君にとって、幸せな年になりますように。
 笑いあって、泣いて。
 そんな時僕が誰より傍にいられますように。

 ―――願いをこめて。












 刹那は窓に手を当てて息をついた。
 ―――ひどく冷え込んでいる。きっと今外に出たら間違いなく風邪をひくだろう。
 経済特区日本で待機することになり、いつものマンションで過ごす。命令を受けた時、地上に降りるのは自分一
 人のはずだった。けれど今、刹那は一人ではない。
 我が物顔でキッチンを占領している人物が顔をのぞかせた。

「こら、あんまり窓の近くにいると身体冷やすぞ」
「…ロックオン」
「寒いの苦手なくせに」

 まったく、と少しだけ怒ったようなニュアンス。足音が近づいてきて革の手袋をした手が差し出される。そっと手を乗
 せると、苦笑しながら引き寄せられた。
 ひょっこりと現れた彼に、待機命令はどうしたと言っても無駄だろう。
 じっと見つめていると宝石のようにきれいな緑色の眸が細められた。

「ほら、ホットミルク作ったからこっち来いよ」

 ふわりとぬくもりをわけるように抱きしめられた。
 あたたかな腕の中に思わず安堵する。思った以上に身体は冷えていたようだ。

「お前冷たいぞ」
「…寒い」
「ん、そりゃ真冬だもん。おー雪降ってんなぁ」

 温度差で曇った窓の外にちらちらと白いものが見えていた。
 舞い降りるそれは春に見た薄紅の花びらによく似ている。違うのは、触れられないことだろうか。触れたら解けてし
 まう。同じ儚さでも形が残るものと残らないものではずいぶんと違うから。
 一心に窓の外を見る少女に、ロックオンは同じように暗い空を見上げた。

「お前、そんなに雪が珍しいのか?」
「ああ…今まで見たことがなかった」
「そっか。まぁ中東の方は雪は降るけど粉雪なんだろ?」
「…あまり覚えていない。ただひどく寒い」

 ロックオンは刹那を背後から抱き込み、見た目に反して柔らかいセピア色の髪に顔をうずめた。

「もうすぐ日付変わるな」
「…新しい年が来る」
「…今年は、どうなるかなぁ…」
「俺たちがやることは変わらない。…この世界から争いをなくす」
「…俺たちとガンダムで?」
「そうだ。…ガンダムで」

 触れ合っている場所があたたかい。
 刹那はロックオンに体重をかけるように寄りかかる。
 耳元にかかる息がくすぐったくて肩をすくめると、ロックオンが小さく笑った。
 ひょい、と身体を抱えあげられ、向き合う形に座りなおさせられる。

「日付、変わったな。―――今年もよろしく、刹那」

 軽い口づけとともに囁かれ、刹那は目を閉じてそれらを受け入れた。










 これは夢だ。

 刹那は一面緑色の中に立っていた。
 見渡す限り、美しい緑。空と緑が境界線を創る、今までで一番美しいと思う景色だ。
 そよぐ風はひどく心地よく、柔らかな若葉の香りに満ちている。
 視線をめぐらせながら歩く。
 ここは気持ちがいいけれど、何か足りない。
 ひたすら歩く。ただ緑の中を。

 ―――なぜ自分はこんなところにいるのだろう。

 もう足が棒のようだ。往きつく場所が分からず、途方に暮れる。
 人の気配はなく、ここに存在しているのは自分一人。
 誰もいない世界で、一人きり。

「誰か、」

 誰か―――誰を呼べばいい?
 どんなに美しい世界も、望む世界も、そこにいて欲しい人がいなければ何にもならない。
 刹那は立ち止まり、俯く。

 さみしい。

 こんな感情、知らなかったはずなのに。
 あたたかい腕に包まれるうちに、自分はいつの間にか変わってしまった。
 周囲に茂る緑と同じあの眸に見つめられることに慣れてしまった。


『―――刹那』


 足を踏み出せなくて途方に暮れていると、かすかに足音がした。ついで名前を呼ばれる。
 背後からあたたかな腕が伸びてきて、刹那を包んだ。
 ―――ああ彼だ。振り向いて名を呼ぼうとしたとき意識が浮上した。










「刹那?」

 夢の中で聞いたものと同じ声が呼んでいる。
 ゆっくりと目を開けると、薄暗い天井とその中でも色を失わないベリルの眸が刹那を覗きこんでいた。
 思わず目を瞠る。すると彼も驚いたかのように軽く瞠目した。

「あ…」
「刹那?目ェ覚めたか?」
「あ、ああ…起きた…」

 ここは東京のマンション―――寝室だ。
 ふと端末を見ると、眠りについて数時間が経過していた。
 日はまだ昇っていない。
 夜の空気を残したくらい寝室にオレンジ色の穏やかな光がともる。

「すげー寝苦しそうにしてたからさ…大丈夫か?嫌な夢でも見たのか?」

 ほんのり湿った肌や髪を大きな手が撫でていく。
 手袋をはずした白い手は刹那の心を落ちつけるかのように優しく、ゆっくりと触れて。

「嫌な、夢…?」
「なんだよ?自分でもわかんない夢だったか?」
「…一人で…いる」
「うん?」

 手を伸ばすと頬に触れていない方の手で包まれる。
 そのあたたかさに安堵しながら先ほど見た夢を思い出す。
 寂しさばかりが心に残っていて―――ひどく恐ろしくなった。
 小さく震えた身体に気付いたのか、ロックオンは刹那を抱き起こし、膝に座らせる。

「刹那、どした?」

 額や瞼に落とされる唇はくすぐったいけれど心地よくて、安堵の息を吐く。
 背中を一定のリズムで叩く手も、覗きこんでくる眸も優しい。

「嫌な夢は吐き出した方がいいんだぞ。…正夢になる前に」

 心配そうな声に刹那は頷いて話し出した。

「綺麗な森に一人きりでいる夢だった。…歩いても歩いてもどこにも行けなくて。誰もいなくて」
「…うん」
「立ち止まって途方に暮れてたら…アンタの声がしたんだ」

 まだ耳に残っている。
 木々のざわめきにも負けない、柔らかな声。
 でも結局姿をとらえることは出来なかった。抱きしめてくれた腕は確かに存在したのに、振り向くことも、名前を呼び
 返すことも。

「刹那の夢に、俺が出てきたんだ?」
「声だけだった。振り向きたかったのに…目が覚めて」
「そっか。…大丈夫、今ここにいるからさ。俺を確かめて…呼んでよ」

 胸に顔を押し付けるに抱きしめられ、耳元で告げられる。
 視線だけ向けるとベリルの双眸とかちあった。ふわりと笑みの形に細められるその瞬間が好きだ。彼は良く笑うけれ
 ど、本当に笑っている時は少ない。他の誰も気づかなくても、刹那にはわかる。

「ロックオン」
「うん」
「…ロックオン」
「うん、刹那」

 名前を繰り返すだけで、笑みを深くしてくれる。
 刹那はロックオンの背に腕を回しながら息をついた。冷え切った身体の触れ合った部分だけあたたかい。
 すべて委ねてしまえたら、きっと夢の中の寂しさなど飛散してしまうはずだ。
 白い首筋に頬を寄せ、甘えるように目を伏せる。

「ロックオン…もう少し、こうしていて欲しいと言ったら…困るか?」
「困らない。でもまだ夜明けまで時間があるからさ、一緒に寝よう」
「ん…」

 膝に抱えられていた体勢から、そのままベッドに入った。
 向き合う形でまだほんのり熱を残したシーツに二人横たわる。

「もう一人の夢なんか見ないように抱きしめてるから。…今度はきっと、大丈夫」
「…ああ」

 不安そうな顔をしていたのだろうか。
 ロックオンは困ったように微笑むと、刹那の額にそっと口づける。

「おまじない。小さい頃怖い夢見た時、母さんがしてくれてたんだ」
「そう、なのか」
「ああ。いい夢を見られますように、って」

 話しながら幼いころを思い出したのか、ロックオンの眸が翳る。
 刹那は腕の中から伸びあがり、深い陰影の出来た白い頬に唇を寄せた。
 驚いて瞠られた目に満足して腕の中に戻る。

「せつ、な?」
「…おまじないなんだろう?ロックオンがいい夢を見られますように」
「はは、お前には敵わないよなぁ…」

 くつくつと笑うロックオンにもう暗い翳りはない。
 それどころか悪戯っぽい笑みをたたえて刹那を覗きこんできた。

「でもどうせならこっちにキスして欲しかったな」

 長い指が刹那の唇を軽く押し、それを自分の唇に触れさせる。
 その仕草の意図がわかり、刹那は頬を赤く染めた。

「バカだ、アンタは」
「せっちゃんひどい」

 シーツに散っていたブラウンの髪を軽く引いて抗議する。
 ひとしきり照れ隠しに罵って、ベッドの中でじゃれあった。しばらくしてどちらからともなく指を絡ませる。
 視線が絡むと、もうあとは唇が重なるのに時間はかからない。
 何度もただ触れ合わせて、ぬくもりを分け合う。ベッドにいても情欲の絡んだものではなく、ただ重ねあうだけ。
 その心地よさに目を伏せたままにしているとだんだん眠気が押し寄せてきた。

「おやすみ、刹那」

 意識が落ちる前に、囁くように聞こえたのは甘さを含んだ声だった。










 はらはらと降り注ぐのは雪か、花びらか。
 そこはどこかの海岸のようで、青く澄んだ穏やかな海が波の音を繰り返していた。
 空を仰いでいると、背後から名前を呼ばれる。

『刹那』

 柔らかな声に振り向くと、彼が笑う。
 差し出される手に自身の手を重ねると抱きしめられた。
 ひどく幸せな気分で、刹那は小さく微笑んで彼の名を呼んだ。

『―――ロックオン』










 ふわりと浮きあがるような感覚に、自分が目覚めようとしていることを知る。
 目が覚めても、このぬくもりが傍にあればいい。
 刹那は穏やかな気分でそっと目を開けた。



 新緑と同じベリルが笑みの形を作っているのを、確かにみた。









        The story of the dream that I watched.

 
 
 
 
 
 
 
 


        昨年、何人かの方に年賀状代わりに送り付けさせていただいたものです。
        一年経ったし、いいかなぁと思って掲載してみました。特に加筆はしてません。
        刹那がまだ16歳くらいの頃ですかね…。夢占いとか見てて思いついた気がする←

        なにはともあれ、今年もよろしくお願い致します。

           02011.01.01 君といる夢を見た。とても幸せな―――。