っているんだ、コムイ」

 ずかずか入室してきた神田はコムイを睨む。

「丁度アレン姫と君の話をしていたんだよ。ねぇ、アレン姫?」

 コムイが同意を求めるようにくるりと振り返った先。
 質素なベッドに横たわったアレンと目が合った。

「…神田」

 小さな声でこちらを呼ぶアレンの目がちゃんと生きていることに神田は知らず詰めていた息を吐く。

「姫…」
「無事でよかった…。怪我はないんですか…?」
「ああ。軽い火傷だけだ」

 柔らかく微笑むアレンにゆっくり近づいて、ベッドの傍に膝をついた。
 近くなった顔をアレンはじっと見つめる。
 なんだかとても久しぶりに穏やかな気分になった気がして、嬉しかった。

「あんまり二人の世界を作らないで欲しいなぁ…」

 神田の上からにゅっと出てきた顔にアレンが目を瞬かせるのと、神田の額に青筋が浮いたのはほぼ
 同時だった。

「え、あ、ご…ごめんなさい…?」

 とっさに出た謝罪にコムイは苦笑してアレンの白銀の髪をそっと撫でた。

「きれいな長い髪だったんだってね。…炎で焼けてしまったから、リナリーが切りそろえたんだけ
 ど…」
「髪?っっ…!!」

 アレンが髪を触ろうと腕をあげようとするが、右は何とか動いたが―――左腕は激痛が走り、動か
 すことは出来なかった。

「ああ、動かしちゃダメだ。君の左腕は…」
「姫」

 神田はコムイを制して、痛みで涙目になり息を荒くしたアレンを気遣うように呼んだ。
 アレンが神田を見上げると、珍しく、悔やんだような顔をした彼がいる。

「あの時、お前の左手は柱の下敷きにはならずにすんだが、袖に火が移って重度の火傷を負った。
 もう…動かないかもしれない」
「神田…」
「すまない…もっと早く手を掴んでいれば…」

 漆黒の目を伏せて、唇をかむ神田にアレンは動く右手を伸ばした。
 身体のほかの箇所にも多少軽い火傷を負っているのだろう、動こうとすると身体がどこもかしこも
 痛む。
 それでも手を伸ばした。

 ようやく、触れられる。手が、届く。

 頬に少し冷たい感触がして、神田は目を開く。
 必死に伸ばされたアレンの右手が神田の頬に触れていた。

「貴方のせいではありません」
「姫―――」
「僕はあそこで死ぬつもりでした。僕は…」

 力の入らない身体を叱咤して、アレンは神田の目を見ながら言葉をつむぐ。
 涙が頬を伝い、シーツにこぼれていく。じわりと湿っていくシーツが冷たい。

「貴方に殺されるなら、それでもよかった…。あの場所で朽ちるなら、それでよかった」
「アレン姫」
「けれど、貴方が…貴方だけが僕を助けてくれた。偽りでも、2年も傍にいてくれた。僕は、貴方と
 いられるのが嬉しかった」

 そう言って、本当に嬉しそうに微笑むアレンに神田は何も言い返せない。
 自分は王族を恨んでいた。両親を殺した王を。だけど、この王女に会った。
 何も言えず、俯いてしまった神田の背を見ていたコムイは、小さく溜息を落とすとその肩を軽くた
 たいた。

「神田君、もう少し頭の中を整理してから話したほうがいい。部屋の外に出ていて」
「コムイ」

 コムイは立ち上がった神田の背を押しやりながら、耳元で真剣に囁いた。

「これからの話を少ししておくよ。長老たちも交えて話さなければいけないからね。その時には君
 にもいてもらう。君が守らなければ、彼女に待つのは―――」

 傀儡か、処刑か。

「…わかっている」
「長老たちの考えは僕にも読めない。何を言い出すか…」

 神田は強く頷くと部屋を出た。
 閉まるドアをアレンは何か言いたげに見つめていた。
 コムイはそんな少女の前に椅子を出して腰掛ける。

「アレン姫、少し話しておきたいことがあるんだ」
「はい…」
「まずは君の左腕のこと。僕は医者を兼業しているんから、君の怪我は僕が見たんだ。それでね、
 結論から言うと、君の左手は重度の火傷を負っていて、完全には治らない。けれどリハビリを頑張
 れば以前と同じように動かせるようになるはずだ」

 最悪の結果を考えていたらしいアレンは、安堵の息を吐いて頷いた。

「頑張れば…動くんですね」
「神経は何とか無事のようだから、ね。でも相当時間がかかると思う」
「そうですか…」

 美しい白い腕ではなくなってしまった。元々花の世話や自分の生活で少し荒れてはいたが、母に似
 た色素の薄い身体は痕が残りやすいのだ。火傷はきっと一生残るだろう。

「コムイさん…僕はこれからどうなるんですか」

 反乱を起こして王を政治から遠ざけるだけでは国は変わらない。王家の血の断裂が必要だとアレン
 は思っている。だから自分も捕らえるべきだ。
 しかし神田が入ってくる前、コムイは「姫は死んだことになっている」と言った。
 それがどういう意味を持つのか、アレンにはわからない。
 コムイは真剣に見つめてくるアレンに目を細めた。

「姫、僕は貴方に感謝している」
「…え?」
「神田君はご両親を王に殺されて自暴自棄になっていたんだ。でも嫌々潜入した王宮で君に出会っ
 た。彼は変わったよ。昔のような優しい目に戻った」
「神田が…?」

 驚いたように銀灰色の眼を見開くアレンに、コムイは黒碧の目を伏せて頭を下げた。

「王家を憎んで、周りが全て敵だって顔をしていたんだ。本来の彼に戻ってくれたことが本当に嬉
 しい。神田君にいうと怒られるかもしれないけど、僕は彼も弟のように思っているから」
「でも、僕は何も…」
「君は気付かないうちに、色々な人を救っているよ。…君の存命を王宮に勤めていた女官や兵士に
 乞われたんだ」

 アレンが眠っている間、王宮に勤めていた人を集めた。
 その大半の人々に「王女の命を助けて欲しい」と頼まれたのだ。

『王女様は王たちとは全く違うんです』
『あの方をどうか助けてください』

 涙ながらに乞う人々にラビは嬉しそうに笑っていたし、神田も穏やかな顔をしていた。
 その様子をコムイも見ていたのだ。離宮に閉じこめられていながらも、アレンは王宮の人々に慕わ
 れていた。

「王宮の皆さんが…」

 アレンが幸せそうに微笑む。

「君はたくさんの人に愛されている。僕も、君とちゃんと話しをして君が素直で王とは違う考えを
 持っていることがわかったよ。だから僕は君を死なせたくない」
「…ですが…」
「大丈夫。王女としての君はもう死んでしまっている。アレン君、これからどうしたい?」

 王女としての、自分。
 ただのアレンとしての自分。
 同じだけれど、全く違う。

「…僕は」

 アレンは一度目を閉じて、コムイを見上げた。

「王女としての僕は、王族として責任をとりたいと思っています。でも…アレンとしては」

 あの火の海から手を伸ばして救い出してくれたあの人の、誰よりも傍にいたい。

「神田の傍に。あの人と共に生きていたい」

 その答えに満足したのか、コムイは頷いてアレンの頭を撫でた。

「それじゃぁ、神田君の返事を聞こうか」
「え…?」

 コムイが立ち上がってドアを開けたその先には。
 今まで見たことないくらいに穏やかに微笑む神田が立っていた。


「俺も、お前となら―――共に生きたい」

 傍により、膝をついて耳元で囁かれた返事に、アレンは涙を止めることが出来なかった。
 そっと添えられた手は互いの熱を伝える。その熱が離れないことを願い、痛みを訴える身体を無視
 して神田の手を握った。
 神田は漆黒の目を見開くと、薄く笑い白い右手を握り返す。
 コムイは二人の様子を微笑んで眺めていた。








 反乱から4ヶ月―――――。
 ようやく傷の癒えたアレンは神田に付き添ってもらい、焼け落ちた離宮へ来ていた。
 美しかった離宮は焼けた柱が積まれており、満面に咲き誇っていた薔薇や百合の花園は無残にも焼
 けた土の原が広がっているだけだ。
 4ヶ月の間に様々なことがあった。
 反乱軍の中でも派閥があり、アレンの処遇については長老と呼ばれる3人の老人に託されることに
 なった。その3人を交えての話し合いは、コムイが立ち回ってくれたおかげで今後一切政治にかか
 わらないということと、王族という身分の剥奪で放免になった。
 アレンはその後、長老の一人に気に入られ、引き取られることに決まった。
 ラビが想像していた通り、リナリーはアレンを気に入ってしまい、神田と火花を飛ばしている姿が
 たまに兵士たちを震えさせた。





「何も…残っていませんね」
「ああ……」

 思い出も、あの日の炎と共に全て失ってしまった。
 残されたのは形見の百合の花を模った王宮のマスターキー。アレンはそれを右手で握り締めた。
 左腕の火傷は本当に酷く、今もリハビリを続けてはいるが、まだ以前のようには動かない。

「僕はあの日、一度死んでしまいました」

 花園に続くテラスのあった辺りには焦げた石畳が残っている。その上を歩きながら話し出した。

「ねぇ神田、僕はこれから何をしていけばいいんでしょうか?国のために結婚することももう出来
 ない。僕に出来ることは何でしょうか」

 肩につくかつかないかの白銀の髪が柔らかな風に舞う。
 まっすぐに前を見るアレンを神田は黙って見つめる。

「もう一度…ここに花を育てるものいいかもしれませんね」

 アレンが微笑んで指差した先。

 離宮の焼け跡に隠れるように緑がある。
 よく見ると、それは純白の百合の花で―――。

「花だけは、変わらず咲き続けている」
「姫…」
「アレンですよ、神田。貴方が僕を鳥篭から出したんですよ?貴方が僕をアレンにしたんです」

 誇らしげに笑うアレンに神田も笑い返した。

「ああ…そうだな、アレン」

 神田が火傷の痕の残る手に口付ける。
 そのまま抱き寄せると、左頬の傷跡にも同じようにした。

「神田…?」

 アレンの前で片膝をつくと、神田は頭を垂れた。

「アレン嬢、私と一生を共にしてくださいませんか」

 それはこの国の結婚の申し込みの仕方。
 銀灰色の目を瞠ったアレンに神田は意地の悪い笑みを見せる。

「返事は?」
「っ…」

 神田は立ち上がり目を合わせる。
 アレンは逸らすことを許さない視線に捕らわれながらも懸命に口を動かした。

「神田…」
「何だ?」
「僕は貴方が好きです。だから、貴方の負担にはなりたくない」

 いくら放免されたとはいえ、アレンは監視されているのと同じ状況だ。
 そして神田はこれからのこの国を作っていく一人で。もっとふさわしい名家の姫を迎えるべきだ。

「お前が何を考えてそう言っているかわかっている。でも、断るのは許さない」


 漆黒が視界を覆ったことに気付いたときには、唇がふさがれていた。
 驚いて突っぱねようとするが、背中に回された腕がそれを許さない。
 唇が放れる頃にはアレンは真っ赤になっていた。

「俺はお前以外と共に生きるつもりはない。ちゃんと長老にも了承を取った」
「神田」
「好きだ。3年前、出逢ったときにきっともう堕ちていたんだ」
「神田…!」

 アレンがしがみつく様に抱きついてきた。
 それを受け止めながら、神田は耳元で再度結婚の申し込みをする。
 頷いて微笑むアレンは日の光を纏い、美しく輝いていた。
 それは王国の白百合と呼ばれた彼女の咲いた日だった。










        Lily Fantasia 3











 それは王国の物語。
 王女ではなくなった白の少女と、黒の騎士の恋物語―――――。


 吟遊詩人の話は、ここでおしまい。








                                                                                                                Fin.








  
           06/12/31  の日付が残っていました。もう4年も前に書いた作品なんですね…。
           前サイトの改装前に掲載していた本当に初期の作品なので、感慨深いものがあります。
           好きなものを詰め込んだ王国モノ。楽しんで頂けると幸いです。

               2010.11.02 この先に、「幸せ」が溢れていますように。