注意書き この作品はスタドラ本編をもとに、勝手に作った設定満載の作品です。
      タクトは女の子です。設定は追々出す予定なので、ここには書けません。
      このお話はプロローグですが、未来設定です。わかりにくくてすみません。
      以上を了承してくださるなら、進んでくださいませ。






















 静かに繰り返す波の音だけが響いていた。
 ―――彼女にも、この音は聞こえているのだろうか。
 一人波打ち際を歩きながら、朝日が昇るのを横目にあまり光りのささない地下へと続く階段に足をかける。地上
 と違い、薄暗く少し湿った空気の流れるそこはひどく神聖で。ぼんやりとした灯りのある開けた場所で、青年は歩
 みを止めた。

「…おはよう」

 巨大な氷とも、ガラスとも、水晶とも言えるような。そんな塊が玉座のような高い所に鎮座している。青年は琥珀
 の眸でその塊を見つめ、そう口にした。
 これは彼の、毎日の習慣だった。朝日が昇る前には、必ずここへきて挨拶をする。塊が現れてしばらくしてから、毎
 日欠かさず。

「島は今日もいい天気だよ。…あの日と変わらずに」

 この場所に足を踏み入れることを許されたのは青年だけだ。
 彼が見つめるその先には、一人の少女が目を閉じて微笑んでいる。祈るように組まれた手にはどれほどの願いが
 込められていたのだろう。それを知る術は、今はない。
 青年はそっと塊に額を押しあてた。ひんやりとしたそれは彼女との間に立ちはだかり、触れることすら叶わない。手
 を伸ばしても、届かない。
 だから彼は待っていた。彼女が目覚めるのを。彼女が眠りについた日に、そう誓ったのだ。
 全てを世界のために―――青年のために捧げてくれた少女は、今もまだ、目覚めない。










 地上に戻ると、地下への入り口に一人の男が立っていた。

「やぁ、おはよう」
「…おはようございます」
「…今日はどうだった?」
「………相変わらず、目を閉じたままですよ」

 青年が自嘲気味に笑うと、男は寂しそうに目を伏せた。青い髪と紫色の髪が柔らかな潮風に吹かれ、揺れる。
 男がこの時間にこの場所にいるのも、そう珍しいことではない。時にはキャンパスを持って、記憶の中の彼女を描い
 ていたりする。それは男にとって彼女にしてきたことへの、謝罪のようなものだった。

「あの日から…“旅立ちの日”から、もう五年も経つんだね…」
「…ええ」

 すっかり海より高くなった朝日を見つめて、男が口を開く。その声は悔いと哀しみが入り混じっていた。
 青年も同じように昇る日を見つめて目を伏せる。悔いているのは、青年も同じだった。あの日が来るまで、彼女の
 闇も決意も、何も知らなかったのだ。気づいた時には、もう遅かった。

『スガタ』

 最後に聞いた穏やかな声が、今も耳に残っている。微笑んで目を伏せた彼女に哀しみの色はなかった。もっと違う
 方法があったかもしれないのに。彼女は自分から眠りに就くことを選んだ。
 それが誰のためであったか、知った時にはもう彼女の決意は固く―――。
 思い出して拳を握った青年に、男が苦笑した。肩の力を抜かすかのように、そっと叩く。

「…君だけのせいじゃない。あの子が眠ったのは俺のせいでもあるんだよ」
「…けど、僕は何も知らなかったんだ。自分のことばかりで、何も…」

 何度こんなやり取りを繰り返しただろう。それでもまだ悔恨の念は薄れず、いつ目覚めるのかもしれない彼女を待
 つのも、焦燥感が募るばかり。
 男は俯く青年の肩を押して、歩くよう促した。






「君はもう大学四年生だっけ?」

 朝食を共に、と誘われるままに海辺の店に入る。高校の時によく彼女たちと来たものだ。
 今も相変わらずマスターの入れるコーヒーはなかなかの味だし、料理も美味しい。共に過ごした時間はそう長くは
 なかったのに、島には彼女との思い出が点在していた。
 向かい合って注文した食事を待っていると、男がそう切り出す。頷くと、男は肘をついて青年を見た。

「早いものだね。…これから、どうするんだい?君はもう、島にとらわれる必要もない。…あの子の願いは君の…君
 たちの自由と、世界を開くことだった」
「…知っています。もう島から出たとしても、なんの問題もないってことは」

 今ではもう、島に伝わってきた伝承は本当に伝説と化した。
 サイバディのことも、綺羅星十字団と言う組織のことも、四方の巫女のことも。―――銀河美少年のことも。
 彼女が全てを連れて、終わらせた。シルシは無効化し、サイバディもすべて破壊され復元できるような状況ではな
 かった。

「彼女の望みも知っています。…だからきっと、僕が毎日会いに行くのも快くは想ってないはずだ」
「…そうかもしれないね」
「彼女は自由な…鳥のような人だったから。望んで捕らわれ続ける僕を見たら、哀しむかもしれない」

 それでも、彼女の目覚めを待つと決めた。いつになるのかわからない。本当に目覚めるのかも。
 青年はコーヒーを一口含むと、琥珀の目をそっと細めた。

「僕はどうしても彼女に言いたいことがあるんです」
「…言いたいこと?」
「ええ。…言い逃げされたままじゃ、僕の沽券に関わります」

 小さく笑いながらそう言うと、青年は海を見つめる。男は数度目を瞬かせて、吹き出した。

「うーん、若いなぁ…」
「何言ってるんですか。あなただってまだ十分若いでしょう?少なくとも、外見は」
「辛辣だねぇ。…あの子が目覚めたら、君との縁は深くなりそうだ」
「…そうですね」

 笑いあって、ようやく来た朝食を食べる。
 この五年で彼女の話をしても辛くはなくなった。季節が過ぎる度に共に過ごした日々を思い出す。思い出の中の
 彼女はいつも笑っていた。時折見せる不安定な顔や最後に見せた涙は印象深くはあったけれど、誰に聞いても
 笑顔の方が覚えられている。

「そういえば、あの絵…もう完成したんですか?」
「ん?」
「この間、あそこで描いてたじゃないですか。夕闇の綺麗な―――」
「…ああ」

 男と初めて会った場所で、ついこの間見せてもらった絵は描きかけだった。
 オレンジと紫のグラデーションも美しいキャンパスの中に、彼女が立っている絵だった。
 男は困ったように笑った。

「あの絵、描くのはやめたんだ」
「え?」
「あの絵に限らないんだけどね…あの子の顔が、どうしても上手く描いてやれないんだよ。だからいつも後ろ姿を描
 いてしまうんだ」

 視線を落とした男に、青年も口を閉ざす。
 記憶の中では鮮明でも、絵に表すには足りないのだろう。ましてや、男と彼女は青年よりも共に過ごした時間が
 短い。

「写真でもあればまた少し違うんだけどね」
「…写真」

 青年はその言葉に、家のアルバムを思い出した。
 彼女との写真は少ない。けれどまったくないわけではない。

「家に数枚ならありますよ。…と言うか、本土の家にたくさんあるんじゃないですか?」
「そりゃあるだろうけど、取りに行けるわけないじゃないか。のこのこ行ったら最後、ボコボコにされちゃうよ」
「…自業自得でしょう」
「まったく、君はひどいな。…だから幼い頃のあの子は見たことがないんだよね」

 自業自得とは言え、寂しそうに笑う男に青年は顎に手をかけて考え込むそぶりを見せた。
 幼い頃の彼女の写真は、一枚だけ持っている。青年は忘れてしまっていたけれど、彼女が大切に持っていたの
 だ。彼女の宝物だった二枚の写真と懐中時計は今、青年と幼馴染の少女が持っている。

「まぁ…写真より何より、本物のあの子に逢いたいよ」
「……そうですね」

 男のため息混じりの言葉に、肯定を示す。誰よりも彼女の目覚めを待っているのは、青年だ。
 あの日から、五年。彼女が何をしたのか知る人は、皆彼女を待っている。
 地下神殿には青年しか入ることが出来ない。だから青年は毎日彼女の目覚めを見るために、あの場所へ通うの
 だ。
 少女が眠りに着く直前、最後に言葉を交わしたのも青年だった。

『これが僕の役目なんだ。…さよなら、スガタ』

 今でもはっきりとあの日のことを覚えている。無邪気な声で、微笑んで、彼女はさよならを告げた。
 伸ばした手ははじかれてしまった。青年が彼女を呼んだ時彼女の眸からこぼれた涙は、どんな意味を持っていた
 のだろう。

『―――大好きだったよ』

 囁くように告げられたその言葉に、どれほどの想いが込められていたのだろう。
 胸にこみ上げる歓喜と切なさは言葉として彼女に届くことはなかった。届く前に、彼女は目を閉じてしまったから。

「あいつの目が覚めたら、今度こそ伝えないと。…僕は前に進めない」
「…そうだね。全てはあの子が目覚めたら」

 あの頃では考えられないほど穏やかに微笑んだ男に、青年も口角を引きあげる。

「…いつか、みんなで写真を撮りましょうか。そしてあなたには彼女の笑顔を描いてもらいたい」
「……楽しみにしているよ」
「…それじゃぁ、僕は学校があるので」
「ああ、いってらっしゃい」

 席を立つ青年に、男はひらりと手を振った。出会った当時より、大きくなった背中を感慨深く見送る。
 青年が去ってしばらくしたころ、男の前に片目を眼帯で覆った男が立った。

「やぁ、おはようカタシロ」
「…またあそこに行ってたのか?」
「うん。ああ、彼も来ていたよ。一緒に朝食を食べたことろだ」
「…そうか」

 カタシロ、と呼ばれた男は先程青年が座っていた場所に座る。マスターにコーヒーを頼むと小さく息を吐いた。

「シンドウ・スガタは…今も毎日通ってるんだな」
「ああ。…あの子が目覚めるのを、切望しているからね」
「それはみな同じだろう。…お前だって」

 隻眼が男をとらえる。射すくめるようなその目に憐憫と呆れを見つけて、男は肩をすくめた。
 それを肯定と取ったらしいカタシロはマスターが持ってきたコーヒーを口にする。

「…科学ギルドの力をもってしても、あの子が目覚めないのは何故だろう。…目覚めたくないのかな」
「……あの子はそんなに脆い子じゃないだろう。お前と違って、弱くない」
「みんなヒドイなぁ。まぁ…僕は確かに弱かった。だからあの子に辛い思いをさせてしまった」

 男は紫水晶のような眸を少女の眠る方へ向ける。以前とは違う、ちゃんと暖かさを湛えた眸だった。

「…大人しく待ってやれ。父親だろう」
「ははっ、目覚めたらすぐとられちゃうの、面白くないなぁ」
「…幸せを願ってやれ。…トキオ」

 昔に捨てたはずの本名に、軽く目を瞠った男は次いで笑った。

「わかってるよ…。あの子、目を覚ましたら“お父さん”って呼んでくれるかな?」

 楽しげに笑いながら聞いてくるトキオに、カタシロはため息交じりに笑ってやった。









 星の瞬く夜だった。
 彼女と初めて会った時のような、そんな満天の空だった。
 静かな波の音が屋敷にも微かに聞こえる。
 自室で机に向かっていた青年――スガタは、震えた携帯電話に気付き、手を伸ばした。

「―――はい」
『あ、スガタ君?』

 聞こえてきたのは、鈴の鳴るような綺麗な声。聞き間違えることのない声に、小さく笑う。

「久しぶり。…この間、雑誌で見たよ」
『えへへ、ありがとう!』
「最終選考に残ったんだろう?デビューもすぐかな?」
『うーん…そこはまだわかんないなぁ。でも、頑張るよ。…やっと、本土に行けるようになったんだもん』

 携帯電話越しに聞こえる決意を秘めたような声に、スガタは居住まいを正した。
 シルシがなくなったことで、特別な力は消えた。当然島に囚われていると言ってもおかしくはなかったスガタや巫女
 達は島を出られるようになった。
 幼馴染のワコは、巫女の一人だった。皆水の巫女だったワコは彼女が眠りについたことで役目から解放されたの
 だ。
 彼女が眠った当初はワコも茫然として、泣いて。そうしてワコはスガタに喝を入れたあとに島を出た。元々夢のため
 に、島を出たがっていたワコだ。今は本土で夢に向かって突進中で。時折かかってくる電話が今の二人をつなぐも
 のだった。

『私の歌が届けば…目を覚ましてくれるんじゃないかって。勝手に期待してるの』
「…ワコの歌、気に入ってたからね」
『うん。…だから私、頑張る。タクト君がくれた未来だもの』

 ワコの言葉に、スガタは見えないとわかっていながらも、頷くしか出来なかった。
 しばらく他愛もない話をした後、電話は無機質なモノに変わった。それを机に置いて、スガタはテラスに出る。
 彼女が眠りについた後しばらくは何も手につかなかった。食事も眠ることも全て億劫で。どうしようもない虚無感に
 潰されてしまいまそうだった。
 そんなスガタをひっぱたいて怒鳴りつけたのがワコだった。




『今のスガタ君はカッコ悪い!』

 胸倉を掴まれて、泣きながら。
 いつもの元気で優しいだけのワコではなく、どこか彼女に通じるような。そんな強い眸に気圧された。

『タクト君が目覚めた時、スガタ君がそんなんでどうするの!タクト君が好きだったスガタ君は今のスガタ君じゃな
 い!いつも悠然としてて、私たちを助けてくれるスガタ君だよ!タクト君はいつだってスガタ君を見てたのに…!』

 怒鳴られて自分の目が覚めた気分だった。それから先へ進むというワコと約束をしたのだ。自分はこの島でタクトが
 目覚めるのを待つ、と。
 封印に使ったタクトのリビドーが戻れば、目覚めるのではないかと言うのが調べてくれた綺羅星十字団の医療チー
 ムの言だ。タクトの父親である“ヘッド”が調査させたのだから間違ってはいないだろう。けれどそれが何年かかるの
 かはわからない。
 既に五年が経過した。けれどまったくと言っていいほど、変化はない。この先も目覚める保証はない。
 それでも、待ち続けようと決めたのだ。

「言いたいことがあるんだ…タクト」

 夜風に攫われた呟きは、遠い波の音にすらかき消される。
 けれど、胸の―――シルシのあった場所が、ほのかに熱を抱いた気がした。











                 Stella Maris  終焉が始まった日




 
 
 
 
 
 
 
 


        ついに書き出してしまいました…。スタドラ長編予定です。
        このお話はまだ導入なんですけども、スガタの話、かな?
        これから書くのは何度も出ていますが時間軸にして五年前のことです。
        何があってこうなったのか。これからお付き合い頂ければと思います。

            2011.03.27 願いは、君の笑顔をもう一度見ること。