交わした約束も、優しいぬくもりもすべて、あの日に失ってしまった。
 世界を憎む、子供のような人だった。

『刹那』

 一瞬に満たない、そんな名前をいとおしむように呼んでくれた人。
 深く深く、見えない場所に残った傷が一生痛んでも構わない。

 あの男以外に、愛せる人がいないのだから―――。









          Versprechen










 室内とはいえ、ここは冷える所だというのに。

「ふぅ…」

 二月の寒さは尋常じゃない。
 経済特区日本も例にもれず雪でも降りそうな空だった。
 南側の国に生まれ、寒さが大の苦手である刹那にとって、冬は辛い季節である。
 しかし今はそんなことを言っていられない。先程から動きまわっているせいか、
 寒さは感じなかった。

「すみませーん!」
「はい!」

 今日は特に忙しく、先ほどからひっきりなしにかかる声に汗をぬぐう暇もない
 状況だ。
 やはり誰か雇うべきだったか―――。しかしこんな小さな店、普段は一人で何
 とかなる。
 わざわざ人を雇い入れる必要はない。
 それに忙しいのはこういう日だけだ。普段はそれほど忙しくもないし、どちら
 かといえば暇だ。
 刹那は少しくすんだ青のエプロンで手を拭きながら、声のした方へ向かった。

「あの、このバラを中心にして花束をお願いできますか?」
「はい、かしこまりました」
「あ、ついでにカードとか…ありませんか?」
「店の名前が入ったのでいいなら…」
「かまいません、一枚お願いします」

 スーツ姿の男性は30代に入ったばかり、というくらいの歳だろうか。
 まだ昼間ではあるが、片手に小さな紙袋を下げている。
 ペンと小さなカードを差し出すと、少し迷ったのちに何かを書きはじめた。
 その様子を横目に見ながら、男性が選んだ大輪の赤いバラでブーケを作ってい
 く。もう手慣れたものだ。
 店を始めたばかりの頃はしょっちゅうもたついていたけれど、今ではすっかり
 納得のいく作品が出来るようになった。

「…こんなものか」

 薔薇を引きたてるように、少しの緑と黄色、そして白いかすみ草のスタンダー
 ドな組み合わせ。
 今日という日に合わせて、リボンも赤だ。

「これでどうですか?」
「あ、十分です!ありがとうございます」

 ふわりと笑顔になった男性に花束を渡して代金を受け取る。

「よし、これで準備は出来た」

 妻に渡すんですよ、と照れくさそうに呟いた男性は、そそくさと店を後にした。
 今日来店する客のほとんどがこの男性のようなものばかり。
 刹那は小さく息をつくと、手際よくテーブルを片づけた。

「すみません」
「はい」

 店先にまた何人か立っている。
 今日は一日中こんな感じだろうな、と苦笑交じりに声の方へと顔を向けた。




 ソレスタルビーイングによる武力介入が終わったのは、今から二年ほど前だ。
 アロウズ――イノベーターによる世界の統一を辛くも阻止。上層部の情報操作
 をなくし、世論を復活させた。
 そしてガンダムで紛争に介入し、アロウズの腐った部分を撤去、カタロンの協
 力を駆使してなんとか勝ちとった平和。
 ―――彼が望んだ平和な世界。志半ばで、目の前で散った彼の。


 闘うことしか、壊すことしか知らなかった刹那に、感情を与え、慈しむような
 愛情で包んでくれた人。
 抱きしめる腕のあたたかさだとか、優しい視線だとか、頬や額に触れる柔らか
 な安心だとか。
 反面ひどく不安定で、縋るように抱きついてくる日もあった。
 大きな子供のような人だった。
 それでも、「愛しい」という感情を、初めてくれた人だった。

 ソレスタルビーイングは今はもう大元であるイオリア・シュヘンベルグの残し
 た頭脳だけしか残っていない。
 今後それはティエリアが管理することになり、プトレマイオスで戦ったメンバ
 ーはそれぞれ分かれた。たくさんの仲間が死に、生き残ったとしても深い悔恨
 が残った。―――そんな戦いだった。
 それでも刹那は自分の足で立っている。
 今でも年に数回連絡を取ることはある。しかし会ってはいない。
 故郷のないメンバーもいるのだから、ソレスタルビーイング自体がなくなった
 わけではない。
 当初は刹那も残るつもりだった。闘うことしか知らない自分は、このまま平和
 のために何かしなければと。そう思っていた。
 それを否定したのはフェルトとティエリアだった。
 二人は刹那が残ることに反対し、半ば無理やり世界に出したのだ。

『君はここにいてはいけない』
『そうだよ、刹那…』

 何もない、そう告げた刹那に二人は笑った。
 何もないわけがないと。きっと見つかるから、と。
 途方にくれるまま、足が向かったのは「彼」の故郷だった。


『俺の故郷はさ―――』


 いつか微笑みながら話してくれた情景を見たくて、彼のいう祝福の季節に訪れ
 た。奇しくもそれは刹那の誕生日だった。
 何かに導かれるように足が向かった先、一面の緑を見つけたのは。

『いつか一緒に行こう。祝福の季節に、二人で』

「ロックオン…」

 深く、壮大な生命を感じる。
 ほのかにあたたかく舞う風が、刹那のセピア色の髪を揺らした。
 少しだけ伸びた髪が、空に靡く。

 ―――いるのか、ここに。

 頬を、髪を撫でる風に彼を感じて。足元で揺れる命に涙した。
 これが彼の欲しかった世界。
 これが共に見ようと望んだ世界―――。
 叶わなかった約束と、確かに叶った約束に、刹那は泣いた。
 そして一時期身を寄せていた経済特区日本に流れ着き、平和な忙しない世界で
 生きてみるのも一興かと思ったのだ。

 店を始めたのは、ほんの些細なことだった。
 もともとこの店は老夫婦が雑貨屋を経営していたのだが、ちょっとした縁で知
 り合い、土地を離れることになった夫婦が刹那に託したのがきっかけで。
 日当たりも良く、人通りも多いのなら別に雑貨屋である必要はない。
 近くにない店は何かと考え、この通りに花屋がないことに気づいた。だから花
 屋にした、それだけだ。
 まさか自分が花屋を経営することになろうとは、思ってもみなかったが。
 しかしもともと自然に憧れていたし、彼を想う縁にもなったのだから自分では
 よかったと思っている。
 毎日をさまざまな植物に囲まれている今が、穏やかで不思議だった。






 日本は祭り好きな人種の集まりだと思う。
 四季があり、それぞれに行事がある。宗教も何も関係なく騒ぐのにも随分慣れ
 た。
 今日は二月の半ば。日本では基本的に女性が男性へチョコレートをプレゼント
 するらしい。
 本来は聖ヴァレンティヌス――立派な宗教行事だが。
 そう言えば昔のこの時期、彼に花をもらったことがあった。
 神はいないという自分に、笑いながら小さなブーケをくれたのだ。
 一緒に受け取ったカードには、ただ一言―――。


 そこまで思い返して苦笑する。いったい自分はいつまで彼を想いつづけるのだ
 ろうか。
 あの男以上に愛せる人が、今後現れるかはわからない。
 何かにつけて思い出すのは彼のことばかりなのだ。何をしていても、些細なこ
 とで脳裏に浮かぶ。
 嘆息しつつ、伸びた髪を簡単に束ねなおし、店内の花のチェックを始めた。
 今日は閉店時間を延ばしたほうがいいだろうか。
 たまに夜に駆け込みで花を求めにくる客がいるのだ。
 誰かの誕生日であったり、記念日であったり、仲直りのプレゼントであったり
 ―――様々な理由で。
 花の性質上、夜は花弁を閉ざしてしまうものも多く、生花は傷みやすい。だか
 ら本当はさっさと店じまいしてしまいたいのだが、必死になってやってくる客
 を返すのも忍びない。
 自分も変わったものだと、ひとりごちてとりあえず一時避難に花たちを温度調
 節のされたケースに戻した。
 ガラスケースの中、可憐に咲き誇る様々な色彩。
 あの日見た緑の大地に勝るものはないけれど、これはこれで美しく、誰かを笑
 顔にさせるのだと思うと胸が暖かくなるのを感じた。

 今日は愛する人に感謝を伝える日。
 家族を、仲間を大切にしていた彼がここにいたら、何をしただろう?
 優しかった彼なら、きっと今年も皆に平等に何か渡したかもしれない。
 約束を覚えているなら、刹那には―――。



 それからやはり駆け込みで数人の客が来て、その対応に追われた。
 夜の9時になると、さすがに人通りも減り、どこの店もしまってきている。
 そろそろここも店じまいをするか、と刹那はカウンターから出た。
 今日はクリスマスと同じくらい、売り上げがすごかった、などとのんびり考え
 ながら片付ける。
 明日も朝から花の仕入れに奔走しなければならないし、時期的に花も少なく、
 手荒れが酷いから早く春が来ればいいのに。
 三月には、一度彼の故郷に行かなければ。きっと四月との境には素晴らしい景
 色が見られる。
 今日一番売れ行きのよかった赤いバラの入っていたバケツを抱え、刹那は小さ
 く微笑んだ。
 ―――昔、彼にもらったのも、赤いバラだった。

 いい歳の男が、照れたようにまだ存分に幼さを残す少女に差し出したのだ。
 困惑した。けれどとても嬉しかった。
 花なんて、生まれて初めてもらったから。

「すみません」

 思い出しながら作業をしていたせいか、人の気配に気づかなかったらしい。
 数年前なら考えられないことに、刹那ははっとして顔を上げた。
 もうシャッターを半分ほど閉めてしまっているせいで、足元しか見えない。

「すみません、まだいいですか?」

 黒のスラックスと少しごつめの、だが品のいい革靴。
 耳触りのいい声に、閉めかけのシャッターを操作して開けた。

「もうあまり品は―――」
「あ、大丈夫。買いに来たわけじゃないから」

 カウンターの中から客を見ずにそう声をあげると、男性は小さく笑う。
 訝しんで顔を上げようとすると、バサリという大きな音と共に腕の中に大量の
 紅が降ってきた。
 血のような――ルビーのような紅。
 そんな色をした大輪の薔薇を抱えるのがやっとの量で落とされたのだ。
 思わず目を瞬かせると、次いで声が降ってきた。

「刹那」

 今はもう、使っていないその名前。
 愛着はあるが、それを知るのはほんの一部のはず。

「…刹那、覚えてるか?」

 知る人の限られた名前を、そうやって愛しそうに呼ぶ人なんて。

「約束、果たしに来たんだ」

 優しい、甘い声。
 そっと伸ばされた手が視界の端に映る。
 革の手袋に包まれた大きな手が、ゆっくり頭に乗せられた。
 ―――よく似た人がいるのを知っている。
 けれど。でもこの人を間違えたことなどない。だが彼はあの日、目の前で散っ
 たのだ。

「遅くなってごめんな。でも―――」

 恐る恐る視線をあげていく。
 紅から白いシャツへ。黒いコートと、中に着ているジャケットへ。ブラウンの
 柔らかい髪へ。そして―――。

「刹那、ただいま」

 鮮やかなターコイズグリーンが。
 あの日失ったと思った色彩のすべてが。
 今、目の前にある。

「ロ…ク、オ…」

 起きたまま、夢でも見ている気分だ。
 確かに目の前にいるのは生きた人間なのに、その実感がないなんて。
 震える声で呟くと、それなりに年を重ねたらしい容貌がふ、と泣きそうに歪ん
 だ。

「―――刹那」

 何度夢に見ただろう。
 あの手をとれなかった日のことを。
 もう6年だ。その年月で、何度見ただろう。
 繰り返す哀しみの記憶は、今も刹那を深く蝕むのに。

「ロックオン…ストラトス」
「ああ。…今はもう、そのコードネームはライルのもんだろ」
「…ニール・ディランディ」
「そうだよ、刹那…いや、もうソランでいいのか?」

 右目の瞼にうっすらと残る傷が、目を細めたことで見えた。
 瞳の色も、微妙に違う。
 でも眼差しは間違いなく彼で。

「ロックオン…っ!」

 こんな、どこかの陳腐な小説みたいな話があってたまるか―――。
 そう思えど、こみ上げる涙を抑える術など浮かばなかった。
 抱えていた薔薇をカウンターに投げ置き、精一杯腕を伸ばす。
 あと一歩で、手が届く。今度こそ、この手が。
 あの日届かなかったこの手が、届く。

「刹那」

 触れた先から、痺れてしまいそうな歓喜が走った。
 わき目も振らずに広い胸へ飛び込む。首にかじりつくように腕を回すと、背を
 がっしりと抱きこまれた。
 ―――あたたかい。
 頬を首筋にすりつけるようにすると、彼がくすぐったいのか笑う。吐息が耳元
 にかかり、甘く熱をもった。

「刹那――刹那、せつな…」
「ロックオン…ニール」

 きつくきつく抱きしめてくる腕に身体が震えそうになる。
 何度も呼ばれる名前に、心が締め付けられた。

 ―――逢いたかった。
 戦いを終えたらすぐにでも逢いに行きたかった。
 本当は世界なんて、もうどうでもよかった。ロックオンがいなくなったその日
 から、すべてが消えていたのに。
 生き急ぐのも、戦いの中で死ぬのも怖くなかった。
 ただ怖かったのは、神さまのいない世界で、彼のいない世界で一人生きること。

「ニール…ニール、ニール…」

 馬鹿みたいに、それだけしか出てこなかった。
 もっと他に言葉にすることがあるはずなのに、怖くて、今自分を抱きしめるこ
 のぬくもりが怖くて。
 消えないようにと、必死にすがるようにまわした腕に力を込めた。

「忘れられていてもよかった…。幸せにしているなら、それでよかったのに」
「ニー…」
「どうしても、俺は…お前に逢いたかったんだ…。刹那…」

 耳を啄ばむようにしながら紡がれる言葉に赤銅色の目を瞠る。
 抱きしめる腕の強さが思わず緩み、見上げた先。何より綺麗だと思う翠から流
 れる雫が刹那の頬を伝った。
 歪んだ視界に、自分も泣いているのだと悟る。
 まわしていた腕を解くと、彼の頬を包むように手を開いた。
 白磁の頬はあの頃と変わらず滑らかで、整った顔は深みを増してギリシャ彫刻
 のようだ。

「ロックオン…。あの日、俺の世界は一度止まったんだ」

 伸ばした手が、届かなかった。
 たとえどんな因果があろうと、誰より大切だと。誰より愛しいと想った人の喪
 失。目の前で起こった惨劇に、刹那の心は止まった。

「あんたが死んだと思ったあの日、俺はっ…どうして俺を置いていったのかっ
 て…!」
「っせつ…」
「もう一度動き出して、ライルを迎えに行った日も、どうして同じ顔で、同じ
 声なのにあんたじゃないんだって…」

 哀しかった。切なかった。寂しかった。
 ―――怖かった。

「あんたがいないこの世界に、意味なんかないのに…!」

 他の何を失ってもよかった。ただ、彼だけは失えなかった。
 世界も仲間も大切だったはずなのに、いつでも刹那の時に思うのは「彼」だけ
 だった。

「刹那っ」
「逢いたかった…!ロックオン!」

 ただ一人。
 最初で最後だと決めた恋をした。
 仮初めの平和もほど遠い中、たった一人を愛した。
 壊すことしか知らなかった手に、花を贈ってくれた人。
 咬みつくような、急性な口付けが降ってくる。
 長く忘れていたその熱に、身体中が反応する。

「刹那」

 口付けの合間に今はもう使っていないその名前を囁かれた。
 だから負けじとふざけたコードネームだと思った名を繰り返す。
 二人とも頬は濡れていて、暖房も切った店内は寒くてしょうがなかったけど。
 触れあった場所だけが異様に熱くて、その熱になおさら涙が止まらなかった。
 噎せかえるような、濃厚な薔薇の香りが二人を包んでいた。








『なんだこれは』
『ん?…俺から刹那に』
『…花?』

 生花を見るのは初めてではない。
 けれどこんな風に、綺麗に包まれたものをもらうのは初めてだった。
 なぜこんなものを自分に渡すのだろうか。わからなくて、くれた男を見上げる
 と、彼は白い頬を少しだけ赤く染めていて。
 初めて見る表情に、思わず目を瞠る。

『地上じゃ今日はバレンタインデーなんだよ』
『…俺に?』
『そ。…大切な人に花とカードを渡す日』
『…そう、なのか』

 素直に嬉しいとは言えなくて、俯いて花に視線を移した。
 どうせもらったのは自分だけじゃないんだろうな、と優しい彼の気性を思う。
 きっとバレンタインデーにかこつけて、スメラギあたりがパーティーをするの
 だろう。

『刹那』

 名を呼ばれて、そろりと顔をあげる。
 はにかむように微笑んだロックオンが、刹那の髪を大きな手で梳いた。

『これ、ミス・スメラギとかに見つかんないようにしとけよ』
『…?』
『これは刹那だけ。…特別仕様だからな』

 そう言われて、手の中の小さなブーケを見る。
 紅い薔薇を中心に、淡い色が飾る可愛らしいそれ。
 普段は性別なんて気にしていないのに、こういったときだけ、ロックオンは刹
 那を女の子扱いする。
 ほんの少し、嬉しいと思ってしまうのは、自分にとって彼が―――。

『なぁ、刹那』
『なんだ』
『カードは後で見てくれな。んで、来年は地上で一緒に過ごそうぜ』

 来年の約束なんて、とは思うものの彼が刹那のためにイベントごとを大事にし
 てくれていることを知っているから、簡単に断れない。

『毎年この日には薔薇を贈るよ。刹那が抱えきれないくらいに、幸せが降るよ
 うに』

 そのころには世界も変わってて、俺たちも普通に過ごしているかもしれないし。
 羽のような口付けと共に、約束をした。
 世界がどうなるかなんて―――彼が、自分がどうなるかなんてわからなかった
 けど。
 幸せを贈る、というその言葉にもう十分だと思ったのを覚えている。
 誓いのように落とされた口付けは、渡したチョコレート菓子と相まってとろけ
 そうなほど甘かった。








 店の二階を自宅に使っているそこに二人で向かい、ドアをくぐってすぐ。
 再び抱きしめられた腕の中で、刹那は長い年月に何があったのかを聞いた。
 話の合間に落とされる唇や、身体のあちこちを撫でる手を好きにさせ、ただ寄
 り添う。

「ティエリアに殴られて、フェルトに泣かれたよ。で、すぐここに向かうよう
 に言われたんだ」
「ティエリアとフェルトが…」

 定住することを決めた時、居場所だけは教えていたが、彼らがここに来たこと
 はない。
 大量の薔薇の出所はティエリアの手配だと翠が苦笑した。

「ちょうどバレンタインだろ?手ぶらで行く気か!って」

 あいつはだいぶ変わったな、とくすくす笑う彼は何も変わっていない。
 刹那が感じる全て、あの頃のままだ。
 愛しさに背を押されるように腕を伸ばす。気づいた彼が優しく見下ろしてくる
 のを感じた。

「俺も、話したいことがたくさんあって…。でも、今は無理だ」
「ああ…」

 相変わらず身につけている手袋をはずすと、爪の先まで整った手が刹那の指と
 絡む。今も変わらずこの手は美しい。
 衝動に駆られて伸びあがると、意図を汲んだ彼に引き寄せられ、そのまま唇が
 重なった。

「やっと約束が果たせる…」

 泣きぬれた翠が、やわらかく細められる。
 ロックオン――ニールの首に空いている手を回してしがみついた。
 約束をした。いくつも、いくつも。
 それが叶えられるのだと、信じていた。世界が変わったら――次の年が来たら。
 絡めた指の一つに、唇が押し付けられた。
 水仕事で傷んだ手は、ガサガサでちっともきれいじゃないのに。

「6年前のバレンタインに贈っただろ?」
「…カードには一言だけだった」
「ああ。でも今年も、贈るなら同じ言葉かな」

 あのカードは、6年前の戦いのときに紛失してしまった。
 でも、今年も同じ言葉なら無くしてしまった寂しさは薄れていくかもしれない。

『I give you who live in a momrnt eternal happiness.』

 ―――幸せを贈る、とそう言ってくれた。

「ああ…なら、俺もあんたに渡さないと」
「6年分?…食えるかな…」

 くすくすと笑いあって、絡ませた指の力を強くした。
 自然と瞼が降りてすぐ、長い口付けを交わす。

「―――愛してるよ」

 あの頃、「好き」だとは言えても、「愛してる」とは言えなかった。
 だからいつかの約束をたくさん交わした。共に居れば、いつかきっと言えると
 思ったから。

「おかえり…ロックオン。…愛してる」

 あなたとの約束のためだけに、この醜い世界で待っていた。
 繋いだ手は、もう二度と離れたくないという思いのようにしっかりと絡んだま
 ま。互いを見つめる視線は熱を孕んで。
 再び唇が重なるのに、時間はかからなかった。




 外は雲のかかった空から、この地域では珍しい白が、真っ暗な空から降ってき
 ている。
 それはまるで祝福の羽が降るかのようだった。




『刹那を生きる君に永久の幸せを』

 永遠の約束が、今、叶う。
 









         fin.

















       ブログに一旦あげていたバレンタイン話です。設定は二期終了から二年後。
       ニールが帰ってくる話が書きたいな、と思ってこういった形になりました。
       バレンタインフリーとあわせて読んでいただきたいです。