あの夜、手の中にあった紫水晶は今もしまってある。
 いつの間に買ったのか、小さなツリーが部屋にはあった。そのてっぺんに飾る星
 にはめて眺めるのがクリスマスの習慣になっている。
 手にした時のことはいまだによく覚えていない。
 けれどどこか―――暖かくて切ない感情が心の底に眠っているような、そんな感
 じがする。


「今日は雪が降るんだったな…」

 冷たい12月の風に、アスランは大学の教材が入った鞄を脇に寄せ、コートの襟を
 たてた。
 季節は何度か巡り、またクリスマスがやってくる。
 この時季になると心が騒ぐのを不思議に思いながら、レンガ作りの道を足早に進
 んだ。
 空はぶ厚い雲に覆われており、数日前からホワイトクリスマスになるだろうと予
 報されている。
 ―――誰かが、とても雪を心待ちにしていた。
 一緒に見ようと約束をした場面が脳裏にちらつく。
 それは少女だったけれど、自分に女の子の知り合いなんて今は婚約を解消したラ
 クスくらいだ。
 出来ることなら、記憶の奥深くにいるその人を思い出したい。

「…神様、もしいるのなら」

 記憶の中で生きる彼の人にもう一度。

 柄にもなく、天を仰いで目を閉じた。









        Miraculous snow (epilogue)










 真っ白の世界で、キラはふと下を見た。
 誰かの祈りが聞こえてきたから。

「…?僕を呼んでる…」

 気になって覗きこもうとすると、背後から肩を掴まれた。

「キラちゃん?」

 振り向いた先にいたのは、懐かしい―――。

「アスラン…」
「え?」

 目の前の人の訝しげな声に、キラははっとした。
 宵闇色の髪に、翡翠の美しい瞳。
 ああ、あの人と、同じ―――。

「キラちゃん…?」
「レノアさん…」

 心配そうにキラの手を取るその人は、彼と良く似ている。
 そうだ、だってあの人に逢いに行ったきっかけは。

「レノアさん…!」

 キラは堰を切ったように泣き出した。
 頭の中に、地上に降りたあのときの記憶がよみがえる。
 愛して、別れたあの人。
 抱きしめてくれたあの腕をことを、どうして忘れていられたのだろう。

「レノアさん…僕、僕は―――」
「キラちゃん」

 優しい目と、こちらを安心させるような話し方。
 そっくりだ。だって彼女は、人間だったとき―――彼の母親だった。
 レノアは愛しげにキラの頬を両手で包む。

「神様が呼んでいるわ…。いってらっしゃい」

 彼女は人間のときの記憶を持ったまま天使になった。
 残してきた夫と息子が心配で、見守らせて欲しいのだと、神様にお願いしたのだ
 と聞いている。
 その様子に興味を持ったキラはレノアにせがんで話をしてもらったのだ。
 そして、知った。彼のことを。

『アスランはね…本当の気持ちを言わない子だから…』

 溜め込んじゃうから、そして諦めちゃうから。
 だからどうにかして、伝えたい。
「大丈夫だよ」、「一人じゃないよ」と教えてあげたい。
 そういう彼女の優しい目に、キラは彼を見るようになった。
 そして決めた。その年の仕事は、彼の元で彼の胸の濁りを取ってあげることにし
 ようと。

 涙を溢れさせるキラを抱きしめて、レノアは笑った。
 それは見惚れるほど、きれいな笑み。

「私の大事なあの子を、好きになってくれてありがとう。思い出してくれて、嬉
 しいわ」
「僕、やっと」
「ええ。神様の所へ行きなさい。今日は前夜…奇跡が起きても、おかしくない日
 なのよ」

 キラは天界へ帰ったあと、記憶を消された。
 けれど、どこかで探していたから。
 神様にも消せなかったそれは、何よりも尊いモノだった。

「想いは記憶と違って消せないのよ」










 一面の、銀色の世界にいた。
 胸が締め付けられるようなその光景に、アスランは寒さも忘れる。

「…積もったな」

 今日は前夜だ。この日が来ると何故か無性に雪が積もらないかと期待する自分が
 いた。
 理由はよく分からない。
 けれど何か約束をしたのだ。

『雪が降りますようにって―――』

「君は、誰なんだ…?」

『僕は君が好き』

「俺も、君が好きだった」

『今日は聖夜。…願えば、神様がきっと』

「祈れば、君は戻ってくるのか?」

 ならば祈ろう。
 夜に起こるかもしれない奇跡を待とう。
 ベランダで、あの宝石を持って、神様にお願いしよう。

 君と、もう一度―――。

「…キラ」

 口からするりとこぼれた名前に、泣きたくなった。
 本当は今日は実家で過ごすはずだった。
 けれどどうしても、あの部屋に居なくてはならない気がして、申し訳ないと思い
 ながらも父には断りの連絡を入れた。
 父との関係は一昨年の冬から改善し、今はたまに実家にも帰るようになっている。
 それが出来るようになったのは、彼女がいてくれたからだ。
 あの日見た羽のことは、今でも鮮明に覚えている。
 別れのときに彼女の背中に生えていた純白の翼。
 覚えている。そう、全て思い出した。

「キラ」

 3週間ほど、家に居た優しい少女。
 まさか天使だとは思わなかったけれど、驚かなかった。
 真っ白の羽は彼女に良く似合っていたから。

「神様、どうか―――」

 奇跡が起こるのなら。
 自分の全てをかけて、祈りを捧げる。
 アスランは銀世界の中、一人天を見上げた。
 祈りの形に組まれた手の中には、アメジストの宝石が静かに輝いていた。









 静まり返った―――深夜。
 昼間の街を流れる賛美歌も、華やかなイルミネーションもすでにない。
 闇に包まれて、けれど昼間のぶ厚い雲は晴れて月が覗いていた。
 月明かりが眩しくて、星はあまり見えない。
 身を切るようなそんな寒さの中、アスランはベランダに立つ。

「神様…」

 欲しいものがある。
 財産より、宝石より、この世のどんな欲望より、欲しいもの。
 自分にとっての奇跡のような存在。

「どうか、キラを…」

 目を閉じればその姿は鮮明に思い出せる。
 長い亜麻色の髪も、アメジストの輝く瞳も。
 優しい声も、象牙のような肌も、ぬくもりも。
 真っ白の、神の子供。
 彼女がいれば、どんな試練も悲しみも乗り越えられる気がする。
 これほどまで、誰かを愛しいと思ったのは初めてだった。
 今も、まだ変わらず愛していると言える。

「愛してる、キラ」

 天に向かって囁けば。
 込み上げる、愛しさと―――切なさ。
 ただ、祈る。
 頬に感じた冷たさに、ゆっくりと目を開いた。

「え…」

 晴れているのに、はらはらと舞い降りてくるのは、白い結晶。
 はっきりとわかるそれに、翡翠の目を瞠る。
 美しく、幻想的な光景が広がっていた。
 どこから降っているのだろうか。雲など見当たらないのに。




「アスラン」




 月の光を浴びて、銀色に染まる雪とは別の、混じり気のない白。
 ふわりと暖かいぬくもりが、冷えたアスランの身体を包んだ。
 目の前に広がるのは、月明かりに輝く、闇ではなくて。
 間逆の色彩を持つ、純白と銀。そして。
 何より今宵、焦がれていた―――アメジスト。
 いっぱいの涙を湛えた瞳が、柔らかく細められた。

「アスラン」
「―――キ、ラ…」

 呆然と目を瞠るアスランに、キラは勢いよく抱きついた。
 はっとしてしっかりと抱きしめる。
 細く、甘やかな身体は2年前と何も変わらない。

「よかった…また逢えた」
「キラっ…」

 きつくきつく、抱きしめる。
 キラの亜麻色の髪に顔を埋めると、湿った感触がした。
 冷えた頬に感じるのは、熱いほどの雫。
 自分が泣いているのだと気づいたのは、腕を緩めてキラを正面から見た時だった。
 2年前の別れのときと同じように、涙を拭われる。
 キラの頬にも、いく筋も滴っていた。

「逢いたかった…」

 思い出したのは今日だったけれど、心はずっと求めていた。
 あの夜の彼女の影を、ずっと。
 頬を両手で包む。仄かに紅く染まった頬は、熱い。
 そっと重ねられた手も熱く。
 潤んだままのアメジストが細められた。

「僕も…逢いたかった」

「何度も、祈ったんだ。キラがもう一度来てくれるように…雪を、一緒に見られる
 ように」

「神様が、ね…」

「うん?」

「ひとつだけ、お願いがあるって…僕をお呼びになったんだ。一人の人間が、強く
 強く願い事をしているから」



 ―――キラ。とても強い祈りが届いた。

 ―――え…?どんな…?

 ―――神の子である愛しい人にね、もう一度逢って…約束を叶えたいと。

 ―――それ、は…。

 ―――君も思い出しているようだね…。キラ、私のお願いを聞いてくれるか?



 世界中の誰よりも、純粋で哀しい、愛しい祈りの声。
 人間の、切なる想い。
 奇跡のような確率で出逢った、二人の。


 ―――さぁお行き。可愛い子らに、聖なる祝福を。


「僕、もうすぐ羽がなくなるの」
「…え?」
「もう、飛べない。不思議な力も、何もない。天にはいけない…」

 透明なアメジストは無垢な光を宿して、真っ直ぐにアスランを見つめる。
 紡がれる言葉は、ひたすらに静かだった。
 柔らかく、どこか泣きそうに微笑むキラはいっそ幻想的で。
 アスランは堪らず華奢な姿態をかき抱いた。

「そんな僕でもいいのなら…。僕は、君の傍にいたい」
「キラ…!」

 羽をなくすことは、即ち天使ではなくなること。
 ただの「キラ」になること。
 もうあの日のように、アスランが怪我をしても助けることは出来ない。
 それでもいいのなら。

「俺はキラが欲しいんだ。天使であっても、そうでなくても。キラがいい」

 それはアスランの心からの言葉だった。
 特別な何かを持っていなくても、キラがいい。
 今腕の中に居る、この熱があれば。

「ずっと、一緒にいたい」

 記憶をなくしている間も、探していた。
 ピースがはまるかのように、二人の身体はぴたりと寄り添う。
 アスランの声に、キラの背中の羽が徐々に消えていった。
 雪が解けていくかのように、ゆっくりと。


 幸せにおなり、と。
 天から聞こえた気がした。










 日がとうに昇り、眩しく白を反射させる。
 もう昼に近い時間、キラはまだベッドの中に居た。

「キラ」

 アスランは真っ白いシーツに包まったままのキラをそっと揺する。
 ゆっくり開いていく眸に笑みを深めた。

「もう昼になるよ。そろそろ起きないと…」

 人間になった反動か、キラは睡眠を多く必要とするらしい。
 身体がこちらに完全に馴染むまではこのままだという。

「キラ、起きて。外に行こう」
「…そ、と?」

 まだ半分覚醒していない、舌足らずな声。
 ボーっとした様子のキラを横抱きにして、アスランはベランダに向かった。
 冷たい風に、キラが震える。
 ブランケットで覆ってやると、アスランが小さく笑いながら下を指した。

「ほら、見て」

 キラが覗き込むと、マンションから見える街並みは一面の銀世界になっていた。
 日の光できらきらと輝く街に、キラは歓声を上げる。
 夜のようにイルミネーションがあるわけではない。
 しかし雪の積もったそこは夜と同じくらい美しい。

「あれからクリスマスに雪は積もらなかったけど…今年はキラがお願いしていたか
 らかな」
「…今日は聖夜だから」
「神様が、キラに贈り物をしてくれたんだ。…俺にも」

 翡翠の目を細めて柔らかく微笑むアスランに、キラも笑い返した。
 腕を伸ばして、彼の首に回す。
 擦り寄ると、冷たい頬がほんのり暖かくなった。
 傍に居られるようになったことを、何より幸せだと思う。
 アスランもキラを抱く腕を強め、擦り寄る。

「食事をしたら、街に出ようか」
「え?」
「一緒に、見よう」

 美しい世界を。
 あの日の約束を叶えに。

「アスラン…」

 キラは熱くなる胸を押さえ、頷いた。
 消えなくていい。ずっと隣に在れる。

「好きだよ、キラ」
「僕も…大好き」

 そっと重ねられた唇は、あの夜のように切なくはない。
 ただ幸せと、焦がれるような想いが胸にある。
 微笑みあう二人を祝福するかのように、暖かな日の光が照らしていた。












  Happy end!  











       これにてクリスマス小説は終了です。
       探してくださった方、いかがでしたでしょうか?
       UPするのに時間が掛かってしまい、クリスマスなんてとうの昔…(涙)
       お待たせしてしまい、申し訳ありませんでした。
       感想等、ございましたらお気軽にくださると嬉しいです。

          08/02/某日  幸せな光が、二人を包むから。