神様、神様。
 あの人に出逢ったことは僕にとって今までで最高の出来事で、至上の幸福です。
 あなたにいただいたこの名前を優しいテノールが呼ぶ時、心が震えた。
 初めて微笑みを向けられた時、身体が痺れる感覚がした。
 触れてくる手も、宝石のような翡翠の瞳も、こちらが溶けそうなほど熱くて。

 これが特別。
 これが―――恋。

 僕と彼は決して結ばれないのに、彼を想うだけで切なくて苦しくて愛おしい。

 これが罪なら、この翼がなくなってもいい。
 どうか傍に、彼の隣にいさせて。

 せめて、この夜が終わるまでは。
 聖なる夜が明けるまでは。










        Miraculous snow (後)










 静かな部屋に、小さな歌声が流れる。
 ぺたりと床に座り込んでもまだ目線より低い小さなツリーに、細い手が大小様
 々な飾りをつけていく。
 アスランが買ってくれたツリーはキラを喜ばせた。
 小さなツリーだったが、嬉々として飾りを少しずつ増やしていくキラを、アス
 ランも微笑ましそうに見る。
 アスランは今日まで学校だと言った。明日からは冬休みなのだと。
 だからキラは一人、留守番をしている。午前中は忙しく掃除や洗濯をしていた
 が終わってしまえば手持ち無沙汰だ。
 一人でいる部屋は少し淋しい。この家は一人で住むには広すぎる。
 今はキラがいるとはいえ、彼は淋しくなかったのだろうか―――。
 ふと手を止めて、脳裏に思い浮かべた。

 夜中の空が明け方に変わる前のあの美しい空の色。
 宝石をはめ込んだような、深い翡翠。
 白磁のように滑らかで、なのにしっかりしている。
 名前を呼ばれるたびに胸がときめいて、心臓が煩いくらいだった。
 髪も、目も、肌も。声でさえ、作り物めいた美しさと、生きていることがわか
 る暖かさを持ったヒト。
 自分とは違う、男の人。

 頬が熱くなる感覚に、キラはぶんぶんと頭を振った。
 神に仕える身だというのに、アスランを思うだけでどうしてこんなに―――。
 キラは頬を押さえ、視線を彷徨わせた。
 どうしたらいいのだろう。こんな感情は知らない。
 キラがここにいられるのはあと4日。それまでに、この感情を理解できるのだ
 ろうか。

「…アスラン」

 名前を囁くだけできゅ、と胸が締め付けられる。
 あの日、アスランが婚約者だと言う少女と並んだときにも言いようのない胸の
 痛みに襲われた。
 最初は病気かと思った。
 地上はあまり空気が綺麗ではないから、キラたちのように長く地上にいると肺
 が汚れて病気になる者もいる。
 けれどこの痛みは―――違う。

「…神様。僕はどうしてしまったのでしょう…。こんな、こんなの…」

 この感情を、知らないなんて。
 ―――嘘だ。
 本当は、知っている。
 ただ、認めてはいけないだけで。

「神様…僕は」

 人間に特別な感情を持ってはいけない。
 それがキラたちの掟だ。
 キラたち、神に仕える者―――天使の。
 人間に奇跡を起こして、幸せになってもらうために存在する。
 例えばそれはほんの些細なことから、その人間が望む純粋な想いを伝えたりす
 るキューピットや。
 アスランのように心を閉ざしかけている人間を救うことだったり、様々だ。

「あの人に笑っていて欲しいだけだったのに」

 彼のことを知ったのは、”彼女”が天界からよく見つめていたからだ。
 同じ色彩を持つかの人は、心配そうにしていた。
 キラはそれが気になって彼女から彼の話を聞いたのだ。
 天使は大抵天使になる前の記憶を持っていない。だが彼女は持っていた。

『心配なの。私の大事な―――』

 憂いを含んだ、愛しいものを見つめるその瞳に、キラは今年の行き先を決めた。
 彼女が気にしている彼に、自分が逢いに行こう。
 今にも壊れてしまいそうな彼を護って、誰か彼を支えてくれる人を見つけて。
 そんな奇跡を起こしてあげようと決めたのに。
 笑うようになった。支えてくれる相手も見つけた。
 なのにどうして、自分はこんなにも切ないのか。

「どうしよう……好き…」

 哀しそうに笑うと、抱きしめてあげたいと思う。
 目を細めてただ見つめられると、胸が騒ぐ。
 名前を呼ばれると、心が暖かくなる。
 触れる手が、熱いと嬉しい。

「どうしよう…」

 こんな感情、持ってはいけないのに。
 キラは窓の外に揺れる瞳を向けた。
 冷たい風が吹き荒れ、厚い灰色の雲が空を覆っている。
 雪はまだ、降らない。










 急いで帰る準備をしていると、後ろから声をかけられた。

「アースラン!」

「おわっ!?」

 いきなり背中を襲った衝撃に、アスランは手にしていた教科書を落とした。
 胡乱気に振り返ると、ラスティが悪い、と言いつつも軽薄に笑いながら教科書
 を拾う。
 溜息をついて受け取ると、彼のオレンジ色の髪が目に入った。

「んなに急いで帰らなくてもいいだろ?ちょっと帰りつき合えよー」

「…今日はダメだ。…待たせてるから」

「え、何?彼女か!?」

 ラスティの大声に、クラス中の視線が集まった。
 アスランは慌てて首を横に振る。

「違う!ハウスキーパーの人だ!」

「じゃぁ別にいいじゃん。勝手に帰るだろ」

「けど、彼女は…」

「とにかく、少しでいいんだって!な?頼む!」

 手を合わせて頭を下げる彼に、アスランは何も言えなくなる。
 自分の実家のことを知っても、全く意に返さなかった一人だ。
 失いたくない友人の珍しく食い下がる状況に、盛大な溜息を吐いて頷いた。
 正直、これ以上目立ちたくなかったし、早く教室を出たかった。









「アスラン、遅いなぁ…」

 夕食の準備はすでに出来ていた。
 ツリーも飾り終え、居間のテーブルに置いている。
 今日は早めに帰ってくると言っていたのに、いつもの夕食の時間と決めている
 19時を回っても帰ってくる気配はない。

「どうしたんだろう…」

 マンションの外で待っていようか。
 キラはそう思い立ってコートを手に取った。

「―――っ!」

 胸に何かが突き刺さるような、そんな痛み。
 頭の中で警鐘がなっている。
 ―――アスランに何かあった。
 キラはコートも何もかも忘れて、ベランダに駆け寄る。
 目を閉じて神経を尖らせると、頭に流れ込んでくる、木々や動物たちの声。

 ―――血の臭い。
 怪我。事故。
 巻き込まれた。

「アスラン!」

 ベランダから飛び降りるようにして、キラは身を乗り出した。
 純白の翼をはためかせたその姿は、幸いにも誰にも見られることはなかった。









 痛くて、熱い。
 頭が朦朧とする。

『アスラン、アスラン?』

 ああ―――彼女の声だ。
 心配そう?いや、泣きそうなのか。

 力を振り絞って目を開けると、涙をこぼす姿がぼんやりと見えた。
 目が、溶けるんじゃないだろうか。アメジストが潤んでそんな風に見える。

『アスラン、しっかりして―――!』

 これは、現実なのか、自分の妄想なのか。
 彼女の背中に真っ白い―――翼。
 大きなそれはアスランとキラを包むようにして舞っていた。
 優しい手がアスランの頬に添えられる。
 ふわりと。唇に触れて、何かが流れ込んでくるような感覚を最後に、意識は闇
 に墜ちた。









 真っ白い天井と、点滴。
 目が覚めて最初に見えたそれに、アスランは数度瞬きをした。

「びょう…いん…?」

「アスラン!目が覚めたの?」

 声がしたほうに視線を向けると、眉をハの字にしたキラがいた。
 心配そうに覗き込んでくる顔に笑って見せる。

「キラ…」

「よかった…。先生呼んでくる!」

 亜麻色の髪を揺らして駆けていったキラを見送って、冷静に今の状況を分析す
 る。
 思い出したのは街中の交差点。
 小さい女の子が、落としたぬいぐるみを拾おうとしたところに曲がってきた車。
 咄嗟に女の子を抱きかかえて避けたけれど、避けた先にあったガードレールに
 ぶつかったのだ。

「かっこ悪いな…」

 運動神経は悪くなかったはずだ。
 車にぶつかった衝撃はなかったから、きっと頭をぶつけて昏倒してしまったの
 だろう。
 だからあんな夢を―――。

「天使…だなんて、そんな」

 確かに、初めて逢ったときにもその印象を抱いたけれど。
 背中に真っ白な羽があって、唇に何か流れてきた。
 まるで彼女が助けてくれたような。

「目が覚めたのかい?」

 入ってきた医者に、アスランは咄嗟に思考を切った。
 看護士が体温計を差し出すのを受け取り、指示に従ったいくつか検査をする。

「うん。大丈夫そうだね」

「…ありがとうございます。あの、女の子は…?」

「ああ、無事だよ。擦り傷があったけど、軽かったしね。君のおかげだ」

「よかった…」

 検査を終えるのを見計らって、気になっていたことを問う。
 喰えなそうなイメージの医者だが、にこりと笑うと近くにあった椅子に腰を下
 ろした。

「それにしても…奇跡的だね」

「え?」

「君の怪我、結構派手にぶつけていたようだったし、車との接触はなかったと
 はいえ交差点だ。あのまま他の車に轢かれていてもおかしくなかったのに」

 まるで奇跡が起きたように、怪我も軽傷だし、車も来なかった。
 医者は更に笑みを深くする。

「君は何かに…護られているようだ」

 その言葉に、アスランはぽかんとして―――小さく微笑んだ。







「すぐ退院できてよかったね」

「ああ」

 二人で夕暮れの道を歩く。
 結局検査で1日入院することになり、キラに着替えを持ってきてもらった。
 次の日、ようやく病院を出た頃にはすっかり日が暮れて。
 辺りはすでに暗く、吐く息がはっきりとわかる。
 先を歩くキラの背中を眺めながら、アスランは父との会話を思い返していた。


 未成年だったため、当然実家に連絡を入れられてしまい、父親と電話で話す羽
 目になったのはつい数時間前。
 キラから迎えに行くから待っていて、との連絡を受け取っていたこともあり、
 待ち時間に電話を受けたのだ。

『まったく…お前は何をしているんだ』

「仕事で忙しいときにすみません。特に酷い怪我もないので、1日検査入院した
 だけです」

『そうか…なら、いい』

「父上…」

 父の静かな声にほんの少し、心配を聞き取って。
 アスランは戸惑いと―――歓喜を覚えた。

「奇跡のようだと、医者に言われました。あの交差点で二次災害を受けなかっ
 たことも…。まるで何かに護られているようだと」

『そうか。…レノアが、護ってくれたんだろう』

「…そうかも、しれませんね」

 父から、母の名前を聞くのは久しぶりだった。
 夫婦仲はよかったことを思い出して、何故か少しだけ切なくなる。
 父は母を失って、どんな思いをしたのだろうか。その上今度は息子まで失うと
 ころだった。
 本当は、電話をするのが不安だったかもしれない。病院から連絡を受けたとき
 も、衝撃を受けたかもしれない。
 自分は、何か思い違いをしているのだろうか。
 父のことも、どこか反発しすぎていて見失っているのかもしれない。
 母が昔言っていた。父は、本当は優しい人なのだと。

「きっと、母上が…」

 そういいながらも、アスランは脳裏に浮かぶあの純白の羽を想い、目を閉じた。
 助けてくれたのは、彼女だと、どこかで確信していた。

「そういえば父上。キラは…父上の知り合いの娘か何かですか?」

『…キラ?』

 せっかくの機会だからと、もう少し話をしたくてあの不思議な少女のことを持
 ち出した。
 だが、返ってきた訝しげな声に、眉を顰める。

「…父上が雇った…キラ・ヤマトというハウスキーパーの少女ですけど…」

『わしが雇ったハウスキーパーは”カリダ・ヤマト”という人だ。レノアの友
 人のよしみでしばらくお前の世話をしてくれと頼んである。…今回は断られた
 と聞いたが?』

「…え?」

『ファミリーネームは同じだが…ヤマト家には娘はいないはずだ』

 父の言葉に、アスランは固まった。
 ”カリダ・ヤマト”は数回ハウスキーパーを頼んだことのある人だ。
 今回彼女から連絡を受けた覚えも、断った覚えもない。
 なら―――”キラ・ヤマト”は誰だ?

「そうですか。なら…俺の勘違いです」

『…そうか?』

「ええ。すみません、変なこと言って」

 それから何を話したのか、覚えていない。
 ラクスの事だった様な気もするし、実家のことだったかもしれない。
 数言話して、切ってしまった。
 頭の中に疑問符が並ぶ。―――彼女は、何者だろうか。


 冷たい風に揺られる亜麻色の髪を見つめて、アスランは小さく溜息を吐いた。
 考えても、わからない。
 いや、わかったら―――それが、終わりの合図なのだろう。
 ならまだわからないままでいたい。
 せめて。せめて彼女が見たがっている雪の世界が訪れるまで。









 クリスマスが訪れる。
 今日はその前夜―――イヴだ。
 朝からキラは機嫌よさそうに鼻歌を歌いながらキッチンに立っている。

「…キラ?出掛けたりしなくていいのか?」

 せっかくイルミネーションと特別なディナーを用意してやろうと思っていたの
 に、キラはそれを断って家で過ごすことを主張した。
 アスランの頭には未だ包帯が巻かれているし、出掛けないほうがいいと心配そ
 うに言われると、それを拒絶することも出来ず。

「アスランこそ、今日はラクスさんや…お父様と過ごさなくていいの?僕は別
 に平気だよ?」

「俺は今日は家でゆっくり過ごしたいから。キラも…つきあってくれるか?」

 真っ直ぐに見つめてくるアメジストに、アスランは柔らかく微笑んでみせる。
 手に持っているのはミンチと炒めた玉葱が入ったボウル。流しにあるザルには
 さっと湯に通したキャベツ。
 何を作ろうとしているのか、明白だ。
 キラは手を止めてアスランの傍に来るとふわりと笑った。

「僕はアスランの好きなようにしてくれればそれでいいよ。…夕食は、君の好
 きなものを作るよ」

「ああ。楽しみにしてる」

 微笑みあって穏やかに過ぎる時間が愛おしかった。
 それはもうすぐ終わってしまうとわかっているから、なおさらに。
 キラがここにいられる期限は、もうあと一日しかない。
 アスランは何も言わないことを決めていた。そうすれば、彼女がここにいてく
 れると知っているから。
 楽しそうに手を動かしていく後姿を眺めながら、アスランは拳を握った。
 迫る別れが、もっと長引けばいいと願いながら。









 夕食は和やかに過ぎた。
 アスランの好物であるロールキャベツをメインに、クリスマスにふさわしい料
 理の数々をキラは短時間で作り上げていた。
 どれも肥えているはずのアスランの舌を満足させ、彼に合わせた甘さを控えた
 ケーキでお茶をする。
 会話は少なかった。
 ときたま合う視線がその時々の感情を伝えていたから。
 視線が合うたびに微笑みあう。ささやかな前夜祭。
 時間は緩やかに。けれど確実に過ぎていった。





 夜も深まってきた頃。
 風呂の準備をしていたアスランがふと目を向けた先に亜麻色が見えた。

「…キラ?どうした」

 ベランダで月を見上げて祈るように目を伏せているキラを訝しんで、そっと声
 をかける。
 キラは振り返ると淡く微笑んだ。

「…雪が降りますようにってお願いしたの」

「雪?」

「うん。結局降らなかったから」

 天界と似た真っ白な世界がキラは好きだった。
 雪化粧をされた木々やものが朝の冷たい空気にキラキラと反射している様も、
 綺麗で。
 キラがそう告げると、アスランも翡翠を細めて笑った。

「ああ…確かに綺麗だな」

「でしょう?」

 アメジストが部屋から漏れた光に輝き、不思議な色合いを出す。
 アスランはその瞳を見て、雪景色よりキラの方が綺麗だと思った。

「明日の朝、もしかしたら積もっているかもしれないよ」

 アスランが空を見上げて言うと、キラは困ったように笑った。

「明日かぁ…」

 その呟きに引っかかってキラを見る。
 どこか諦めたその瞳に、アスランははっとした。
 キラがここにいる期限は聖夜までだ。朝にはもういない。
 アスランはキラの細い腕を掴んで視線を合わせた。

「…もう1日、いやずっとここにいればいい」

「アスラン…」

「帰らなきゃいいだろ?」

 真剣な声に、アメジストが見張られる。
 しかしすぐに細めてられ、やんわりと掴まれていた腕を取り戻した。

「アスラン…ダメだよ」

「キラ」

「今日…聖夜までっていう約束だもん。だから…」

 キラの言葉はそこで途切れた。
 強く腕を引かれ、アスランの腕の中に捕らわれる。
 きつく抱きしめられ、キラは困惑に身体を硬くした。

「嫌だ」

「アスラ…」

「キラがいなくなるなんて、嫌だ」

 言葉と共に、唇に熱い感触が降ってきた。
 この冷え切った夜にその熱はキラの身体を震わせる。
 隙間なく合わさった場所から体温が伝わって、溶けてしまいそうだと思った。
 長かったのか、一瞬だったのかわからない。
 唇が離れたとき、キラはアスランに体重を預けていた。

「キラ…」

「アスラン、僕は―――」

「好きだ。…俺は、キラが好きだよ」

 夜目にもわかるほど、キラの頬は赤い。
 突然のことに戸惑いを隠せないようだ。
 けれどそれに構わず、アスランは続けた。

「キラが何者でもいい。ずっと、傍にいて欲しい…」

「アス、」

 きつくきつく、背中にまわった腕は痛いほどにキラを締めつける。
 でもそれより、触れた場所から伝わる熱や、耳元で囁くような声にキラは心臓
 を掴まれたような気分になった。
 呼吸が出来なくなりそうだ。
 自分を抱きしめるこの人の全てが、キラを溶かしてしまう。
 ああ、自分は神様に仕える身で、この人を幸せにするためにここに来たのに。
 この腕は、この人を抱きしめ返すわけにはいかない。
 
「僕…は」

 言ってしまえたら、どんなに楽だろう。
「好き」だと。「愛している」と。
 この感情から、目を逸らすなんて、もう出来ないのに。

「アスラン―――」

 無常にも、もうすぐ日付が変わる。
 後数分で、前夜は終わる。
 聖夜になったら、ここを去らなければならないのに。
 この腕の中から、逃れたくはないのに。

「キラ…」

「アスラン…」

 顔が見たくて、少しだけ強く胸を押した。
 どこか泣きそうな顔のアスランに、キラは精一杯笑って見せる。
 最後に貴方が見る顔は、泣き顔ではなく笑顔がいい。
 それはキラの意地だった。

「僕は君が好き。でも…これでおしまい」

「キラ!」

 ふわりと現れた純白に、翡翠は瞠られる。
 キラは微笑んでアスランの頬を撫でた。

「本当は…君の記憶は消していかなきゃいけない。僕も君の記憶を消される」

「っ…そんな」

「でも…でもね?」

 間近にある翡翠からこぼれたそれを唇ですくう。
 そのまま頬に、額に、瞼に、そして唇に、それを重ねた。
 自分の目も潤んでいる自覚はある。実際に彼の瞳に映るキラは涙が頬を伝って
 いた。
 それでも、キラは微笑む。
 聖母のような笑みに、アスランも微笑んでその白い象牙のような頬に同じよう
 に唇を寄せた。

「僕は忘れない。だから…君も」

 どうか、忘れないで。
 生まれた気持ちを、消さないでいて。
 ほんの片隅でいいから、覚えていて。
 そうしたら、きっと―――。

「今日は聖夜。…願えば、神様がきっと」

 愛する気持ちは、どんな奇跡でも起こせるって、知ってた―――?
 キラの羽がアスランをそっと慰めるように擽っていく。
 アスランはもう一度きつく、細い身体を抱きしめた。

「願うよ。全てに…キラを」

「うん…」

 アメジストの瞳からこぼれた一滴が、アスランの手に落ちて。
 柔らかな羽と、唇のぬくもりを最後に。
 腕の中の存在は、光の粒子になって―――消えた。

 部屋にある電子時計が、日付が変わったことを知らせていた。







「あれ…俺、何でベランダに…?」

 急に感じた真冬の寒さと、頬を伝う熱いものに驚いて、アスランは目を瞬かせ
 た。
 頬を拭って暖かい室内に入る。
 窓から外を見ると、ひらひらと舞い出した白い―――雪。

「寒くて当たり前か………?」

 ころり、と手に固い感触を覚え、開いた先にあったのは透度の高い紫水晶――
 ―。
 雫の形をしたそれは、まるで涙のよう。

「え、なんで…」

 それを視界に入れた途端に再び溢れ出した涙に、混乱する。
 何か大切なものを失って、手に入れた気がした。

 25日、聖夜。
 ひそやかな祈りは、天に届いたのだろうか。
 ベランダには真っ白い羽根があった。



 その夜降り出した雪は夜半、威力を増し―――明け方には銀世界を作り出して
 いた。

























       えっと…後編です。こんな終わり方で不満の方もいます、よね(笑)
       大丈夫です、ちゃんとハッピーエンドですから
       書くのはこれからですが、ちゃんとエピローグがあります。この後編のわかりやすい
       ところにリンクしますので、気が向いたら探してみてください。(すみません、一度
       やってみたかっただけです)

            08/01/04 哀しくないよ。―――また、きっと。