星の流れる夜だった。何かが起こりそうな、そんな夜。
 静まり返った海岸を、ワコとスガタは歩いていた。特に何かあったわけではない。ただワコがいつものようにスガタの家
 で夕食をごちそうになった帰りだ。
 けれど予感があったのかもしれない。スガタにわざわざ散歩がてら家まで送ってくれと頼んだのだから。

「あー、今日は潮風が気持ちいね!春、って感じ」
「…そうだね。たまには夜の散歩もいいかもしれないな」
「でしょう?」

 にっこりと笑うワコに、スガタは苦笑を返す。自分がこの幼馴染に頭が上がらないということはわかっているけれど、
 多少複雑だ。
 機嫌よく歩いていくワコの背を見つめながらため息をついた時だった。

「わぁ!すごい!」

 歓声と共に、黄色い頭が夜空を仰ぐ。つられるようにスガタも空を見上げた。
 この南十字島は自然の色濃く残る島だ。空気が澄んでいるためか、星がよく見える。幼い頃から何遍も観てきた
 空が、今日は一段と美しかった。
 流れ星が見えることもそう珍しくはない。けれど今日の空は流星群のようにいくつもの星が流れていく。まるで光を
 集めているかのように、同じ方向に。
 海へと消えていった星は流れるのをやめ、また静かな空へと戻る。思わず無心に見つめてしまうくらいには美しかっ
 た。

「あれ…?」

 先に我に帰ったらしいワコが、いつの間にか空から視線を外して暗い海辺を見つめている。

「ワコ?」
「誰か…いる?」
「え?」

 見通しの悪いこんな夜の海辺に、誰がいるというのだろう。
 スガタは訝しみながら今にも駆けだそうとするワコの手を掴んだ。振り返ったワコが首を傾げる。

「スガタ君?」
「この島の人間じゃないかもしれない。…一応警戒して」

 この島には外部の人間に知られてはまずい秘密があるのだ。その核を担うワコを守ることが、自分の役目だと思っ
 ている。だから迂闊に近づくと危険だと引きとめたのだが、ワコは小さく首を横に振った。

「……大丈夫」

 ワコの茶瑪瑙の眸が静かに闇に向けられる。
 その眸に警戒心はなく、どちらかと言えば期待が込められていた。
 スガタが手を離すと、彼女はゆっくりとした足取りで砂浜を進み始める。半歩離れてその後ろをついていくと、だんだ
 ん細いシルエットが見えてきた。
 あと数歩でその人物のところに着く、と言った時。ふいに振り向いたその人影は印象的な紅玉の眸を瞬かせた。

「…あなた、本土から来たの?」
「…うん。君たちは島の人?」

 ワコの急な問いかけに、その人物は小さく微笑んだ。耳に心地の良い、アルトの声が答える。
 近づいてわかったことだが、眸と同じく髪も鮮やかな紅のようだ。今は周囲が暗くて分かりにくいが、きっと太陽が似
 合う―――そんな気がした。
 ワコよりも背が高くすらりとした細身の肢体だが、その体形からもわかるように同い年くらいの少女だ。
 もうすぐ九時になろうというこの時間に、こんなところに一人とは、いくらこの島でも危ないだろう。

「そうよ。…こんな時間にどうして海に?」

 ワコも同じように心配になったのだろう。気遣わしげな声でたずねている。
 少女は困ったように眉尻を下げると指で頬をかきながら視線を泳がせた。

「や、その…ちょっと手違いで」
「…手違い?」
「うん。僕は今日この島に来たんだ。明日から南十字学園の高等部に通うんだけど、寮に入れなくて」
「入れない?えっと、あなた本土からの編入組…だよね?」

 寮に入れないとはどういうことだろうか。
 少女の言葉にスガタも首を傾げずには居られなかった。少女は躊躇いながらも事情を説明してくれる。どうやら寮
 側の手違いで、部屋が一室足りなかったらしい。

「明日には何とかしてくれるって言われたけど、今日はどうしようもなくて。だから今夜どうしようかなぁって思ってたとこ
 なんだ」
「そ、そうなんだ…」
「どこかホテルでも取るようにって言われたけど、その、僕ちょっと持ち合わせが…」

 本当に困った、とでも言うように少女は頭をかく。星明かりの下でショートカットの紅が揺れた。柔らかそうな髪だ
 な、と関係のないことを思う。

「じゃぁ今晩泊まるところ、ないの?」
「うん…でも一晩くらいならなんとか…」
「ダメよ!女の子なのに危ないわ!」

 ワコが慌てたように少女の手を掴んだ。
 軽く瞠目した紅玉の眸がワコを映す。

「ワコの言うとおりだよ」

 それまで黙っていたが、ここで別れたらこの少女は本当に野宿をしそうな気がして口を挟む。
 少女の前に立つと彼女はスガタを見て眸を揺らした。その意味を図りかねて、見つめ合ったまま―――長く時間
 が過ぎるような、そんな感覚になる。
 紅玉の眸に何故か既視感を覚えて、スガタはとっさにこぶしを握った。

「…あ、じゃぁ家にくる?」

 名案だとでも言うように、ワコは目を輝かせる。

「え!でも、急に悪いよ…」
「気にしないで。家はばっちゃんだけだし、一晩くらい大丈夫よ」
「でも…」

 じりじりと寄ってくるワコに身を引きつつ、少女が困ったように眉尻を下げる。
 スガタはワコを引き戻しながら苦笑した。

「じゃぁ僕の家に来るかい?」
「え?」
「僕の家は僕とメイドだけだし、部屋もたくさんあまってる」

 どう?と首を傾げると、ワコが目を輝かせる。

「あ、それがいいかも!スガタ君の家なら不便もないしここから近いよ」
「え、え?」
「うーん、心配なら私も一緒に泊まってあげる!スガタ君ちの朝ご飯ー!」
「…ワコ、そっちが本音だろう」

 呆れたようにワコを見やると、彼女は笑ってごまかした。
 戸惑ったようにこちらを映す紅玉に笑いかけてやる。

「いつまでも潮風に当たっていたら風邪を引いてしまうよ。入学式前にそれは嫌だろう?」
「でも…いいの?」
「ああ。気兼ねしなくていい。ワコはしょっちゅううちに来るし、お客が来たらメイド達も世話のし甲斐があるって喜ぶ
 よ」

 女性の客はワコ以外に連れてきたことがない。家に仕えている二人のメイドも喜ぶだろう。
 そう言って促すと、まだ躊躇いながらも少女は頷いた。

「…じゃぁ一晩お世話になります」
「ああ。―――そうだ、自己紹介がまだだったね」

 スガタは大きな紅玉の眸をしっかりと見据えた。

「僕はシンドウ・スガタ。こっちは…」
「私、アゲマキ・ワコよ。あなたは?」

 ワコが微笑んで自己紹介をする。少女はほんの少し目を細めると、すぐに笑い返した。

「僕はタクト!ツナシ・タクトだよ。…これからよろしく、二人とも」
「うん、こちらこそよろしくね。…タクトちゃん?」
「あ、僕の名前男物なんだ。じいちゃんがそれしか用意してなくてさ!だから今までもずっと君付けで呼ばれてたよ」
「じゃ、私もそうするね」
「うん」
「改めてよろしく、タクト君!」

 差し出された手を取って、タクトが笑う。その笑顔は先程のように困ったものや戸惑ったものではなく、見た者をはっ
 とさせるような笑みだった。
 花が咲く、と言うのはきっとこういう笑顔を指すのだろう。
 星が流れる日に逢った少女は人の目を奪う、けれどもどこか儚いような不思議な空気を纏っていた。






「おかえりなさいませ、坊ちゃま」

 玄関で出迎えをしてくれたのは、シンドウ家に仕える二人のメイドだった。
 メイド服に獣耳、といった出で立ちの二人の少女にタクトが目を瞠る。しかし二人はタクトに気付くと眼鏡の奥の
 眸をぱちり、と瞬かせた。

「坊ちゃま…こちらの方は?」

 紺色の髪を揺らして首を傾げたメイドの一人が何かを見極めるようにタクトを見る。
 探るような視線にタクトは正面から見つめ返した。

「ツナシ・タクトさん…さっき海岸で会ったんだ。困ってるみたいだから一晩家に泊める。タイガー、部屋の準備を頼
 めるか?」
「はい」

 スガタがそう言うと、タイガーと呼ばれたメイドは一礼して去っていく。
 もう一人のメイドはタクトの名前を耳にすると、はっとしたようにスガタから視線を移した。

「ツナシ…?」
「ああ、そうだ、お腹はすいてない?ジャガー、彼女の食事の準備を頼む」
「え、そこまでお世話になるのは…」
「気にしないで。何も食べない方が身体に悪いだろう?」

 スガタは着いてきて、とタクトを屋敷の中へと案内する。それについていこうとした時、ジャガーと目があった。短い、
 ほんの一瞬。けれどタクトは小さく頷いた。






「―――起きてるよ」

 深夜と呼ばれる時間帯、タクトはそっと部屋のドアを開けた。
 ドアの向こうには、髪の長いメイドが静かに佇んでいる。
 タクトは目を細めると、彼女を部屋へと招き入れた。

「…お久しぶりです、タクト様」
「久しぶり。…ここではそう呼ばないで、ジャガー」
「ですが…あなたは主です」
「今の君はスガタが主だよ。…僕のことはただのタクトでいい」

 小さく微笑んだ少女に、ジャガーはただ頭を下げた。

「ゆっくりとお休みください。私たちが警護をしていますので大丈夫です」
「うん。…これからよろしく」

 ジャガーは小さく微笑むと、退室して行った。
 静まり返った部屋の中で、水の入ったグラスを片手にため息をつく。

「…何も覚えてない…か。そりゃそうだよね…一度しか会ったことないんだもん…」

 知らないものを見る時、人は興味や疑心を浮かべ探ろうとする。スガタが自分を見るときの目は、まさしくそれだ。
 何をしにこの島へ来たのか、何のために来たのか。警戒を浮かべた琥珀に覚悟はあったが哀しくなった。
 そっと窓を開けると潮風がタクトの紅い髪をなぶる。

「ずっと僕は…ここに来たかったんだよ…」

 タクトはそっとズボンのポケットを探った。そこにはいつも肌身離さずに持っている宝物が入っている。
 しゃらりと小さな音を立てて鈍い金色の懐中時計と、パスケースを取りだした。紺色のパスケースを開くと、写真が
 挟まっている。二枚あるうちの一つは今よりほんの少し幼いタクトが、友人たちと共に撮ったものだ。
 そしてもう一枚の写真を見て、タクトは目を細めた。
 まだ十にもなっていないくらいの子どもの写真だ。紅い髪の女の子にはタクトの面影がある。砂浜で撮られたそれ
 にはもう一人、同じ年ごろの少年が映っていた。







 メイドに起こされて、案内されるがままに屋敷を歩く。
 朝食の準備が出来ています、と言われドアを開けるとスガタと昨晩は結局帰ったワコが既に席についていた。

「おはよう!昨日はよく眠れた?」

 にこ、と笑ったワコが問いかけてくる。
 タクトは挨拶を返して頷いた。実際、タクトはあまり物怖じしない。軽い食事をもらって風呂を借りたあと、しっかり
 眠ったのだ。
 食堂の大きなテーブルには三人分の朝食が用意されていた。美味しそうなそれにタクトとワコが目を輝かせる。
 進められるがままに食べ始め、しばらくしたころだった。

「…ツナシ・タクトさん」
「何?」
「キミは何をしにこの島へ?」

 スガタの琥珀の眸が探るようにタクトを見ていた。ワコも食事の手を止めてタクトを見る。
 タクトはグラスに口をつけて飲み干すと、にわかに立ち上がった。
 ビシ、っと音がしそうな勢いでタクトが指を突き出す。驚くスガタやワコの前で少女は楽しそうに言った。

「―――青春しに!」
「へ?」
「すごいこと、やりにきた!えっとね、つまり…青春の謳歌ってやつ!」
「…青春の謳歌?」
「そう。…じいちゃんがこの島なら僕のやりたいことが出来るって…そう言ったんだ。僕にしかできない、大切な役目が
 あるって…」

 ふいに細められた紅玉が影になる。細い指がそっと胸元を押さえた。ぎゅ、っと握られた手には何か決意が感じら
 れる。その一瞬だけ愁いを帯びたような顔をしていた。
 けれどすぐに楽しげな表情に変わり、食事を再開する。
 スガタもそれ以上は聞こうとせず、ただタクトを見つめていた。







 ざわめく学園の校内を紅い髪の少女が進む。
 その少し前を歩くのは島でも有数の名家、シンドウ家の当主であるスガタと、その幼馴染にして許嫁のワコだ。
 きょろきょろとしながら歩く少女は物珍しそうに学園を見ている。その様子からすぐに外部編入組だと知れた。
 クラス分けの張り出された掲示板の前は多少混雑している。けれど彼らが現れた時から、人々は散り散りになっ
 ていた。

「あ!名前あったよ!」

 ワコが指を指す先には、確かにスガタの名前があった。そしてその横の方にタクトの名前も記されていた。
 どうやら三人とも同じクラスらしい。タクトがほっとしたように息をつくとスガタが小さく笑った。

「…君とは縁があるな」
「そうみたいだね。…でもよかった、キミたちと同じクラスで」

 嬉しそうに笑ったタクトにワコも頷いた。

「これからいろんなことが一緒に出来るね!」
「うん!改めてよろしく、二人とも」

 三人の様子は周囲の目を引く。
 その中に不穏な視線が向けられていたことには誰も気づかずにいた。









「…荷物の片づけ?」

 背後からかけられた声にタクトははっとしたように振り向いた。
 ゆっくりとスガタが歩み寄ってくる。タクトは再び壁にかけられた絵へと視線を戻した。

「この絵が気になるの?」
「ん…」

 タクトは手に持った段ボール箱を抱えなおすと、頷く。
 絵をじっと見つめるその目には何の感情も浮かんではいなかった。昨日会ったばかりではあるが、彼女は表情豊か
 で、感情を隠せないタイプのようだと思っていたスガタは、その眸に軽く目を瞠る。

「…父さんが描いたんだ、この絵。…この島にいるって聞いたけど…ほんとかな」
「…君は父親を探しにきたのか?」
「ううん。そう言うわけじゃないけど、一度くらいは会ってみたいかな…」

 小さく呟いたタクトが振り向いたとき、その眸に先程までの陰りは見当たらなかった。

「キミは寮生なわけないよね?どうしてここに?」
「え、ああ…よかったら夕食に招待しようと思って」
「僕を?…ワコは?」

 首を傾げたタクトにスガタは抱えている荷物を持ってやる。
 そのまま歩き出しながら答えた。

「ワコも招待してるよ。彼女は今禊の時間なんだ。…彼女はこの島の巫女だからね」
「…巫女?」
「ああ。誰かに聞いたかもしれないけど、ワコは僕の許嫁なんだ。僕の家は数十年に一度、巫女の一人と結婚す
 る仕来たりがあってね」
「へぇ…。じゃぁ二人は恋人同士なんだ?」

 タクトの言葉に、スガタは苦笑を返した。

「いや、そういうわけじゃないよ。恋愛は自由だろう?」
「…そうだね。誰かを想うことは…自由だと思うよ」

 穏やかに、けれどどこか切なく響いたそれが、どんな表情をして語られたか―――スガタは知ることがなかった。
 手伝うよ、と言われるがままに荷物を運んでくれたスガタと共にシンドウ家へと向かったのは、もう黄昏時だった。
 夕暮れの海岸を歩く。紅く染まった空の色がタクトの髪の色とよく似ていた。
 特に話すこともなく歩くのに、不思議と居心地の悪さは感じなかった。それどころかなぜか懐かしい気分になり、ス
 ガタは内心首を傾げた。










 和やかな夕食の時間も終わり、タクトはワコと来た時と同じ砂浜を歩いていた。
 スガタが送るというのを断り、二人で帰ることにしたのだ。

「…この島の空はすごく綺麗だね」
「うん。星が降りそうでしょ。たまに流れ星も見えるよ」
「そっか…いい島だね」

 タクトは深呼吸を幾度か繰り返す。海の匂いが身体を満たしていくのが心地よくて、足を止めた。
 ワコも付き合ってくれるのか、夜の海を二人で見つめる。
 繰り返す波の音も、潮風の匂いもいつもと同じはずなのに、傍らにいる人が違うだけでいつもと少し変わって見え
 た。真っ直ぐに海を見るタクトを横目に、ワコは空を仰いだ。歌いたくなる。こんなにも綺麗な夜は何かが起こりそう
 で―――。
 そう思った瞬間、ざわりと背筋を何かが這うような悪寒にも似た感覚に襲われる。それはタクトも同じだったらしく、
 目つきを鋭くした。

「今の、何…?」
「わからない、けど…嫌な感じがする」

 知らず取り合った手が汗ばむ。けれど互いに力を込めた。

「…早く帰ろう、ワコ。家まで送るよ」
「う、うん」

 手をつないだまま、タクトがそう促した時だった。
 ふいに腕を引かれてバランスが崩れる。砂の上に倒れ込んだタクトは思わず手を離してしまった。

「―――タクト君!」

 悲鳴にも似たワコの声に顔をあげた時、ワコは数人の仮面をつけた者たちに取り押さえられていた。

「ワコ!!」
「いや!放して!」
「大人しく―――」
「ワコを…放せ!」

 じたばたと暴れるワコを抱えようとする男に、タクトが蹴りを入れる。その勢いのまま二人目を殴り飛ばした。
 思わぬ反撃に、仮面の男たちが怯む。その隙を逃さず、タクトはワコの手を取った。
 しかし走り出した少女たちはすぐに足を止めることになる。

「あんまり手間かけんなよ」
「そうそう…やっと気多の巫女の封印破って第2フェーズになったんだ。あんたの…皆水の巫女の封印を解けばゼロ
 時間の外に出れる」

 新手の、しかも先程の男たちより格が上の様子の二人は、タクトの前に立ちふさがった。

「…なんだお前ら…!」

 きっと睨みつけるタクトを嘲笑うかのように、男は素早く近付くとワコを抱き抱える。
 はっとしたタクトが振り向く前に、腹に鈍い痛みが襲いかかった。

「タクト君!!いやぁああ!」

 ワコの叫びを聞きながら、タクトの意識は闇に沈んだ。





 周りは闇だ。何も見えない。
 目を開いているのか閉じているのかすらわからなかった。
 ふいに風を切るような、そんな音が聞こえた気がして、タクトは振り返る。

「―――お前は」

 闇の中でも白いその機体は淡く光を纏っていた。
 巨大なそれはタクトを見つめている。タクトも応えるかのようにじっと見つめた。

「…行こう、僕の役目を果たしに。―――僕と、キミで!」



 一気に浮上した意識に、タクトは目を瞬かせる。
 周囲に気付かれないように息をひそめると、そっとあたりを見回した。どうやら自分も一緒に連れてこられたらしい。
 浜辺で放置されなくてよかったと言うべきか―――。手は縛られているものの、足は動かせるようだ。
 ワコはどうなっただろうかと視線を巡らせる。

「ワコ…!」

 彼女もまた手首を縛られ、椅子に座らされていた。自分よりはまともな扱いで安堵する。
 しかし油断は出来ない。先程の会話を聞くに、どうやらワコに封印を解かせるつもりのようだ。それが何を意味する
 か、タクトは知っていた。
 やるべきことがあるから、この島に来たのだ。

「なぜ皆水の巫女を連れてきたのだ?」
「あ?サイバディは動いたんだ!あとはゼロ時間の封印を破って外に出ようぜ!そうすれば我が綺羅星十字団はさ
 らなる栄光を掴むことが出来る!」

 自分たちを襲った男の声に、タクトは眉をひそめた。
 ずいぶん勝手な言い分だと思う。

「…ヘッドも知っているのか」
「順序を繰り上げるのは構わないが失敗したら…。巫女の命は保証できないぞ」
「そんなの知ったことかよ」

 何やらもめている気配だ。タクトは身体を捻ってワコの方を向いた。
 唇を噛んで泣くのを堪えているようだ。その痛々しい様にタクトも歯を噛みしめる。
 絶対に封印を破らせるものか―――。タクトは腹に力を込めた。殴られた痛みは残るものの、立てないわけでは
 ない。
 話がまとまったのか、くちばしを模したような仮面の男がワコに近づいてくる。

「さぁ、開始しようか」
「い、いや…!」
「アンタに拒否権はないの!ほら、一緒に来てもらうわよ」

 ピンク色の髪の小柄な少女がぐい、とワコの腕を引いていく。
 タクトたちを攫ってきた男のうち、体格のいい方が何かの機械に入るのが見えた。
 地響きのような音がして周囲の景色が一瞬にして変わる。

「…ゼロ時間」

 そして、サイバディがそこにあった。
 アレフィストとアプリポワゼをしたのだと、誰かが言っている。けれどタクトには憤るワコがついに涙をこぼしたところが
 見えた。

「あなた達…何をしてるかわかっているの!?」
「もちろんわかってるわよ。…後はアンタの封印を解けばこのゼロ時間から解放される!」

 ワコを掴んでいる少女が嘲笑っている。
 タクトは起き上がると駆けだした。

「そんなこと…させない!」
「―――貴様、どうして動ける?」

 突然現れたかのようなタクトに、彼らは驚きを隠せないようだ。
 このゼロ時間に自分たち以外の人間がいることがありえないと思っていたからだろう。
 紅玉の眸でサイバディを睨みつけるタクトに苛立ったのか、男が殴りかかってくる。当たりはしなかったものの、手を
 縛られた状態では反撃もバランスを取ることも難しく、タクトは床にたたきつけられた。

「タクト君!!」
「あーあ、動けたとしてもなんにも出来ないわよ。そこで見てるといいわ…この世界が私たち綺羅星十字団のものに
 なるところを!」

 高笑いと共に、少女が嫌がるワコをアレフィストの方へと押しやる。透明な球体が分離して、ワコだけがサイバディ
 の方へと引き寄せられていった。
 このままでは皆水の封印が破られてしまう。成すすべもなく、ワコは倒れ込んだままのタクトを必死で呼んだ。巻き
 込んでしまった彼女を無事に返してやりたかった。

「タクト君、タクト君!…どうしよう、お願い、逃げて!」

 声が届いたのか、タクトは衝撃で解けた縄を捨てゆっくりと立ち上がる。
 俯いていた顔をあげた時、その眸はしっかりと前を向いていた。
 胸元で固く握られた拳がそっと開かれる。

「…歌声が聞こえる」
「は?」
「そうか、これがそうなのかな…」

 タクトは小さく笑うと再び拳を握った。

「やりたいこととやるべきことが一致したんだ。だから僕には―――世界の声が聞こえる!」

 力強い叫びにワコは目を瞠った。タクトの胸元が紅く光り輝いている。
 その光がタクトを包んだ。高らかにアプリボワゼを叫ぶタクトに綺羅星十字団と名乗った面々も目を瞠る。
 波のような音と共に、純白の機体が現れた。タクトが不敵に微笑むと、応えるかのようにその機体がタクトを乗せ
 る。

「あの機体は…!?」
「ゼロ時間で動ける上にサイバディに乗り込めるのか!あれは第3フェーズの力…」
「じゃぁ銀河美少年!?」

 綺羅星十字団の困惑をよそに、ワコは純白のサイバディに目を奪われていた。
 乗り込んだタクトの髪が一部金色に変わり、服もまるで騎士のようなものになっている。
 タクトがワコの視線に気づいたのか、ふわりと笑う。この状況に似合わない、あまりにも柔らかな笑みに目を奪われ
 た。

「ワコ」
「…タクト、君…?」
「大丈夫…僕がキミを守るよ。だって僕はそのためにこの島へ来たんだから」
「―――え?」

 穏やかな口調はこの場にふさわしくない。けれど確かにワコの中にあった恐怖はなくなった。
 タクトはもう一度笑ってみせると、ワコからアレフィストへと視線を移す。先程までの柔らかさは消えうせ、厳しくもど
 こか楽しげな紅玉にアレフィストのドライバー、レイジングブルは舌打ちをした。
 突然現れ、自分たちの邪魔をしようとするサイバディ。面白いわけがない。

「銀河美少年…調子に乗りやがって!」
「―――僕とタウバーンは負けない。そう約束したんだ!」
「うるせぇ!邪魔なんだよ!!」

 凛とした少女は殴りかかってきたアレフィストの攻撃をかわすと、高く飛びあがる。そしてタウバーンは頭上から軽や
 かに舞いおりた。
 一瞬の静寂ののち、アレフィストが轟音を立てて爆破される。その煙を背に、タウバーンはワコを両手で包むと消え
 去った。





 気づいた時には、再び波の音が聞こえていた。

「…大丈夫?」

 心配そうに覗きこんでくる紅玉の眸に、ワコは思わず茶瑪瑙の眸を瞠った。
 今日はなんだか驚いてばかりいる気がする。

「タクト君…あなた何者なの…?」

 絶えない波の音と、一面の銀河。その中でタクトは目を細めて笑った。

「僕は君を―――君たちを守るためにこの島に来たんだ」

 全ての始まりは、静かで美しい夜だった。
 純白の機体に乗って戦った少女は、ただ微笑んでそう言った。













                 Stella Maris  Brilliant ruby




 
 
 
 
 
 
 
 


        お待たせいたしました。1話目です。プロローグより6年ほど遡っております。
        書くためにアニメ本編やマンガ版のスタドラを見なおしたりしました(笑)
        まずは出逢いです。話は基本本編をパロしたいんですけど出来るかな…。

          2011.04.17 世界の声が聞こえた。きっと、私だけに聞こえる声で。